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2009年2月

2009年2月27日 (金)

授業料未納者に「卒業証書渡さない」,ことが「不適切」」なのか?!

今年に入ってからは,医療・医学関連以外のことを書くことが多くなり,「ちょっとメディカル」というタイトルを返上しなきゃいけないかなあという気分になっている。

それでも,授業料未納者に「卒業証書渡さない」通知 島根県教委> という記事が目に止まり,???と疑問符が湧いてきた。

<島根県の8つの県立高校が、保護者向けに「授業料を滞納している生徒に卒業証書を渡さない」と通告していたことが27日、分かった。県教育委員会は「卒業証書を人質に取ったと思われても仕方なく不適切」とし、各校を厳重注意した。>とあるが,どうして学校が厳重注意されなきゃいけないのか。不適切なのは授業料を払わなかった生徒(保護者)のほうじゃないのか。

この8つの高校の1つは安来高校で,記事には,<県教委などによると、安来高校(安来市)は、毎月約10人の滞納があり、今年1月に3年生の約150人全員に「期限までに全額納入がない場合、卒業証書をお渡しできません」との文書を配布。期限までに納入があり3月1日の卒業式では全員に卒業証書を授与する>とある。

残りの7校についてはこの記事では高校の名前は出ていないが,<ほか7校は、平成16年度以降、支払い能力があるのに滞納していた保護者計65人に、口頭や文書で通告。うち1校では18年度、1人に卒業式で証書を渡さず、後日に手渡した>ということだ。

きわめてまっとうな対応ではないのか。この8つの学校の対応のどこに厳重注意されるべきところがあるというのか。

教育委員会がこういう対応をとり,それについて新聞が批判記事ならともかく,一見すると学校側が悪いような記事を書くから,よけいに事の本質が見えてこなくなる。

こんな記事を目にした子供はどう考えるだろうか。まともに育っている人間であれば,高校生にもなれば,「払うべきものを払わなければもらうものはもらえない」ということは理解でき,教育委員会の対応がむしろおかしいことに気づくだろうが,「支払い能力があるのに滞納する」ような親に育てられてきた高校生なら,教育委員会の厳重注意が当り前と信じ,学校の対応を間違っていると思い込むのではないだろうか。

そんな考えに疑問を持たずに高校を“卒業”した人間が結婚し,子どもを作れば,自分の子どもの給食費も授業料も払わず,学校が悪い,と言うに決まっている。

家賃の支払いが滞ればアパートを追い出され,住宅ローンの返済ができなくなれば家を手放さなければならない。電話代を払わなければ通話できなくなり,電気代を払わなければ電気は止められる。こんなあたりまえのことすら教えられなくて,何が学校だ,何が教育委員会だ。

2009年2月20日 (金)

香川県立中央病院の“受精卵取り違え”事故

「香川県は19日、県立中央病院(高松市)で昨年9月、不妊治療のため体外受精をした20代の女性に、誤って別の患者の受精卵を移植した可能性があるとして、約2カ月後に人工妊娠中絶をする医療ミスがあったと発表した」

時事通信が配信したこの記事をYahooのニュースで見たとき、別に驚きはしなかったが、興味は持った。すでに何回か書いているが、わたしも不妊治療に丸5年費やし、3つの病院・クリニックを経て、体外受精(顕微授精)で長男を得たので、「患者」 として不妊治療の現場をそれなりに経験している。(患者を「 」カッコで囲ったのは、いわゆる不妊症をわたしは病気だとは考えていないからだ。これについても、書きたいことはいろいろあるのだが、長くなるので今日はこの問題には触れない)。

わたしたち夫婦が通った3つめのクリニックは、不妊治療の東の横綱とも言われる東京都内の専門クリニックで、その混みようたるやすさまじいものがあった。クリニックのなかには、近くのビジネスホテルの案内や割引クーポンまで置いてあった。これはもちろん、地方から治療を受けにくる人のためだ。

