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2008年11月

2008年11月25日 (火)

最近のニュース雑感

9月初旬から仕事の面では多忙が続いており,“フリーター” 1年目の年末をなんとか乗り越えられる目処はついてきた。もっとも,多忙とは言っても,貧乏暇なしに近い多忙であり,毎月が自転車操業であることに変わりはないが,以前,恐ろしいデータ,というエントリーで書いた開業後1年未満で「刀折れ,矢尽きる」30%に入ることは避けられそうである。

しかし,最近の国内外のニュースを見聞きしていると,暗澹たる気持ちになってしまう。

定額給付金問題:どこかの市長がこの給付金について,あれは買収だとコメントしたらしいが,蓋し名言だ。この給付金が景気浮揚に与える影響に対しても疑問を呈する専門家の意見は多いが,その効果の有無はともかくとしても,目先の選挙目当ての思いつきであることは誰の目にも明らかだ。そのように見えてしまう時点ですでに失敗している。今回の給付金にまつわるゴタゴタを見ていて,政治家というのは,「会社の経費で飲み食いさせて,それで女にもてると思っている頭の悪いオヤジ部長」みたいなヤツらばかりだな,という感想を持った。使う金はすべて税金。自分の金のように偉そうに出すとか出さないとか言うんじゃないと思ってしまう。

元厚労省次官刺殺事件:とりあえず犯人が捕まって一安心のような,拍子抜け(動機がペットを殺されたというのは信じがたい理由だ)のような現状だが,この事件にも強い印象を持った。というのも,いわゆる消えた年金問題が新聞やテレビを賑わせるようになった頃,わたしは配偶者に「外国だったらテロが起きているよ」と言った覚えがあるからだ。今回の事件は,最初は,年金問題に強い恨みを抱く個人か組織の犯罪か,厚労省の内部事情に詳しい人間の仕業か,などいろんな意見が出たが,わたしが気になったのは,この事件を,厚労省および社会保険庁に対する風当たりを弱める手段として利用しようという人たちが出てくるのでは,ということだ。すでに,テレビなどでそういう方向に世論を誘導しようと意図しているのではと勘ぐりたくなる発言をしている人もいる。しかし,今回の殺人および殺人未遂事件は断じて正当化されるべきでないし,犯人を厳罰に処すべきであるのは当然だが,年金問題そのものには何の変化もないということだ。

昨年末,サラリーマンを廃業して,わたしも国民年金,国民健康保険に切り替えをしたが,年金に関して言うと,6年前に引越しをしたときの住所変更がわたしの分はなされていたのに,配偶者の住所変更のデータが入力されておらず,年金番号と住所の記録が一致しないということが市役所で明らかになった。また,国民年金に切り替えた際,それに関する全く同一内容の連絡ハガキが,霞ヶ関の社会保険庁からと,わたしの住居地を管轄している地方の社会保険事務所から重複して届くということもあり,無駄な業務のやり方の一端を垣間見た。サラリーマンのときはすべて会社(総務)におまかせだったが,独立してみると,年金問題などもきわめて深刻な自分の問題として感じるようになった。厚生官僚に対する怒り骨髄の気持ちはわたしも持っている。

金融危機:大きすぎる問題で,個人的な関心としては,この問題が自分の仕事にどの程度,悪影響を及ぼすかに尽きるが(株価の下落で被害も蒙っているが,こちらは,もともと持っている金額がミクロなので全く痛痒を感じない。100円はゼロになっても100円しか損したことにならない,その程度だ),面白かったのは,GMをはじめとする米国の自動車メーカーのCEOが米国議会で支援策要望のための公聴会かなにかに出席した(←記述,正確でないかもしれません)ときのやりとりだ。テレビで見ていたが,出席していた全員がプライベートジェットでワシントンDCまで来て,それを売却するかという問いにも,イエスと答えていなかった。シティバンクへの資本注入や債務保証についても合意が形成され,昨日のニューヨークの株は上昇したそうだが,金融危機をめぐる世界中の状況と政府の対策(必要性は理解できるが)を見ていると,自由,正義,責任という言葉がむなしくなってくる。

2008年11月24日 (月)

たこ焼き・お好み焼きでなんで青海苔の確認するの?-所変われば品変わる

どうでもいいことだがわたしとしてはかなり印象に残ったエピソードがあるので記しておきたい(どうでもいいという意味では,ここに書いていることは,すべて,どうでもいい,ことだが)。

先週,某学会の取材仕事で福岡に行ったときのこと。取材を頼まれたセッションは朝9時からだったので,前日夜に福岡に入った。夕食を食べに一人出かけたが,一人で食事をするのは侘しいもので,結局,屋台で酒を飲み,つまみを食べて,あとはホテルまでの帰り道のどこかでラーメンでも食べようと歩いていた。ふと,たこ焼きとお好み焼きの持ち帰りの店が目にとまった。中を覗くと小さいテーブルが2つ置いてあったので,中でも食べられるか店の人に確認したところ食べられるというので入ってみた。

関西出身のわたしはたこ焼きとかお好み焼きの味には結構ウルサイ。福岡でそういうものを食べるのは初めてなのでどんなもんかとまずはたこ焼きとビールを注文。ところが,店のおばさんは「青海苔かけてもかまいませんか?」と聞いてくる。当たり前でしょ?と思いながらも,そうは口にせずお願いしますとだけ言って待つこと1~2分。
出てきたたこ焼きは,不味かった。固い。山芋入れてないんじゃないの?これじゃあ,メリケン粉を固めただけのダンゴだよ。そう思いながら,仕方なく食べ,それでもたこ焼き一皿だけでは朝までお腹が持ちそうもないし,といって,ラーメン屋に入りなおすのも面倒くさいので,お好み焼きを追加注文した。

「15分くらいかかりますけどいいですか?」とまたおばさん。お好み焼き焼くのにそんなに長い時間かかるかなあと疑問に思いながらも別に急いではいないのでお願いしたところ,続けて「青海苔はかけてもいいですか?」とまた聞いてくる。おいおい,お好み焼きやたこ焼きに青海苔,かつお節は当たり前だろ。いちいち聞くなよな。

出てきたお好み焼きには青海苔とかつお節だけでなく,わたしの嫌いなマヨネーズがぐっちょりぬられていた。なんで青海苔をかけることを確認しながら,マヨネーズは聞きもせずにかけるねん?とかなりぶちきれそうになった。しかも,このお好み焼きも固くてまずかった。

所変われば品変わる。福岡(博多)のたこ焼き/お好み焼き屋がみなこうなのか,あるいは,わたしの入った店だけがそうなのかは知りようもないが,この経験は妙に印象に残った。

2008年11月13日 (木)

日本人の幼稚性を感じる-田母神・前航空幕僚長,井戸・兵庫県知事の発言から感じたこと

政治や歴史に強い関心があるわけでも深い知識があるわけでもないが,ここ数日の田母神・前航空幕僚長の発言(参考人招致された参院外交防衛委員会での答弁)や,「関東大震災はチャンス」と言ってからのぞんだ井戸・兵庫県知事の最初の記者会見での発言を聞き,日本人の幼稚性をあらためて強く感じた。

この2人に共通しているのは,「地位(立場)が自分の言動を制限する」ということに対する認識の欠如だ。田母神・前航空幕僚長の論文とやらは読んでいないが,新聞報道などからおよそ推測はつく。その内容の妥当性は別にしても,航空幕僚長の立場にある人間が,政府見解と全く矛盾する内容の文章を多数の読者のいる雑誌に投稿し,更迭されたら,「日本には言論の自由がないのか」と反論するとは全く驚きである。こんな人間がなぜ,航空幕僚長などという地位にまで上りつめることができたのだろう。

兵庫県の井戸知事についても,記者会見の席上,「なんでこんな大騒ぎになっているのか理解できない。自分の意図と違った捕えられ方を勝手にしている」というような内容のことを言っていた。聞き手の受け取り方が悪いのだと言っているだけだ。これではまったく子供の発言ではないか。

政治家や政府高官の舌禍というのはアメリカや欧米諸国でもあるが,日本は特に多いのではないだろうか。その根底には日本人の「幼稚性」があり,その本質は,建前というものの重要性に対する認識の少なさがあると思う。あるいは,“建前を言うことにおける拙さ”とでも言うべきか。

日本人は建前と本音を使い分ける,というような見解が一昔か二昔前の日本人論などには述べられていたが,実際には日本人ほど本音に近いところで話し,行動してしまう国民は世界のなかでも少ないのではないか。これは「甘えの構造」で有名な土居健郎氏も書いているが,欧米人にとっては「『本音と建前を使い分けない』,ということが彼らの建前」になっており,したがって,普段しゃべっていることは,いわば建前だけということになる。真に本音の部分は心の奥深くに隠されており,しばしば本人も自覚しない,無意識の位置に押さえ込まれていることもある。わたしは,欧米人のなかでも,社会的階級や地位の高い人ほどそういう傾向が強いと感じている。だから,欧米の政治家や政府高官で今回の田母神・前航空幕僚長や井戸・兵庫県知事のような幼稚な問題発言は少ないし,あれば,もっとひどくマスコミに叩かれているはずだ。

たまたま11/4の大統領選挙の日から1週間,アメリカにいたので,ホテルの部屋にいるときは普段ほとんど見ないCNN放送をつけっぱなしにしていたが,政治家だけでなく,ニュースキャスターなども,CNNなどに出ている人は本当に言葉を慎重に選んでいる印象を受ける。また,political correctnessが必要なのは,なにも政治の世界だけではなく,企業のなかでのセクハラ(的)発言などについてもそうだろう。

さきほどわたしは,“建前を言うことにおける拙さ”と書いたが,日本人が英語,特に英会話がうまくなれない原因の1つはここにあるのではないかとも思っている。建前的表現,美辞麗句は日本語に多いと思っている人が多いかもしれないが,わたしの印象では英語のほうが多い。わたしたち日本人には建前的美辞麗句としかおもえない「本音」表現が英語には多いのだ。それらを何の躊躇いも羞恥心を感じることなくサラリと発言できるということが英語をきちんとしゃべれるということであり,それの到達点がpolitical correctnessを完璧にしゃべれる人ということになるのではないか。

ひるがえって,日本語にはpolitical correctnessに対応するぴったりの概念はないし(訳語なら辞書を引けばいろいろ書いてあるが),それに対する重要性の認識も少ない。都知事の石原慎太郎氏が井戸・兵庫県知事の発言を批判しているコメントを新聞で読んだが,石原氏自身,自分の感情をぶちまけているだけとしか思えない数々の放言をこれまでにしており,とても他人を批判できる立場にいるとは思えない。

田母神氏や井戸氏のような人間が自衛隊や地方行政のトップにまでたどり着ける日本は,日本人同士だけでなら住みやすい国なのかもしれないが,いまのようなグローバルな時代にこういう「幼稚な」人間がトップにいることはやはり日本にとってマイナスと思う。しかし,そういう幼稚さが日本人の本性だとしたら(わたしは本性だと思っているが),これはもうどうしようもない。

2008年11月10日 (月)

学会取材-米国腎臓学会(ASN 2008)-②

あと1時間でホテルを出なければならないが,6日午後にあったLate-Breaking Clinical Trialsの発表を聞いたので記憶とメモに残っている範囲で記しておきたい。ASNの取材は今回が初めてだが,ASCOやAHAと比べるとLate-Breaking Clinical Trialsのセッションは非常に地味だ。セッションもこの日の1時間半のセッションのみであり発表会場も小さい(ASCOやAHAではLate-Breakingのセッションはたしか2日か3日間行われ,発表会場はそのときの学会場で一番大きなホールとかGrand Ballroomなどで行われる)。

 Caro Manno氏が発表したLB-001(Long-term prospective randomized controlled multicentre trial on steroids plus ramipril in proteinuric IgA nephropathy)の結論は,1)ベースラインでの血清クレアチニン値と尿蛋白値がそれぞれ独立したadverse outcomeの予測因子である,2)ステロイドとラミプリルの併用療法が,腎疾患進行を抑制する,というものだった。

 シドニーのVlao Perkovic氏が報告したLB-002(Joint effects of routine blood pressure lowering and intensive glucose control in the ADVANCE trial)は,血糖値に対する強化療法(目標HgA1c≦6.5%)とルーチンの降圧治療(ACE阻害薬+利尿薬)による腎障害およびCVDへの影響を検討した試験だ。12877例を登録し,11,440例を1) 強化血糖管理 + ルーチンの降圧治療,2)強化血糖管理+プラセボ,3)標準的な血糖管理 +  ルーチンの降圧治療, 4)標準的な血糖管理 + プラセボの4群に分けたmulti factorialデザインの試験で,治療期間は5年。結果はまあ,予想されたが,1) 強化血糖管理 + ルーチンの降圧治療,群が腎症の新規発症と増悪(相対リスク低下[RRR]33%,P=0.005),微量アルブミン尿の新規出現(RRR26%,P<0.001),顕性アルブミン尿の新規出現(RRR64%,P<0.0001),総死亡率(RRR18%,P=0.04),とすべてにおいて,強化血糖管理 + 降圧治療群で最も大きな効果が得られた。

