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2009年1月

2009年1月23日 (金)

理解できない-「第三者の卵子提供による体外受精」だけを取り上げる感覚

締切の原稿がまだできていないのでブログばかり書いているのは気が引けるのだが、「非配偶者間の体外受精、クリニック団体も2例の出産成功」という記事を偶然、目にしたので書かずにはいられない。

わたしは、自分自身、不妊治療経験者だが、今の仕事をはじめるずっと以前から疑問に思っていたのは、AID(artificial insemination by donor;非配偶者間人工授精)のことだ。日本では、すでに1948年からAIDが実施されており、すでに1万人以上の赤ちゃんがこれによって生まれているとされるのに、これに関する調査やフォローアップは十分されず、メディアでもあまり取り上げられない。最近ではAID施行例は減っているようだが、これだけの人数がAIDで生まれているとなると、知らぬまま異母兄弟で結婚しているカップルが日本で生まれている可能性も十分あるはずだ。

それなのに、厚生科学審議会の生殖医療部会が、「非配偶者からの精子・卵子の提供・胚の提供を認め、子どもの出自を知る権利を認める報告書」をまとめたのはやっと2003年になってからだ。

学会でも世間でも、「第三者の卵子提供による体外受精」に関する議論のみが頻繁になされているような印象を受けるが、50年以上の歴史のあるAIDを振り返り、それに関与した大学医学部や病院、個人(当初は医学部の男子学生などがボランティアあるいは半ば強制(?)で精子を提供していたと聞く)から事実関係を調査し、過去のAIDに関して、問題点はなかったか、今後もAIDを続けるのか、続けるとすれば、どういう基準で行うべきなのか、そういうことをもっと議論すべてきではないのかと思う。

50年前の不妊治療が現在からみて技術的にはもちろん、その施行規準やルールといった面でもかなり不適切であったことは十分推測できるが、だからといってそれに目をつぶっていていいわけがない。少なくとも1万人以上がAIDで生まれ(ということは、自分の父親が実は生物学的父親ではなく、そのことを知らない人が1万人いて)、その人たちのうちのかなりの数の人もすでに結婚して子どもをもうけているということだ。

そういうことを問題にせず、「第三者の卵子提供による体外受精」が是か非かだけを議論する学会や厚労省、マスコミの姿勢が理解できない。

http://blogrank.toremaga.com/

2009年1月22日 (木)

「派遣切り」と「雇い止め」

朝日新聞朝刊(1/21日)のべた記事に<「派遣切り」使わないで>という記事があった。人材派遣会社でつくる社団法人「日本人材派遣協会」が報道機関に要請を送ったという。

それによると,「派遣切り」とは「契約の中途解除を指す」言葉であるはずであり,契約終了後に契約の更新をしないのは派遣労働者の「雇い止め」だという。

確かに,現在は(特に労働者派遣の)派遣従業員が仕事を失った場合,すべて「派遣切り」と十把一絡げにしている報道が多い気がするし,私も<「派遣切り」に対する報道に思う-その1>を書いたときには「雇い止め」という言葉は知らなかった。

もっとも,厚労省は,派遣切り,という言葉について定めたことはないとしており,日本人材派遣協会が今回の要請を出したのは,『切る』という言葉の悪いイメージを嫌がってのことだと思われる。

2009年1月21日 (水)

中谷巌氏のいい気な懺悔にうんざり

「派遣切り」に象徴されるような現在の経済状況やそれに対する政治の対応やメディアの報道には自分でもびっくりするほど腹が立っている。政治はもちろんひどいが,それよりも新聞・雑誌,テレビ等の報道やそういったメディアで発言する学者や評論家のほうに問題ありと感じることが多い。

極め付けはUFJ総合研究所理事長の中谷巌氏の懺悔だろう。小泉内閣時代に構造改革の急先鋒だった経済学者の同氏は,『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』などという本で自らが旗を振った構造改革は間違いだったと反省している。また,最近は週刊現代や週刊朝日(1/23号)にも懺悔の記事が出た。

ホントにいい気なもんだと思う。中谷氏の「転向」を好意的に評価する意見を他のブログなどで読んだこともあるが,床屋のオヤジ談義じゃないのだから,そう簡単にあれは間違いでした,とよくも言えたものだ。

例えば,週刊朝日の記事には<私が「改革」に疑念を持ち始めたのは,政治から距離を置くようになったここ7,8年のことです。社会のできごとを見ているうちに「日本はおかしくなっているのではないか」という気持ちがだんだん強くなってきたのです。>とある。

ここ7,8年,「日本はおかしくなっているのではないか」だと?そんなこと,普通に仕事をして,新聞を読み,真剣に生きている人ならなら誰だって気づいていることだ。

(書き始めると気持ちが高ぶってきて止まらなくなりそうなので短めに終わるよう努力します)。

大経済学者である中谷氏に理論的に反論するだけの知識も準備もわたしにはないが,同氏の懺悔に「お気楽でいいね」と言いたくなるのは,「転向」に至るまでに氏自身が全く苦悩していないと感じられるからだ。構造改革を煽るだけ煽っていながら,「あれは間違いでした,反省しています」,でどうしてケロってしていられるのだろう。本当にそう感じるなら,私財を全部売却して寄付でもして,頭を丸めて寺にでも籠もればいいものを,また雑誌に出て懺悔記事を書いてもらったり本を出したりしている。

週刊朝日の記事の最後の部分の見出しは,<消費税20%でも貧困層救う秘策>とあり,中谷氏は<「希望なき貧困大国」から脱するためには,基礎年金を税方式にし,現状で保険料を納められない人にも老後の最低限の生活を保障すべきです。その財源は消費税で,私は20%にすべきと考えています。  これでは「大増税だ」と反発を受けるでしょうが,一方で,例えば年収1千万円以下の人に毎年40万円を還付するのです。そうすると,年間消費200万円の人は,消費税が差し引きゼロとなります。100万円の人なら20万円戻ってくる。これで貧困層を救済する。そうすれば,日本は少しは温かみのある社会になるでしょう。>

などと言っている。2011年度の消費税率引き上げを税制抜本改革の「中期プログラム」原案に明記するかどうかだけでもてんやわんやの大騒ぎになっている日本の政治状況のなかで,いったいどうやって消費税率20%を実現させるというのか。それを具現化する方法でもあるというのか。あるなら,自分が政治家になってやっていただきたい。「懺悔」しながら自分が積極的に関与するつもりもない提言を性懲りも無く週刊誌に載せるとはどういう神経なんだと思う。

なにが「そうすれば,日本は少しは温かみのある社会になるでしょう」だ。こんな無責任なお気楽発言を発行部数の多い週刊誌が取り上げて記事にしてくれる日本は,少なくとも中谷氏にとってはすでに「十分温かみのある社会」じゃないか。

2009年1月20日 (火)

「派遣切り」に対する報道に思う-その2

昨日の続きだが,メディアの報道や政治家・学者・評論家の発言などを聞いていても,結局,今の状況を別の形で「食い物にしよう」と考えているとしか感じられない。よく言われることだが,テレビ局などの正社員の待遇は破格に良い。新聞社なども,毎日新聞や産経新聞などは安月給かもしれないが,朝日や日経,読売などの社員は高給取りのサラリーマンであろう。自分たちは高みで安泰の位置にいながら,会社では非正規雇用の派遣,パートタイマーを安く使い,一方で,トヨタやその他の製造業の派遣切りを正義づらして批判できる感覚が理解できない。

最も問題にすべきなのは,正社員と非正規雇用者との格差だとわたしは思う。しかし,そこに議論を当てると自分たちの利益(給料,待遇)を損なわれるから,非正規雇用者 vs 経営者,という図式にすり替えているのではないか。実際は,非正規雇用者 vs (正社員 + 経営者)というのが多くの会社の構図ではないかと思う。

また最近になってワークシェアリングが話題になり,経団連の御手洗会長がこれに言及したら,正社員の給料引き下げが狙いだ,などという記事が週刊誌に出ていたが,ワークシェアリングをしたら,正社員の給料が減るのは当たり前ではないか。

これについては,経営者の役員報酬をもっと減らしたり,企業の内部留保を減らせば,誰の雇用も切ることなく,給料も減らさずに,非正規雇用者もクビにしなくてもなんとかなるからそれを先にせよ,というような記事も目にした。また,昨日は民主党の枝野議員が内部留保を減らして雇用を確保せよ,経営者としての誇りがないのか,と国会で大演説をぶったらしい。しかし,これも「読者」(週刊誌記事などの場合)や「有権者」(枝野議員の批判)に媚びているとしか思えない。

企業の内部留保を崩せといっても,トヨタや任天堂あたりなら長期間赤字が続いても社員の給料を払い続けることは可能かもしれないが,そういう企業はごくごく一部だ。現実には中小企業にはそんな余裕は全くないし,大企業でもそれほど余裕のあるところは少ないだろう。

また,会社の業績が悪く赤字を続けているのに,雇用調整もせず,正社員や非正規雇用者の給料を維持すれば,株主はだまっていないはずだ。自分が例えばトヨタの株を持っていたとして,社員の給料に全然手をつけず,工場の稼働率がさがっているのに,非正規社員も減らさないで,赤字を出し続けて株式の配当を減らす(あるいは無配にする)などとなったら,株主総会で文句が出てくるに違いない。

それから,日本の経営者を擁護するつもりはないが(わたしがそうする理由もなければ,わたしが擁護したところで一滴の影響もない),客観的事実として,例えばアメリカの倒産寸前のビッグ3や政府や投資家から大量の資金を得ながら今なお莫大な役員報酬やボーナスを受け取っているアメリカの経営者に比べれば,日本の経営者の報酬はかなり低い。

経営者というのは人一倍金銭欲や出世欲が強い人間だ。そういう資質が備わっているからこそ,会社を作ったり,社内で出世してトップに上りつめたのだろう。「派遣切り」という言葉で象徴されるいまの状況にのっかって非難している人たちは,結局,会社や経営者というものに期待し過ぎているのではないか。自分がやりもしないこと(自分の既得権益をあきらめて他人とシェアすること)を他人に求めるのは虫がよすぎるのではないだろうか。

2009年1月19日 (月)

「派遣切り」に対する報道に思う-その1

昨年末から今年にかけて景気低迷と雇用情勢の悪化に伴い,非正規雇用者の「解雇」に関する新聞や雑誌の記事,テレビ番組が多くなった。昨晩もNHKで派遣契約を契約期間終了前に切られた人のドキュメンタリーが放送されていた。わたしは自己韜晦ではなく,フリーランスという今の立場は日雇い労働者と全く変わらないと思っているので,心情的には,「派遣切り」に対する批判的報道の肩を持ちたい気分である。

しかし,大きく報道される世の中の事象すべてに共通していることだが,どうも問題が整理されないままの記事や報道が多いような気がする。疑問を感じる点が多いのだ。

そもそも,「派遣切り」と言われているもののなかには,契約満了に達していないのに企業の業績悪化などの都合で一方的に契約を切られる,明らかに違法な「派遣切り」があるらしい。正直なところ,法律の知識に乏しいのでこのあたりはそうだ言われればそうですか,と返事するしかわたしにはできないのだが,一つ想像するに,労働者派遣法(今一番問題になっているのは,工場などで派遣として働いている労働者の問題だ)というものが,十分議論されないまま成立した法律なので,現在のように急激に景気が悪くなってきた場合の企業や労働者の権利義務関係についてきちんとつめられていないのではないだろうか。そうでなければ,いくら業績が悪くなったからといって契約満了の前に一方的に「切る」というような,いわば確信犯的な行動を普通の企業が取るとは思えない。これは,企業が良心的だとかそういう意味ではなく(後にも書くがそんなことは全く期待できない),損得の問題として,そんな危ない橋を渡るだろうかという疑問がある。

また,最近は労働者の派遣切りの報道がやけに多いが,労働者派遣法ができるずっと以前から,いわゆるオフィスワークに従事する派遣社員は多数いたし,今でも存在する。そういう人たちも契約満了に達した時点で更新されない例が増えているのは間違いなく,この点では,労働者派遣もその他の派遣も変わりはないはずだ。

非正規雇用者を解雇する企業の行動を批判的に論評する人や記事も少し前からたくさん見られるが,これにはかなりの疑問を感じる。そもそも,派遣社員に代表される非正規雇用の人員を企業が増やした理由は,人件費の「変動費化」というか,景気が悪くなったときに簡単にクビを切りやすいからそういう人を増やしたのではないのか。それはもちろん褒めらるような動機でも行動でもないだろうが,企業とはそもそもそういうものであり,「構造改革」とか,「新自由主義」とか,「ニューエコノミー」などという言葉で目指していたのはそういうことであろう。言い換えると,弱肉強食をできるだけ野放しにし,経済を「活性化」するということではないのか。

非正規雇用者を採用するそもそもの動機が「簡単にクビを切れる」ということにある企業経営者に対し,急に「企業の社会的責任」だとか「倫理」などを訴えてもドロボーに金を盗むなと言っているようなものだ(←この喩えはちょっと無理があるか)。

以前,このブログでも触れた月刊文芸春秋2008年5月号に載っていた記事,「大予測 五年後の『会社と社員』会社はもうかっても給料は上がらない。なぜだ?」に書かれていたと記憶しているが(記憶違いであればすいません。また,ブログのエントリーではその部分は書いていません),先進諸国で正社員とそれ以外の非正規雇用者との待遇格差が一番少ないのはアメリカで,一番大きいのは日本だそうだ。これはつまり,アメリカでは景気が悪くなると正社員であっても簡単にクビを切れるので,それほど差をつける必要がないということであるらしい。逆に日本は(ドイツやその他のヨーロッパ諸国も日本に近いのかもしれないが),正社員が守られ過ぎているからこそ,景気の変動に対応できる,安く使えてクビを切りやすい非正規雇用者が強く求められているという。

上記の記述が的外れでないとすれば,そういう経済にある日本の経営者に非正規雇用に対する人員整理を考えなおせ,といってもそれは無駄なことである。彼らのなかに,守る順番として,正社員(おそらくそれよりも自分たち役員を位置付けているであろうが),契約社員,派遣社員,パートタイマー,という優先順位が確固としてあるからだ。

しかし今後は,紆余曲折はあるにしろ,行く着く方向は「非正規雇用者の正社員化」ではなく,むしろ「正社員の非正規雇用者化」であると思うし,社会正義(?)というか公平さという意味ではそうあるべきだとわたしは思う。

ワークシェアリングということがことがすでに言われだしており,いろいろと批判的な記事を目するが,これについても的外れな批判やサラリーマンをおもな読者とする週刊誌などでは想定読者に媚びているとしか思えないような記事を読んだことがある。

長くなりすぎたのでこのあたりでやめておきます。書く気力が残っていれば次回以降に続きを書くかもしれません。

2009年1月16日 (金)