採精室(要するにマスターベーションをして射精する部屋だ。エロ本やエロビデオももちろん置いてある)から出てきて、精液の入った容器を窓口に差し出したとき、どうにも不安を感じたのをいまでも思い出す。混雑している空港でスーツケースを預け入れ荷物として差し出すときのような感じに近いだろうか。

配偶者のほうの採卵は別の部屋で行われ、受精させた受精卵はシャーレに入れられ培養期で数日、育てられる。

わたしの実体験から感じた「現場感覚」だと、相当な数の受精卵や精子を長年扱っていて、取り違え事故が1件も起こらないほうがむしろ奇跡で、今回のようなケースはこれまでにも多数あるはずだ。

不妊治療における、精子や卵、胚などの取り違え事故のリスクについては、すでに以前から指摘されており、最近では「蔵本ウイメンズクリニック」(福岡市)が実施した調査が学会でも発表され話題にになった。

今回の香川のニュースを読んでわたしが興味を持ったのは、時事の記事の最後のほうにある以下のくだりだ。

<香川県によると、昨年9月中旬ごろ、担当の男性医師(61)が女性の受精卵が入った複数のシャーレを培養器から取り出し、作業台の上で発育確認と培養液の交換をした。その際、直前の作業で台に残っていた40代の患者のシャーレに女性のシャーレのふたをして培養器に戻し、数日後に受精卵を女性の子宮に戻した疑いが強いという。>

これを読むと、40代の患者のシャーレに20代の女性(今回、人工中絶した女性)のふたが使われ、40代の患者の受精卵が20代の女性に移植されたことになる。ここがどうも腑に落ちない部分だ。今回の“被害者”が40代で、20代の女性の受精卵が誤って40代の女性に移植され、40代の女性が20代の女性の受精卵で妊娠してしまった、というのなら理解しやすいのだが.....。40代の女性の受精卵と20代の女性の受精卵では、妊娠確率は全然違うはずだからだ。もちろん、20代の女性の受精卵の妊娠確率が高く、40代の女性のそれは低い。

今回人工妊娠中絶したこの女性が身ごもっていた赤ちゃんは、結局は、自分の卵子による赤ちゃんだった可能性も結構高いんじゃないかという気がする。

毎日新聞の記事を読むと、<高松市の香川県立中央病院で19日明らかになった、不妊治療中の体外受精卵の取り違え疑惑。「誰の受精卵か確認できないのか」。治療を受けた20代女性は昨秋、ミスを告げられて人工中絶したが、病院側は中絶の前、出産に希望をつなごうとする夫婦の質問に「6週間後なら分かるが、その時に中絶すると母体に負担が大きい」と説明していた。待ち望んだ妊娠だったのに……。夫婦は3日後、中絶を決意したという。> とある。

確かに、<中絶した時は妊娠9週目だった>とあるので、さらに6週間待ってからであれば、妊娠15週か16週目。遅いほうが医学的にリスクが高いのは間違いないだろうが、少なくとも法律上は21週まで中絶は可能なはずだから、もう少し待ってもよかったんじゃないかという感想を持った。

少し勘ぐると、病院側が、事を穏便にすませたいために、人工中絶に同意するようこの夫婦を誘導尋問的に説得したんじゃないかと思ってしまう。

昨年9月に妊娠し、約2か月後に人工妊娠中絶をしたということなので、中絶をしたのは11月か遅くとも12月初めだ。それがいまになって、<夫は県を相手に約2000万円の損害賠償を求める訴えを高松地裁に起こした>というのだから、病院側の対応になにか不誠実なものや納得いかないものがあったのではないだろうか。

いずれにせよ、いまや国内の総出生児のうち、50人に1人近くが体外受精で生まれているのだから、今後もこのような「事件」はどんどん表面化してくると思う。

2009年2月17日 (火)

