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2008年8月

2008年8月27日 (水)

インドで代理出産した夫婦の記事を読んで-赤ちゃんは物じゃないぞ!

7月に日本人の夫婦がインド人の代理母に赤ちゃんを生んでもらったが,出産の直前にこの日本人夫婦が離婚したため,赤ちゃんがインドから出国できないというニュースが最近新聞や雑誌で報道され話題になっている。わたしは自分自身,長男を体外受精(顕微受精[ICSI])で授かったので,不妊治療や生殖補助医療(ART)にはとりわけ関心が高いが,今回のニュースは純粋な医学的問題というよりも,不妊治療というものに対する考え方やかかわり方における問題が浮き彫りになったケースという気がする。

ここでは,週刊朝日8月29日号(131~133ページ)の記事<インド代理出産 「夫」の告白と「離婚妻」の言い分>という記事を読んでの感想などを記したい。この「夫」は40代の医師であり(専門は不明だが産科医でないことは間違いない。ネットで調べたら45歳とあり,わたしとほぼ同年代だ。また,この「夫」は離婚歴があり,最初の結婚で子供をもうけており,その子供とは離婚後会えていないという),前妻も40代だという。昨年10月に結婚してすぐに不妊治療をはじめたそうだが,女性の年齢を考えればこれはおかしいことではないかもしれない。解せないのは,この「夫」が結婚前からインドを訪れ,代理出産の準備をしていたらしいことだ。

昨年の10月に結婚して,その翌月の11月に夫婦でインドを訪れ,代理母となった20代のインド人女性と契約を結んだとある。この契約書には前妻も同意書に署名をしており,そのことからこの前妻の「無責任さ」(出産以前に離婚してしまったこと)は非難されるべきだが,これについて週刊誌の記事には前妻の言い分として<同意書は読む時間も与えられず,当時,新婚2ヶ月目だった私は到底納得出来る内容ではないため署名を断りました。しかし,病院側は「あなたのご主人の赤ちゃんは彼1人で迎えに来るから問題ないし,この同意書に法的拘束力はない。」と,元夫は「あなたに押し付けることはないので,書名しろ。」と両者に言い立てられて,署名させられました>と書かれている。

この記事を読む限り,確かにこの「夫」の奇妙さが強く印象付けられるが,前妻の行動にもわたしは疑問が残る。上記の前妻の言葉は,まるで訪問販売で商品や契約内容がよくわらぬまま契約書にサインさせられてしまった,と言っているようだ。

しかし,この女性は少なくとも9ヶ月の不妊治療歴があり,代理母というものがどういうものかぐらいはわかっていたはずだ。今回の場合は,卵子提供者は代理母とは別のネパール人の女性(そのことが問題をさらに複雑化させ,赤ちゃんの国籍問題や出国問題に障害となっているのだが)で,精子はこの「夫」のものらしい。インドでは,遺伝的に父親あるいは母親がインド人でない限りインド国籍を取得することはできないため,この赤ちゃんはインド人としてのパスポートはとれない。しかも,独身男性(今のこの「夫」は独身男性だ)は子供の親権を得ることはできないという。

この「夫」は医師でありながらどうしてこうも奇妙な行動を取ったのだろうか。そもそも,前の結婚で子供を作っているのだから,この「夫」は男性不妊ではないはずだ。40代の前妻が結婚後すぐに不妊治療を開始したということは,妻になんらかの不妊原因があることがわかっていたためだろうか。<インドで昨年の11月にIVF(体外受精)に挑戦し,その後,日本で2度不妊治療を行うも失敗>と記事にはある。日本で2度の不妊治療の内容が書いていないのでわからないが,IVFとかICSIとか,いずれにしても,ARTによる治療を行ったのであろうことは想像できる。

この記事には最後のほうに「夫」の父親というのも出てきて,<(中略)息子はSY,つまり世間がよくわからない。子供が欲しくて,もう年齢がいっているから急いでいるのかなとも思いますが>と言っているが,一番よくわからないのはあなたの息子さんですよ,とわたしは心の中で叫んでしまった。

この記事に出てくる,「夫」,前妻,「夫」の父親,の発言を読んでいると,どう言えばいいのか,とにかく軽い印象を受ける。直接責められるべきは「夫」と前妻であり,一番責任が重いのはこの「夫」に違いないが,とにかく,赤ちゃんを作るということを物を作るのと同じようにしか考えていないのではないか。安い労働力が供給されるので工場を中国に作って生産を始めよう,というような考え方と同じように感じてしまう。そうとでも考えなければ,結婚前からインドにわたり,向こうの代理母を探したり,向こうの医師と連絡をとりあったりしていたという行動がどうしても理解できない。

