最近のトラックバック

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008年2月26日 (火)

自戒

“Live well.  It is the greatest revenge.” これはユダヤの聖典,タルムードの中の言葉だそうだ。ずいぶん以前に知った言葉だが,最近,この言葉の重要性をつくづく感じる。

2008年2月18日 (月)

医学の究極の目標はどこに?---PPKか不老不死か?

PPK(ピン,ピン,コロリ)という言葉を初めて知った。きっかけは2月21日号の週刊文春(48ページ)に出ていた記事だ。「長生きナンバー1『長野県』に学ぶ食生活」と題されたその記事では,日本で男性が最も長生きな長野県の活動や食事などが紹介されている。PPKとは健康に長生きし(いわゆる健康寿命を長く維持し),長く患わずに亡くなることことである。(ちなみに,ピンピンコロリを英語で言うと,“Live well and die well”だそうだ)。

実は昨年11月に母が心筋梗塞で倒れ年末には退院したものの,心不全の悪化で今月初めに再入院となった。そのことだけが理由ではないが,近頃,医学の進歩の究極のゴールはどういうところにあるのだろうかとよく考える。いや,今の仕事を始めて以来,ずっと考えてきた。機会があるときにはドクターにも尋ねたことが何回かある。だが,いまだに明確な答えを見つけられていない。

ただ,PPKが理想であることには誰でも異論はないであろう。そして,PPKを実現するために何が必要かはもうはっきりとわかっているはずだ。一言で言えば,生活習慣。栄養と衛生と運動。栄養はカロリー不足が問題になることはいまの日本ではありえない。むしろ,カロリー過多(食べすぎ)が問題でそれ以外は栄養素のバランスだ。衛生も現代ではむしろ過剰衛生が問題か。アレルギーやアトピーなどの増加は衛生的過ぎる現代の生活環境が原因と主張する専門家もいる。運動不足も分かりきっていることだ。

これらは予防医学が担当すべき領域なのだろうが,いまの医学はどうも病気になってから,あるいはなりそうになってからの予防しか問題にしていないように感じる。1次予防(primaray prevention)はいわゆる初発予防だか,運動や食事,生活習慣全般の重要性ももちろん議論されるが,学会や論文などで発表される機会が多いのは薬によるprimary preventionの研究が多いような気がする。

PPKとは別に,アンチエージングや超長生きも医学の究極の目標だろうか?アンチエージングはいま流行りで,これは長生きというよりも若々しさの維持,というところに力点がおかれているのだろうが,美容医学だけでなく,医学の究極の目標ともいえるだろう。

超長生きという言葉はわたしはいま勝手に書いただけだが,人体冷蔵保存(cryonicsまたはcryopreservation)となるとこれは不老不死を求める究極の医学ではないだろうか。かなり前,自分は500歳まで生きることをめざしている,と真面目に言っていたアメリカの研究者がテレビに出ていて驚いたことがある。アメリカでは実際,死体の冷凍保存サービスを提供している会社があるそうだ。

話がまた飛ぶが,最近話題のiPS細胞(induced pluriopotent stem cells;人工多能性幹細胞)も,臓器培養まで応用が進めば,PPKからアンチエージング,はては不老不死まで,医学の究極の目標を実現する手段となるのだろう。実際,iPS細胞を使った角膜再生が東北大学などで成功している(マウスだが)。

しかし,iPS細胞を使った臓器培養,cryopreservationによる冷蔵保存などがどのように進んでも(もっともcryopreservationから人間が蘇生するというのはまだまだSF的レベルの話だが),多くのひとがPPKで死ねるようになるとはどう考えても思えない。研究者のテーマとしてはおもしろいに違いないし,これからますます研究されるだろうが(特にiPS細胞は),PPKが理想であるならば,大切なのはやはり,生活習慣(食事,運度,衛生,生活環境)の地道な改善による「予防医学」の普及なのではないかと思う。しかし,これの普及は非常に難しい。iPS細胞の研究を進めるよりはるかに難しいと思う。何故なら,インセンティブが働かないからだ。地味で評価されにくいからだ。しかし,世の中の本当に大切なことは,地味で評価されない努力から生れるのだとわたしは思っている。

2008年2月 8日 (金)

サブタイトルつけました

ちょっと仕事がたてこんでいるのでブログの更新ができない。朝,仕事場へ行く前にドトールでコーヒーを飲んでいてブログのサブタイトル(キャッチフレーズ)をつけようかという考えが浮かび,この言葉が思いついた。理屈と~はどこにでもくっつく,というフレーズはよく聞かれる言葉だが,わたしが印象に残っているのは,金子光晴(詩人)が吉行淳之介(わたしの一番好きな作家)との対談のなかで言った「おや,おれ何言ってるんだろう。恥ずかしいね。理屈と鼻糞はどこにでもくっつくっていうからね」という発言だ。世の中には頭のいいひと,つまり理屈のうまいひとがいていろんなことを言ったり書いたりしているけれど,冷静に読むとかなり無理な議論というのが氾濫している気がする。そういうどこにでもくっつくような理屈や議論に疑問を持ち続けていきたいと思う。

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »