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2010年2月

2010年2月20日 (土)

上村愛子の涙に感動

バンクーバーオリンピックが始まってすでに1週間。時差の関係で見たい競技のLive中継時間がほとんど「勤務時間中」になってしまうので,あまりテレビを見られない。自営業者の特権として,勤務時間など無視して,テレビ中継の時間は家にいてテレビを見ていればいいのだが(仕事場にはテレビを置いていない),ここ一ヵ月間,取材等で外出が続き,それも適わない。

上村愛子選手のモーグル4位はやっぱり「惜しい!」と言いたくなってしまう。メダルを逸したことを残念がるのは失礼という考え方もあるが,本人が一番悔しい思いをしているのだから,やはり,「残念だったね」,ということは仕方ないだろう(わたしが本人にそうつたえるチャンスはまったくゼロだが)。

今回の決勝では,雨で雪がベトついていて,それが体重の軽い上村選手(というか,すべての日本人選手)には不利に働いたという記事を読んだ。そういう雪質の場合,体重が軽い選手はスピードが出ないらしい。そういえば,上村選手はスピードに乗れなかった,という文章もどこかで読んだ。

上村選手は長野の出身と思っていたが,実は兵庫県伊丹市出身で,心房中隔欠損症で生まれたため,ご両親が空気の良い長野県に引越したということも今回,新聞(か雑誌)で知った。その後,学校でイジメにあい,それを回避する目的も兼ねて,お母さんがカナダ(しかもバンクーバー)にスキー留学させたのだという(心房中隔欠損症は自然治癒)。当時はまだ,アルペンスキーの選手をめざしていたそうだが,カナダでモーグルを目にし,その後,モーグル選手としての生活が始まる。

オリンピックでのメダルに縁はなかったとはいえ,それ以外は順風満帆の人生を送ってきたのだと思っていたので,この話には驚き,感動した。

ジャンプの葛西選手は同じオッサンとして応援していたが(とはいえ,あちらのほうがかなり若い),ノーマルヒルは全然ダメだった。まだラージヒルは残っているが,オッサンといえば,もう1人のベテラン,岡部はラージヒルにも出られないそうで,もし団体戦からもはずされたら,これ以上の残念はないだろう。団体戦だけでも出させてあげてほしい。

高橋大輔選手のフィギア,銅メダルも感動ものだ。これは,昨日の午後1時~3時くらい(日本時間)に結果が出たが,その間,仕事場でパソコンの前にいながら,結局,仕事ができなかった。ネットのニュースを更新ばかりしていた。仕事をしないという意味では,家に帰ってテレビを見ていてもまったく同じだった。なにをやってんだか。

2010年2月14日 (日)

バンクーバーオリンピック-結構楽しみにしている

冬のオリンピック(バンクーバーオリンピック)がいよいよ始まった。普段スポーツはまったくしないのに,夏冬とも,オリンピックは結構好きだ。死ぬまでには一度,生でオリンピックを見に行きたいと思っている。

スノーボード・ハーフパイプ(HP)の国母和宏選手が服装のみだれを指摘され,厳重注意を受けた件は,どうもよくわからない。連盟に抗議の電話が入ったということだが,Webにアップされている写真を見る限り,それほど大げさに騒ぐほどのことでもないんじゃないかという印象を持った。もっとも,ネットのあるニュースによると,国母選手らは4年前のトリノ五輪のときも<メダルを期待されながら惨敗に終わった国母ら男子HP勢は、服装も乱れ選手村での生活態度も悪かった>ということだが............。

バンクーバーオリンピックでわたしが応援しているのは,モーグルの上村選手,アルペンスキー(回転)の皆川選手,ジャンプの葛西選手,そして,フィギアの浅田選手。モーグルはまもなく始まる(もうやっているか?)ので早く家に帰らねば。

2010年2月13日 (土)