「FDA版プロモーションコード」発表される

ネットで海外の医薬品ニュースを拾い読みしていたら,FDA版のプロモーションコードのようなものが2~3日前に正式に発表されたことを知り興味を持った。これは正式にはGUIDANCE FOR INDUSTRY: Good Reprint Practices for the Distribution of Medical Journal Articles and Medical or Scientific Reference Publications on Unapproved New Uses of Approved Drugs and Approved or Cleared Medical Devices U.S.と呼ばれるもので,「FDA承認医薬品ならびに医療機器の適応外使用に関する内容を含む医学文献および参考書籍の配布に関する実施基準」とでも訳すのがよいのだろうか。製薬協のプロモーションコードのFDA(米食品医薬品局)バージョンみたいだなあ,という印象を持った。

わたしは知らなかったが,このガイドラインについては一昨年くらいにドラフトが出され,いろいろと議論はされていたらしい。いくつかポイントを挙げると,1) 製薬メーカーのMRは医薬品の適応外使用(off-lable uses)に関する文献のリプリントを配布してもよいが,他の販促資材とは一緒に配布してはいけない。2)配布はしてもいいが,訪問時にMRは医師とその内容について話をしてはいけない。3) 学会など学術的情報交換の場でリプリントを配布するのはかまわないが,販売促進の展示会場や製薬メーカー提供のシンポジウム等での配布はいけない。4)配布するリプリントは査読審査のあるジャーナル(peer-reviewed journals)に掲載された論文でなければならない。5)論文の要約やマーカー/下線などで際立たせた要約などはいけない。6)配布文献で紹介されている医薬品の使用法は,FDAの承認外使用であることを明瞭に記載しなければならない,7)配布している製薬メーカーとその論文の著者との金銭的関係も明確に示しておかなければならない,etc, etcである。

.これだけ読むとかなり厳しい内容だが,製薬メーカー側(Coalition for Healthcare Communicationという組織がある)からは厳しすぎるという意見がある一方,米民主党・下院議員のHenry Waxmanのように,これでは逆に,どんな適応外使用の文献リプリントでも配布できてしまうと批判的立場をくずしていない人もいる。

アメリカでoff-label useの文献配布がこれほど問題にされているということは,実際にはoff-label useがかなり広く行われているという逆の証左といえるだろう。

批判的な見解のなかには,off-label useの論文のリプリントがどんどん配布されれば,地道に臨床試験をして承認を得ようという意欲が製薬メーカーから失われ,FDAの審査を回避しようという動きも出てくる,と警告を発している人もいる。

わたしは海外の医学会議の取材はもう100回近く経験しているが,論文のリプリントなど,展示会場やスポンサードシンポジウムの会場にはいくらでも置いてあったし,そのなかには適応外使用を含む論文も結構あったはずだ。そういうことが今年からなくなるのだろうか。今度米国の学会取材に行くときは,そのあたりの様子も注意して見ていきたいと思う。

2009年1月11日 (日)

今さらですが,新年明けましておめでとうございます

サラリーマンを辞めて最初の正月だったが,昨年までの正月と比べて特に変わったこともなく,あらためて「新年の誓い」などを立てる気持ちにもならなかった。ただ1つだけ,今回の正月は,例年に比べてテレビを見る時間が少なかった。特に,政治や経済・社会問題をテーマとした討論番組やニュース番組はほとんど見なかった。終わってみれば,良い選択だったと思う。「朝まで生テレビ」がその典型だが,そのほかのテレビ討論なども,一旦見始めると,かっぱえびせんを食べ始めたようになかなか途中でスイッチを切れなくなってしまう。出演者の意見に賛成したり反対したり,それなりに興奮しているが,終わるといつもむなしい気分が残る。

一方,年末にかけて買いだめした本も,数冊読めただけだ。ある程度読みきってしまおうと10数冊をカバンに詰め込んで帰省したものの,実家に戻って本ばかり読んでいるというのもなかなかしにくいものだ。

年初に納めなければならない仕事が2つあったので,先週はそれをやっていたらあっという間にもう11日。能率の悪さをつくづく感じている。

ブログのプロフィールページを少し書きなおし,コンタクトのメールアドレスを変更しました。

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