 Ruby W. Bilus氏はLB-003(DIRECT-Renal: The effects of the angiotensin type 1 receptor-blocker candesartan on the development of microalbuminuria in type 1 and type 2 diabetes)の結果を発表した。これまで,カンデサルタンの糖尿病網膜症に対する予防効果を検したDIRECT-Prevent1,
Protect-1,Protect-2などが行われているが,この試験はそのRenalバージョンだ。結果は,4.7年の追跡後,プライマリーエンドポイントである微量アルブミン尿の有意な改善は認められなかった。セカンダリーエンドポイントの年間アルブミン排泄率(UAER)にはわずかな低下が認められた。まあ,あまりぱっとしない結果だろうが,最後に演者がconflict of interestsについてのスライド(同試験のスペンサー企業を示したスライド)を示しながら,「この学会への渡航費と宿泊費も払ってもらっている」と述べたのには,その率直さにびっくりするとともに,却って好感を持った。

あと2つ(LB-005とLB-006)も聞いたが時間がないのでここまでにします。

2008年11月 9日 (日)

学会取材-米国腎臓学会(ASN 2008)-①

オバマ氏が大統領に選出された11月4日からフィラデルフィアに来ている。第41回米国腎臓学会(ASN 2008;Renal Week 2008)取材のためだ。学会速報の仕事で来ているので本来の仕事以外に書き物をしている時間が取れなかった。とはいえ、仕事で取材義務のある演題本数はそれほどなかったので、初日(6日)と2日目(7日)の空き時間はいくつかのセッションに入った。

オープニングプレナリーセッションでの会長(Peter S. Aronson氏、Yale University)講演は、米国の腎疾患、特に透析に至る末期腎疾患(ESRD)患者の現状、推移と医療費の問題などを説明した内容でわかりやすく、また興味深く聞いた。

ESRDに関する医療費は米国の経済の年間成長率を3%上回る速度で増大しており、このままで行くと米国のGDPの30%をESRDだけに費やすことになり、メディケアの資金も2019年に枯渇してしまうことが明らかだという。2005年のESRDに対する医療費が300億ドル(3兆円)というのだから驚きである。保険制度や医療制度が日本と異なるので、日本との単純な比較はできないが、透析患者が毎年増えている状況は日本も同じだから、他人事ではないと感じた。

年代別にみると、透析患者数の最も多いのは45~64歳だそうだが、増加率の最も高いのは75歳以上だという。これも日本に関係のある数字だろう。

目からうろこだったのは、メディケアが新規のESRD患者を40例/100万人/年と予測していたのに対し、現在は400例/100万人/年が新規にESRDになるという話だ。日本の厚労省の出生率予測の誤り(その誤った数字を基に将来の年金予算などを計算していること)などが時々批判されるが、役所はどこの国も同じだなあと思った。いや、そもそも、今の透析患者の増加状況を予測できなかったのは仕方ないのかもしれない。

高齢化と透析患者数の急増とはもちろん関係しているが、これに関して、Aronson氏は、高齢で透析を開始しても(生命)予後はそれほどよくないというグラフを示しながら、“ineffectiveness of dialysis”について注意を向けるべきだと指摘した。そして、“Healthcare system must emphasize cost-effectiveness as well as quality of life”と言っていたと思うが、ようするに「無駄な透析が多い。一定の年齢以上の患者には透析をやっても金の無駄」というのが本音ではないかと思った。

ただ、最後はやはりASNの会長なので、研究者主導による腎臓病研究の発展でブレークスルーを実現することを期待するというような内容のメッセージを述べ、そういう例として、H.pyloriの発見でノーベル賞をとったBarry Marshallや子宮頸癌の原因となるヒトパピローマウイルスの発見で今年のノーベル賞を受賞したHarald zur Hausenなどの写真を示していたが、これはちょっと違うんじゃないかと思った。Hピロリの発見やパピローマウイルスの発見はすばらしい業績だが、どちらも感染症だ。発見してしまえば、予防は相対的に簡単だ。ピロリなんて何年か後には感染者がうんと減るんじゃないだろうか。それに比べて、腎臓(CKD)はノーベル賞級の発見の1つや2つで解決する問題ではない気がする。

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