確かに日本で代理母による出産をすることは非常に困難だが(それを違法とする法律はないが,日本の学会は原則禁止している。ごく少数の医師が自分の判断で試みているのが現状だ),この「夫」と前妻にはまだ,不妊治療としてやるべきことはかなり残っていたのではとわたしは推測している(判断材料は少ないが)。少なくとも,男性不妊ではないし,女性も日本でも「不妊治療を2回試みた」のだから,子宮摘出などの絶対的な不妊原因があるとは思えない。

結局,自分たちの性急な判断や思い込み,判断ミス,勘違い,などによりこのような事態を招いたのではないだろうか。一番の被害者はいまインドで「夫」の母親に付き添われているこの赤ちゃんだろう。

「赤ちゃんは物じゃないんだぞ!代理母であれ,体外受精であれ,あるいは自然妊娠であれ,子供を作って(妊娠して)生むことは大変な作業ではあるが,生んでから育てることのほうがもっと大変だし重要なことなんだぞ。そんなことに想いが至らないひとは不妊治療なんかにかかわるな」と言いたい気分だ。

なお,明日,福岡で開かれる日本受精着床学会の取材をする予定なので,取材を依頼されている演題以外で聴講できるものがあれば聞いてみて,感想を書いてみたいと思います。

2008年8月22日 (金)

政治問題の様を呈してきたVytorin(ENHANCE,SEAS)-「Ca拮抗薬」論争の再演か?

Vytorinという薬に特別な興味や思いいれがあるわけではもちろんないが,このブログでも2回ほど関連ニュースを取り上げたのでネットを眺めていてもついついこの薬に関する情報に眼が行ってしまう。medpageというニュースサイトを見ていたら,SEAS試験でVytorin(ezetimibe/simvastatin)群の癌発症率が有意に高かったことに関して,3か月以内にFDAが報告書を受け取り,さらに6か月かけてそのデータをレビューすることになったという記事が載っていた(つまりFDAの最終見解が出るのは9か月後)。

2週間ほど前,アメリカ民主党の下院議員,John DingellとBart Stupak(ともにミシガン州選出)がFDAにVytorinと癌との関係に関するデータを提出するよう求めたという。FDAに対してレポートの提出を要請されているのはもちろんMerck/Schering-Ploughだが,それでもSEASの最終結果は,9月に開かれる欧州心臓病学会(ESC)で発表が予定されている。

医学的なことに関する判断を下す資格や能力はわたしにはもちろんないが,ENHANCEに始まる一連の大騒ぎのニュースを断片的に読む限り,どうもこの薬は「政治問題」となってしまったような気がする。このような状況で,冷静かつ客観的な科学的判断など行われるのだろうか。

ここで突然,Ca拮抗薬を投与した患者の心筋梗塞発症率が却って上昇するということで大騒ぎになった「Ca拮抗薬論争」を思い出してしまった。あれは1995年だったと思うが,ワシントン大学(シアトル)のPsaty教授とBowman Gray医科大学(だった思う。記憶不確か)のCurt Furburg教授が,このニュースを発表して全米のメディアでセンセーショナルに取り上げられた。あのときも,第一報は学会での発表ではなく,Psatyらが学会とは関係なく記者会見を開いて発表し,まず大騒ぎになった。もっとも,あれは生物統計学者(biostatistician)であるFurburgらが行った過去の試験のメタアナリシスの結果であった。Ca拮抗薬論争といいながら,実は槍玉にあげられていたのはニフェジピン(特に短時間作用型の舌下錠)だった。あの論争から1年くらい経過してからは,ライバル薬であるアムロジピン(長時間作用型のCa拮抗薬)の売上げが着実に伸び,なんともきな臭い印象を抱いたのを思い出す。

実は1995年の11月の米国心臓協会(AHA)でわたしはこのFurburgとOschner Clinic(ニューオリンズ)のFranz Messerli博士とのディベートを取材した経験があり,Dr. Messerliには1996年3月の米国心臓病学会(ACC)でインタビューもしたのでよく覚えているのだ。AHAのディベートでは反Ca拮抗薬であるはずのFurburgがメタアナリシスの不備などをMesserliに徹底的に指摘され,Furburgが晒し者にされているような感じだった。

まあ,Ca拮抗薬論争と一緒にするのは強引なわたしの勝手な妄想かもしれないが,SEASも先月,ロンドンで突然記者発表がありメディアで大きな話題になっている。しかも,Oxford大学のRichard Peto博士という生物統計学者が“スポンサー側”の研究者としてその中立性を疑問視する声も出ている。

