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2009年9月

2009年9月29日 (火)

ICS 2009 (国際禁制学会)取材

今日からInternational Continence Society(国際禁制学会;ICS)の取材のためサンフランシスコへ行く。昨年,カイロまで行った「おしっこ」の学会だ。この仕事はサラリーマンの時から続いている仕事で,ICSはもう5回目だ。昨年のカイロの取材は,帰国後,猛烈な下痢に悩まされ,そのあとあったフィラデルフィアでの米国腎蔵学会(ASN)の期間中も,ずーっと腹痛&頻便(こんな言葉あるのだろうか)に悩まされた。

今回はサンフランシスコなのでカイロで経験したような下痢の心配はない。新型インフルは注意しなければならないが,これは今や日本にいても同じだろう。

仕事は取材というか,演題の撮影と録音仕事が中心なので,肉体労働が中心で,自分の好みでセッションに出席したり聞いたりする余裕は学会速報以上になさそうだが,まあ,なんとか時間を見つけて,1つ2つは紹介してみたい。

尿失禁や便失禁は介護にも関係してくる重要な問題で,個人的にも興味は強く持っている。

あと,知らない人は知らないのだが,サンフランシスコだけでないが,アメリカの沿岸部は魚介類がうまい。ウニ,イクラなど,寿司を一杯食べこようと思う。アメリカンステーキもきっと食べるだろうが,こちらは最近,胃袋が小さくなって若いころほど受け付けてくれない。

長いフライトは憂鬱だが,直行便で乗換えがないことだけが唯一助かる。

2009年9月28日 (月)

親の介護問題-③:介護施設の人員配置基準から考える施設介護の恐ろしさ

雑誌や本からのきわめて断片的な知識と親を老人ホームに入れた経験だけからの荒っぽい印象でしかなく,不正確な記述がたくさんあるだろうとは思うが,どうしても書いておきたい。

高齢化とそれに付随する介護問題については,在宅介護の能率の悪さや困難さを指摘する意見が多く,介護者が倒れてしまう前に,あるいは,介護者の生活を守るためには,施設(特別養護老人ホーム,有料老人ホーム,その他)介護に頼るのが賢明,とのアドバイスが新聞や雑誌によく出ている。

それはたぶんそのとおりで,今の人口構造や(核家族が大半を占める)社会構造が大きく変わらない限り,選択肢はそれしかないのだと思う。実はもう1つ,医学や医療がもっと進み(あるいは後退し),要介護度の高い人の数が今の1000分の1くらいにならないと,核家族が減り,昔のように3世代同居家族が大半であるような状況に戻っても介護問題は残ると思うが,この方向で書いていくと,これはこれで長くなりそうなので今日はこの方向に話は進めない。ただ,例えば,今の介護認定の基準でいうと,要介護4と5の人がほとんどいなくなり,ほぼすべての人が死ぬ直前まで3くらいまでで留まることができるようになるまで医学や医療が進歩すれば,介護や介護施設の状況もずいぶん変わってくると思う。

介護施設の人員配置基準に話をもどすと,3:1というのが介護施設に求められる最低限の基準らしい(施設の種類によって違いがあるのか,その違いがどの程度のものなのか,そのあたりの詳細は知らない。ただ,いわゆる有料老人ホームとか介護付有料老人ホームの基準は3:1だ)。これは,入居者3人に対し,職員1の比率以上の人員を置かなければならない,ということだ。

もちろんこれは最低基準なので,「高級老人ホーム」などでは2:1やもっと多いところもあるのかもしれない。しかし,それほど金持ちでなく,貧乏でもない,“中流”の経済状態のまま年金生活を向かえた人が入れる有料老人ホーム(=入居金が100万円以下,毎月の支払いが15万円前後 + 介護保険自己負担額)(←これでも毎月20万円/1人,くらいは必要なので,国民年金しか入っていない私のような自営業者にとっては年金ではとても賄えない金額だ)では,基準ぎりぎりの人員配置のところがほとんどだ。

ただ,何も考えないで3:1と聞くと,1:1の専属ではないにしても,3人の老人を1人で世話するのだから,手厚い介護とまではいかないにしても,まあまあかな,という感想を抱かないだろうか。私も最初はなんとなくそう思ってしまった。

しかし,この3:1というのは,施設の入居者全体に対する3:1であり,しかも,24時間,1年365日でこうなのだ。さらに,この職員の数には実際には介護の実務をほとんどしない事務職員などの人数もカウントされるらしい(このあたり,正確なところは不勉強なので誤解があるかもしれません。また,この職員のうち,入居者20人に対しては看護師資格を持つ者が1人以上いなければならない,など細かい規定がある)。

これを1日8時間労働として,3交代勤務すれば,3:1はたちまち9:1になり,さらに,事務職員や管理職(=実際上,介護スタッフとしてカウントできない職員)まで3:1の1に含まれているとしたら,3:1の人員配置では,実際には10人以上の高齢者(要介護老人)の世話を1人の介護スタッフがやっているということだ。(現状では,ほとんどの介護スタッフの人が8時間どころか10時間や12時間などの長時間勤務についていると思う)。

自宅介護と施設介護を“人員配置”だけで単純に比較することはもちろん適切でないだろうが,それでも,自宅介護は通常,1(被介護者):1(介護者),あるいは,場合によってはそれ以上の“スタッフ”(介護者 = 家族や血縁者)がいる状態に近い。少なくとも,大家族が中心で,お嫁さんや子どもが年老いた親を介護していた場合,マンパワー的には,1:1どころか,1:2とか1:3もありえたかもしれない。

(以上,非常に粗っぽい記述であることは承知しているが,今はこれくらいしか書く気力がない)。

実際は介護スタッフの質(非常にバラツキが大きい)や入居者(被介護者)の心がまえというか覚悟あるいは性格,家族(施設に入れた子どもなど)の態度,など,さまざまな要因が変数となって,介護の質(あるいは介護に対する満足感/不満足感)はさらに大きく変動するのだろうが,人員配置基準(マンパワーの数)というサービスのいわば土台のところで,すでに無理があるのが現在の状況だと思う。

施設に親をあずけるということは,自宅で誰かが面倒を見ていた状態に比べると,3分の1~10分の1以下のマンパワーによる介護環境に放り込むということであり,やはり残酷なことだ。そういう残酷なことをしている今の自分がやりきれない。

2009年9月23日 (水)

親の介護問題-②:「有料老人ホームがあぶない」(花伝社)を読みました

17日(木)にデンバー(ASBMR)から帰国。シルバーウィーク(ゴールデンウィークとの対比で使っているのだろうが,こんな言葉いつから出来たのだろう?)のうち,昨日(22日)まで,関西に帰省していた。8月末に両親をとうとう老人ホームに入れたが,これで一件落着となるかというと,そうは簡単にいかないようだ。年をとればとるほど人間は新しい環境がストレスになるし,自分の家にいるのと比べて居心地がよくないのは当然だからだ。自宅で面倒を見てもらえることを自明のあるべき状態と考えている相手に対して,どんなにきれいごとを並べたり説明をしても,「姥捨て山に放り込まれた」 という反応は避けられない。

以前も書いたが,介護問題は今後15~25年の日本が対応しなければならない最も大きな課題だと思う。最も大きな課題の1つ,ではなく,文字通り,最大の課題という気がする。何故なら,介護問題には非常に多くの要素,側面があり,その問題の入り口により,医療問題であり,福祉問題であり,少子化問題であり,住宅問題であり,経済問題であり,外交問題にもなり得るからだ。

「有料老人ホームがあぶない--崩壊する高齢者住宅事業」(濱田孝一 著,花伝社)という本を読んだ。高齢者住宅施策の観点から介護や介護保険の現状や課題を説明した本で,非常にためになりおもしろかった。ただ,親や家族の介護問題に直面していない人がいきなり読んでもピンとこないのではないかと思う。今年は介護保険が導入されて10年目にあたるそうで,その間に,コムスン(グッドウィルグループ)の破綻をはじめ,多くの“事件”が発生しているが,後期高齢者(75歳以上)人口は2025年まで急激に増加することを考えると,これからが本当にたいへんな時期になるだろう。

有料老人ホームがあぶない―崩壊する高齢者住宅事業

この本は,タイトルだけみると住宅問題のみを取り上げた本のような印象を与えるかもしれないが,実際は介護問題全体を扱っている。本書の内容は豊富で,私にはうまく紹介できないが,<(介護や介護住宅に対する)需要が高くなるということと,事業性が高いということは,基本的に違います。>(49ページ)という指摘は非常に本質的で重要な指摘だと感じた。同様の記述はこの本のほかのページにもあったと思うが,ようするに,介護サービスや介護施設(住宅)を必要とする高齢者の数が増加することは100%確実であるが,「だから需要がある,儲かる」というような気持ちで参入すべき業界ではないということだ。

労働集約型のサービスの典型である介護を社会問題化させずに,うまく解決していくためには国全体として途方もない知恵と努力が求められる。自分の親に対する対応や,今後の自分の家族,自分自身のことを考えるだけでも,わたしは足が竦み,頭がクラクラするというのに。

2009年9月16日 (水)

米国骨代謝学会(ASBMR 2009)-疲れたぁ

初日の予想通り,仕事のための取材と原稿書きだけで手一杯で,そのほかの発表を聞いている余裕はなかった。ただ,14日(Mon),8:00amからのPLENARY SYMPOSIUM III-40TH ANNIVERSARY OF BISPHOSPHONATES - YESTERDAY, TODAY AND TOMMORROWの最初の3人の講演だけは聞いてみた(早く会場に着いて取材するポスターがまだ貼られていなかったため)。

University of OxfordのR. Graham G. Russell氏は,ビスフォスフォネート(BP)発見から開発の歴史などを紹介し,これはこれでおもしろかった。BPの骨関連疾患に対する治療薬としての可能性を示唆した最初の論文は,1969年のScience(Vol. 165)だそうで,このことから,1969年がBirth of Bisphosphonatesの年とされているそうだ。1969年の7月20日にはアポロ11号が人類初の月着陸に成功した年であり,その年がBP誕生の年とされているのは偶然とはいえ興味深い。

もっとも,ビスフォスフォネートに近い化合物は1860年代には合成されており,非常に安定した化合物だそうだ。“Pyrophosphate is the body's natural water softer”と言っていたと思うが,inhibition of VD deficiency induced calcification(ビタミンD欠乏症による石灰化)の抑制に効果がることなどがかなり古くから知られていたという。

Scienceの論文からわずか2年後の1971年にUniversity of Bernの解剖学者,Robert K. Schenk教授らが,Paget病患者に対してBPを使用した論文が発表され,BPのClinical Publicationとしてはこれが最初だという。Scienceの論文からわずか2年で臨床論文が出たことになる。(そのほかまあ,いろいろ話していたが,私のメモと記憶力ではこれが限界)。

2番目にUniversity of AberdeenのMichael J. Rogers氏が,“Cellular & Biochemical Actions: Knowns and Unknows”というタイトルで講演を行ったが,この話はもう私の理解を超えており,メモを取るのはやめてしまった。1つだけはっきり覚えているのは,BP誕生の年である1969年に私はまだ1歳だったと言ったRogers氏の言葉だ。ということは41歳じゃないか!若い!。BPとは全然関係ないところでショックを受けてしまった。

3番目はIndiana University School of MedicineのLilian I Protkin氏が,“Novel Bisphosphonate Actions on Bone: Preservation of Osteocyte and Osteoblast Viability”という講演で,この発表は少し内容が理解でき,興味もひかれた。BPによる骨吸収抑制作用(remodelingの抑制)と骨密度(BMD)増加作用だけでは,BP製剤で証明されている骨折予防効果が説明できないことはしばらく前から言われており,日本では骨質などという言葉でBMD以外の骨の強度を説明している(その中身については実際のところはよく解明されていないのではないかと思っているが)。BP製剤は,osteoclast(破骨細胞)に対して作用するだけでなく,osteocyte(骨細胞)やosteoblast(骨芽細胞)にもいい影響を与えているらしい。そこで,remodelingの抑制をあまりしないほうがよい,骨疾患に対する治療薬というものの研究が進んでいる。

その1つがIG9402というもので,(今ネットで調べたら,“amino-olpadronate (IG9402), a bisphosphonate that does not affect osteoclast activity, also exhibited anti-apoptotic properties on osteocytic cells. ...という説明文に遭遇した),Protkin氏は,この化合物についていろいろと説明しており,関心を持った(「いろいろと説明」と小学生の作文のようなことしかかけないのが情けない)。

2009年9月12日 (土)

ASBMR2009の報告はこれだけ(たぶん)

9日の夜,デンバーに到着。今日(11日)から学会が始まったが,今回はどうもこのブログに書いている時間がなさそうだ。契約仕事は今日の夕方のPresidential Postersからだったので,朝からのPlenary SymposiumとかMeet-the-Professorsなど,タイトルだけ見ると聞いてみたいものがいくつかあったのだが,時差ボケを修正できなくて,夕方近くまで眠ってしまった。最終日(15日)の午前中(午前で終わる)のみ,うまくすればフリーになるが,前日の仕事がタイトなので,どうも今回は勉強のための聴講はできそうにない(聴講しても勉強になっていない場合が多いが,それは別問題)。

というわけで,何も載せないのもつまらないので,コロラドコンベンションセンターの名物クマの写真を会場外からと会場の中から撮った写真でもアップしておこう。あんまりおもしろい街という印象はないが。

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2009年9月 9日 (水)