確定申告-週刊現代-御手洗会長-フェリス出身の愛人-奥谷禮子

サーチエンジンの検索にひっかかるためにとってつけたようなタイトルだが,確定申告以外は,今日(2/16)発売の週刊現代の記事を拾っただけである。

いよいよ確定申告が始まった。住宅ローンの還付申告ぐらいならサラリーマン時代にもしたことはあるが,個人事業主としての確定申告はもちろん初めてだ。最初から青色申告を申請して,開業当初からかなり入念に準備していたので,提出すべきものは完璧にそろえ,きちんと記入していたつもりだったが,出してみると細かい間違いに気づいた。まあ,そんなことはどうでもいいが,たまに税務署に行くのもおもしろいと感じた。すでに完成済みの申告書提出の列に並んでいながら,自分の順番が来て担当者の前に立ってからやおら記入を始める人がいたり,合計の計算を職員にしてもらう人がいたり,(提出書類の)糊づけを始める人がいたり。挙句の果てには,自分の商売の自慢とも愚痴ともつかない話をうだうだ税務署員に言っている人もいた。もっとも,そういのはほとんどがお年寄りだったが。

わたしの場合,ほとんどの支払い先が所得税を源泉徴収してくるので,支払い調書に記載されている源泉金額をできるだけたくさん返却(還付)してもらうことが確定申告の1番の目的だ。初日に行ったのも,1日でも早く返金してもらうためであり,4月以降にやってくる,固定資産税,自動車重量税,住民税を還付金で支払う算段をしている。自転車操業フル回転だ。

週刊現代の<「御手洗冨士夫会長の親友」と「女子大生フェリス愛人クラブ」>という記事は結構おもしろかった。御手洗キャノン会長と巨額脱税で最近逮捕された御手洗会長の友人,大賀規久容疑者との緊密な関係が詳しく書かれている。ほかにも,国税局OBで鹿島(大賀規容疑者へ裏金を渡したゼネコン)の顧問税理士を務める谷べ(べの漢字,でません)氏や,その他錚々たる「御手洗人脈」が出ている。笑ったのは,大賀容疑者と谷べ氏とが,女子大生愛人クラブの紹介で,フェリスの現役学生(当時),しかも,親友同士の女性2人をお互いの愛人にしていたというくだりだ。大賀容疑者にいたっては,その愛人とのツーショット写真(2000年頃)まで掲載されている(女性の顔はモザイクかけられている)。

しかしなあ。社員の結婚式には出ませんといいながら,「新郎(キャノンの社員)のオヤジ(大賀容疑者)の友人として参加いたしました」と結婚式にも出席して挨拶した「親友」が,キャノンの工場建設をめぐる口利き料の脱税で逮捕されていながら,「容疑が事実であれば,許されることではない。長年の友人関係だが弁護する気もない」と言い切れるとは,流石,経団連の会長にまでのぼりつめた「エクセレントカンパニー」キャノンの会長は図太いと関心した。

奥谷禮子氏については,福田和也氏が平成フラッシュバックという連載記事のなかで書いている。奥谷氏といえば,労働者を甘やかせ過ぎだとか,過労死も自己責任,などという発言で以前から注目を集めているザ・アールという派遣会社の社長だ。最近のNHKの派遣切り問題に関する番組にも出ていた。

派遣社員である以上,契約期間が定められているのだからいつかは契約更新されない日が来る可能性は承知のはず。そういうときに備えて,収入のなかから毎月少しずつでも貯金しておれば,雇い止めになった時点で「お金が300円しかありません」という状況が生まれるはずはない,云々。福田和也氏も書いているが,まさに「正論」(記事には“生々しい正論”という見出しが出ている)。

しかし,このおばさんの発言はやっぱり今の日本の状況では受け入れられないだろう。個人的には奥谷氏のような発言をする人のほうが,例えば,森永卓郎氏のように「貧乏人の味方」姿勢で自分はバンバン稼いている人よりは好感を抱くが...。

2009年2月12日 (木)