今回,Merck,Schering-Ploughに対してFDAへレポートを出すよう求めるレターを出した上記の下院議員が2人ともミシガン州の民主党議員というところから,わたしの妄想はさらに膨れ上がってしまっている。ミシガン州はオハイオ州と隣接しているし,オハイオ州はクリーブランドクリニックのNissen博士のいる州だし......。

いずれにしても,騒ぎはまだしばらく続きそうである。

2008年8月17日 (日)

北京オリンピック感想-2

北京オリンピックの感想ばかり書いていると毎日テレビを観ているように誤解されそうだが,実際は1日中テレビに釘付けというわけでもない。それでも,午後からその日の結果が出始めるとついついネットのニュースサイトにアクセスしてしまう。結局,仕事場に来てもほとんど仕事に身が入らない状態だ。8月もあっという間に半分が過ぎ,9月以降のことを考えて少し焦り始めてきた。

少し前,ハンマー投げの室伏が5位に終わったということを知った。予選の78メートルを第1投でクリアした後のインタビューをテレビで観たが,近頃は誰でも言うようになった「オリンピックを楽しみたい」という陳腐な答えを聞いて「こりゃダメだ」と感じていた。

24日終了なのであと1週間残っているが,わたしのなかではもう北京オリンピックは終わった。明日からは仕事に集中できるような気がする。興味ある競技や期待の持てる競技がもう残っていないからだ。

オリンピックのような大舞台で結果を出すための実力とは何か,について少し考えてみた。今回の五輪を観ていて,この(広義の)実力を構成する要素は,1)(狭義の)実力,2)結果(メダル)への執念,3)運,の3つに分解できるのはないかと思った。

1)の(狭義の)実力,とはその狭義の技術やそれに必要とされる身体能力のことで,学校の勉強でいう偏差値のようなものか。例えば日本男子のサッカーなどは,1)が完全に低く,この場合は,どんなにイメージトレーニングしたり監督を変えたりしてもたいした成績は残せないのではないか。今回,反町監督に対する批判もあったようだが,誰が監督になっても無理だろう。陸上競技の100メートルでも日本の塚原が準決勝進出と頑張ったが,あれ以上は今のままでは絶対勝てないはずだ。

それに対して,柔道の鈴木桂治のあっけない負け方などは,2)の不在が一番の理由ではないかという気がする。3)の運不運も多少はあるかもしれないが,(狭義の)柔道の実力という点で今の鈴木選手が劣っているとは思えない。一方,女子48kgの谷亮子選手は,疑問の残る優勢負けではあったが,初戦からの全体的な印象として,やはり1)の実力が劣っていた(衰えていた)気がする。

女子マラソンの野口みずき選手は当然,3)の運に100%見放されたわけだが,彼女本人およびコーチ陣などの金メダルへの執念がもっと合理的な方向に働いていれば,練習の仕方や練習量にもう少しの工夫ができたのではないかと悔やまれる。途中棄権の土佐礼子選手と13位の中村友梨香選手も実力通りの結果だと思う(野口みずきが欠場してから,急に土佐礼子に期待するような報道が増えたが,ヘンだと思った。わたしはむしろ若い中村友梨香のほうがひょっとして5位くらいに行くかもと思っていたがそうはあまくないようだ)。

女子レスリングは(狭義の)実力,結果への執念,運がそれぞれすべて公平に配分され,結局,実力通りの結果が出たという印象だ。48kgの伊調千春選手の準決勝での逆転勝ちはまさに執念と運が呼び寄せた勝利,決勝での負けは(狭義の)実力が低かったからではないか(相手のカナダの選手のほうがはるかに強かった)。浜口京子もアテネと同じ銅メダルで立派だし,あの親子は大好きだが(あの年齢の娘があのような親父に対してあれほどやさしく接しているのはほとんど“奇跡”だと思う),やはり「気合だ」だけではどうしようもない。

結局,金メダルをとった選手は,1)の実力がまず,ずば抜けていることが前提だが,オリンピックのような世界中の実力選手が集まる場では,実力的にほとんど差がない選手が数人(数組)その競技に参加している場合が多い。そうなると,2)の執念と3)の運,に優った選手が結果を残したということで,まあ,当然といえば当然のことかもしれない。人生や仕事の成功も結局同じことだろう。そして,2)の執念と3)の運も含めてすべて「実力のうち」と考えれば,結局,実力があるのに負けた,というのは事実ではなく,実力があった人が勝ち,勝った人は実力がある,ということになるのかもしれない。

2008年8月12日 (火)