米国代謝学会(ASBMR 2009)取材

今日から米国骨代謝学会(ASBMR)取材のためデンバーへ行く。昨年に続いての取材だが,準備(勉強)不足で自信がない。今年は前半に海外取材の仕事がなかったのでこれが初めてとなる。30代くらいまでは海外出張が好きで,飛行機などフライト時間が長いほど喜んでいたが,50近くになると長時間フライトがつらい。

今回も学会速報の仕事なので,クライアントとの契約仕事以外で,自分の興味で聞ける演題はほとんどないかもしれないが,仕事が本格的に始まる前の初日や一段落ついた最終日などに出席できるセッションがあれば聞いてみようと思う。

デンバーは初めてだが,どこにあるのかも定かでない。ASBMRはオーランド,ニューオリンズ,シカゴなどといったおなじみの都市でないところで開かれることが多い(昨年はカナダのモントリオール)ので,その点もおもしろいのだが,デンバーにはあまりわくわくした気持ちを抱けない。ま,仕事だからそれでいいのだが。

2009年9月 4日 (金)

麻生総裁に責任をなすりつけようとしている自民党議員らの愚かさ

早いものでもう9月だ。8月は週刊誌好きのわたしとしては,興味深い出来事がいっぱいあった。押尾学,酒井法子の覚醒剤事件,大原麗子さん死去,新型インフルエンザの拡大,総選挙,etc., etc.。

総選挙に関しては民主党の勝利は選挙前から誰もが予想していただろうが,300議席越えを確信できた人はあまりいないんじゃないだろうか。後講釈で「私(われわれ,本紙,本誌)は予想していた」と言っている(書いている)のは見かけたが.....。

政治に多くを期待しているわけではないが,今回の選挙は私も民主党に投票した。よく言われるように,積極的な民主党支持ではなく,完全に,アンチ自民・アンチ公明,が理由だ。

今回の選挙が,日本の復活の始まりになるのか,日本の崩壊の加速になるのか(崩壊の始まりではなく加速と書いたのは,実際には,すでに崩壊は始まっていると思うからだ),それはまだわからないが,自民党の凋落だけはもうどうしようもない気がする。以前も書いたが,自民党の議員さんは自分たちの行動がどう見られているが,どう映っているかについて,あまりにも鈍感過ぎる。

選挙前からの「麻生おろし」のごたごたもうそうだが,ここにきて,また,こんな記事を見た。

「自民党執行部は4日午前、16日の特別国会での首相指名選挙で、これまでの麻生太郎首相(党総裁)で投票する方針を転換し、白紙投票とする方向で調整に入った。麻生首相への投票に、若手からの反発が強く、「名前を書かせるのは難しい」と判断したものだ。8日の党両院議員総会で最終的に決断する方針だ。」

この記事など,わたしには全く理解できない。若手からの反発が強く,の若手というのがどういう人たち(石原伸晃とかあのあたりか?山本なんとか河野太郎とかのことか?)なのかわからないが,どうせ鳩山由紀夫が総理に当選するのは決まっているんだから,どっちだっていいじゃないか。そんなに麻生と書くのがいやなら,16日以前に新しい自民党総裁を決めればいいわけだし,それまでに決まらなければ麻生のままで首班指名をして投票すればいいだけだ。国民には全く関係ないことだ。

自民党議員や自民党党員にはこだわりのあることかもしれないが,国民の多数の票を得られなければ選挙に勝てないという,そもそものところを全く理解していない。(公明党の敗北の原因にも共通の部分がある。創価学会頼みではもう無理だよ)。

「いい悪いは別にして」(←,これ,田中角栄の秘書だった早坂茂三の口ぐせ。30分のテレビで10回以上は必ず言っていた。わたしは大嫌いだったが),国民に嫌われたら民主主義で政治はできない。ポピュリズム。しかし,国民もそんなにアホではない。いや,アホな部分もあるが,自分たちの党のなかでの猿芝居をどう見られているか,それに気づかない議員さんたちほどはアホではない。

麻生氏が首相として多くのチョンボをやったのは間違いない。しかし,例えば今回の選挙の大敗の責任として,総理を途中投げ出した①安部,②福田や,③解散直前になって麻生を引きずりおろそうとした中川一郎,与謝野,武部らと麻生総裁のどちらが大きいか。わたしは①~③のほうが大きいと思う。

ちなみに,わたしは麻生氏のように,生まれ・育ちのよさ,自分のエリートとしての立ち居振る舞いを隠さない(隠せない)人は嫌いではない。麻生氏が初めての衆議院選挙に出たとき,選挙カーの上から「下々のみなさん」と挨拶したそうだが,これなど笑える。それに比べて,田中眞紀子のように,なに不自由なく,チヤホヤ育てられた人が「庶民ずら」しているのがわたしは一番嫌いだ。

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