“パソコン指腱鞘炎”か,はたまた,糖尿病性神経障害か

数日前から指先がチクチク,ヒリヒリ痛んでパソコンのキーボードを打つのがかなり辛くなっている。ちょっと調べたところ,“パソコン指腱鞘炎”,という言葉があるらしい(正式な疾患名ではない)。わたしの今の症状と似ているような気がするが,ひょっとして,糖尿病性神経障害かもしれないとひそかに恐れている。昨日はほとんど血糖測定器を楽天ショッピングで買いそうになってしまった(直前でやめたが)。

指先用バンドエイドを右の人差し指,薬指,小指に貼って(痛いのはいまのところ右手だけだ),痛みが酷い人差し指と薬指には指サックまで嵌めているが,たいして痛みの軽減にならないうえ,サックをしていると指がごわごわしてキーボードがうちにくい。能率は落ちるし,不自然な力が入るので首や肩までいつもより凝って最悪だ。

サラリーマン時代,健康診断で血糖値の異常を指摘されたことはないが,糖尿病の可能性について不安を感じるのは,親が糖尿病であることに加え,ここ1年の生活が,糖尿病罹患リスクの人体実験みたいだと感じているからだ。

就寝直前の飲食がよくないのはわかっているものの,7時,8時で夕食をとると,そのあと,仕事をする気が失せるので結局,すべて終わってから自宅に帰って真夜中に「夕食」を食べ,酒を飲む。そのまま眠るのでメタボリック街道まっしぐらだ。

明日は糖尿病専門医への取材がある。血糖値でも測定してもらおうか。

2009年2月 3日 (火)

ブログを書く理由-準備体操としてのブログ

昨年1月に独立し,このブログを始めた頃,京都に住む知人から「一生懸命ブログを書いているようだがそんな時間があるならもっと仕事をしろ。自分の家族もちゃんと守れないでいて自分の好きなことをするなんて間違っている」という内容のメールをもらった。フリーランス生活の苦しさを愚痴る内容が多かった頃だ。経済的に苦しい状況は今も変わらないが(苦しいというより不安定な状況というほうが正確だ),このメールをもらったとき,この知人は誤解していると思った。

まず,わたしがブログの更新にかける時間はそれほど長くないし(エントリーの更新は昨年の場合,平均して週1回,月に4~5回だ),ブログを書くのをやめ,その分,仕事に精力を費やしたとしても,収入アップにつながるような変化があるとは考えにくい。

ブログを書く理由・目的は何か。率直に言って,たいした理由などない。強いて言えば気晴らしだろう。恥ずかしいのでカウンター表示をしていないが,アクセス数はわかるので,それほど多くの人に読まれているわけでないことはわかっている。

多少積極的な理由を考えるとすれば,文章を書く準備体操だろうか。わたしの場合,仕事の大半が文章を書くこと(翻訳や原稿執筆)なので,スポーツ選手が準備体操や筋肉トレーニングで体力維持に努めるように,文章を書く「体力」を維持することは不可欠だ。これは「文章力」のことではなく(そんなもの,残念ながらわたしにはない),文字通り,キーボードに文字を打ち込む作業を維持する「体力」のことだ。文章を書くことに対する億劫さの克服,と言ったほうが正しいかもしれない。

いろんな偶然から今のような仕事をするようになったが,わたしは,文章を書くことを自分がそれほど好きでないことは十分知っている。読むのはかなり好きだと思うし,他人の文章の上手い下手,センスのあるなしを見分ける感覚は持ち合わせていると思う。

しかし,自分で文章を書くのは辛い。辛いだけでなく恥ずかしい。他人の文章を読んでいると,「はあぁ?」,「なんじゃこりゃ?」,「なんてへたくそなんだ」と思うことがよくあるが,自分のブログを時々読み返すと,誰もいないのに赤面してしまうことが多い。最近続けて書いた,派遣切りや中谷巌氏の懺悔についての文章をさっき読み返してみて,「~が理解できない。」で終わっている文章が繰り返し出てくるのに笑ってしまった。

2月最初のエントリーがこれじゃあ,このブログもいつまで続けられるやら,先が思いやられる。

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