北京オリンピック感想-1

金曜日から北京オリンピックのテレビ観戦に時間を費やしたり,事務所に「出勤」していても日本人選手の成績が気になってブラウザでニュースサイトをチェックしてばかりいる。特にスポーツ好きというわけでもなく,ナショナリストでもないのに自分でも不思議に思う。4年に1度の開催ということで,オリンピックが過去を振り返ったときの記憶の節目となりやすいことも関係しているのかもしれない(歌謡曲などである時期に流行ってよく聞いていた曲とそのときの経験が一緒になって思い出されることがあるのと同じだ)。

ちょっと前,女子マラソンの野口みずき選手欠場を知った。非常に残念だ。わたしは今回のオリンピックで野口選手を一番応援していた。オリンピック前に放送された彼女の練習ぶりを伝えるテレビ番組も観ていたし,アテネの金メダリストでありながら,シドニーの高橋尚子ほどメディアに取り上げられないことで逆に好感を持っていた。陸上選手として若い頃から全国的に注目されていた名選手でないにもかかわらず,圧倒的な練習量で実力を伸ばし,過去6回のマラソンのうち5回も優勝している。スイスから早期帰国したとはいえ,まさか欠場にまでは至らないだろうという根拠のない希望的観測を抱いていただけに本当に吃驚だ(昨夜か今朝のテレビだったかは忘れてしまったが,スポーツライターの二宮清純氏が,明日から北京に取材に行くのだが,野口みずきに一番注目していると言っていた。その口ぶりから,野口みずきの出場を前提としているような印象を受けたので,野口出場を確信する「裏情報」でも持っているのかと思ったが,そうでもなかったようだ)。

柔道の谷亮子が準決勝で負けた試合に関しては,最後に谷選手にだけ指導が出たことに疑問を感じた人も多いと思う。わたしもあの判定は不公平じゃないかと思ったし,何よりも試合そのものがつまらなかった。あれで勝って飛び上がって喜んでいた相手のルーマニア選手(美人ではあるが)のリアクションにも違和感を感じた。もっとも,このルーマニアの選手が決勝でも勝って金メダルを取ったらしい(興味がないので試合も観ていないし,どういう勝ち方をしたのかも知らない)。今回だけに限らないし,これもすでにいろんな人が感じていることだろうが,柔道は“指導”や“効果”のポイントだけによる判定勝ち/判定負け,になる試合が多くなっている印象(あくまで印象)があり,つまらない試合が多くなっている気がする。(そういう点でも,男子66kg級で金を取った内柴選手の柔道は立派だと感じたし,今日も女子63kg級のの谷本選手がすべて1本勝ちで決勝に進んでいるという[とここまで書いてネットのニュースに目をやったら,決勝も1本勝ちで谷本金メダル,と出ている!!])。

北島の平泳ぎ100メートル金メダルも文句なく素晴らしいが,決勝直後のインタビューで涙を流していたシーンには好感を持った。自信満々でボクシングのチンピラ亀田ほどひどくはないが,どちらというとビックマウスタイプだと思っていた。ただ,世界新記録はレーザーレーサーの水着によるプラスが0.05くらいあるんじゃないかとは感じた。

2008年8月 1日 (金)

もう8月-光陰矢の如し

今日から8月。陳腐な言い方だが光陰矢の如し,という言葉を実感として感じる。1月からフリーランスとして独立してすでに7か月経過。不安な日々は変わらないが,不安も常態化すると慣れてきてしまうところもある。

先週,夏休みをとって千葉の鴨川へ海水浴&鴨川シーワールド&像動物園に行ってきた。安いホテルをかなり前からネットで予約して平日に行ったので道路も比較的空いていてスムーズに移動できた。初めて川崎からアクアラインを通って千葉へ行ったが,ジャンクションで逆方向に行かないかという不安も杞憂に終わり,海ほたるはでいい眺めを満喫できた。海水浴(海岸)は今イチではあったが,子供にとっては初めての海水浴だったのでそれなりに喜んでいた。今週に入ってからは,日焼けあとの皮がめくれて痒いやらきたないやらで閉口している。

一人で仕事をしていていい事の一つは,こうして休みを自分で勝手に決められることだろうか。もっとも,旅行の数日前に,出発日と同じ日に,九州で取材の仕事の依頼があり,残念だが断ったので,結局,機会損失が発生してしまったが....。

8月は暇なので,独立以来会っていない知人や友人と会って食事をしたり酒を飲むつもりだ。あとは北京オリンピック観戦か。これもフリーランスの特権で,リアルタイムで観たい競技はいつでも平日の昼間であっても必ず観てやる。しかし,こんなことしかメリットがなくてあとはしんどいことばかりというのも情けないなあ。

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