盛岡冷麺と雪祭り

100210_001_5  盛岡に行く仕事があり,久しぶりに盛岡冷麺を食べた。美味しかったのだが,酔っ払っていたこともあり,量を考えずにキムチを大量に入れたので,その夜から明け方にかけて,“辛子性の下痢”(?)になり苦しい思いをした。正露丸を買い,倍量(6粒)を1度に飲み,無理やり押さえ込んだが....。

冷麺というのは不思議な食べ物だ。あのゴムのような食感は人によっては抵抗を感じるかもしれないが,わたしは意外に好きだ。スープもたいがいはおいしい(たいがい,といっても,盛岡で冷麺を食べるのは今回で2回目でしかない)。一緒に入っているスイカあるいはリンゴなども,酢豚に入っているパイナップルに比べれば全然OKだ。

100210_002_3 盛岡の駅前では,しょぼい雪祭りが開催されていて,生まれてはじめて,かまくらの実物を見た。なかにも入ってみたが,暖かいというのは本当だった。

1~2泊のこういう国内出張は,あまり疲れないし,プチ旅行気分が味わえるのでちょ っと嬉しい。

2010年2月 9日 (火)

再生医学/再生医療は人類を幸せにするか?- ES細胞やiPS細胞の最近の話題から感じること

まったく大それたタイトルをつけてしまったが,それほど大したことを書こうと思っているわけではない(書けるわけがない)。

今年に入って再生医学(ES細胞,iPS細胞)関連の国際シンポジウムの取材があり,来週も同様のテーマで,ある研究者を取材する仕事があるのだが,相変わらず 「高度なテーマに乏しい知識」,つまり 「知識の自転車操業」のペダルを踏み続ける毎日だ。

取材したシンポジウムというのは,1月に大阪の千里ライフサイエンスセンターで開かれたもので,日本からは京大の山中先生,慶応の岡野先生といったトップランナーの講演があり,米国,カナダ,オーストラリアから4人が招待演者としてきていた。

どちらかというと啓蒙のためのシンポジウムなので,特段新しい発表はなかった(と思う)のだが,印象としては,ES細胞の研究のほうがiPS細胞より進んでいる,ということだ。これは,まあ当然といえば当然で,倫理的な問題や臨床応用したときの“拒絶”の問題を除けば,ES細胞のほうが操作しやいだろうことは推測できる。

テクニカルなことは理解できない部分が多いのだが,印象に残ったのは,カリフォルニア大学アーバイン校・准教授のHans S. Keirstead氏が講演の最初に言った「Commercially viableでなければClinical applicationはできない」という言葉だ。ようするに,ビジネスとして採算がとれなければ臨床応用の実現はできない,ということで,当たり前で誰でもわかっていることだが,iPS細胞やES細胞の臨床応用に立ちはだかる一番の課題だろうと思う。

再生医学などの研究で,iPS細胞の樹立は日本が先陣を切ったが,その後の研究スピードは特に米国に比べて日本は遅れている,というのが,研究者やメディアでの共通認識だと思う。それはたぶんそのとおりなのだろうが,米国ではさきのKeirstead氏の言葉にあるように,ビジネス化することに狙いを定めて投資なり研究のテーマ選択をしている人が多いし,そのことをまったく悪びれずに隠さないので,そもそものスタンスが違うような気がする。

今後,再生医学/再生医療の実用化がどのくらいまで進むのかはわからないが,健康保険でカバーされるような誰でも受けられる医療には当分(ひょっとしたら永遠に)ならないのではないだろうか。

米国との比較でいうと「がん難民」という言葉が時々使われ,そういうときにきまって言われるのは「日本では薬の承認が遅いので海外で使われている“新薬”が日本の患者さんには使えない」というようなことだ。しかし,米国であっても,高価な新薬を使えるのは,とんでもない高い民間保険に加入している人などに限られている。そもそも,現時点で米国には,公的保険としてはメディケアとメディケイドしかなく,一般の人が入っている保険も,安いHMOの保険から青天井の高い保険まで,ピンきりである。

ところが,「がん難民」などという言葉で,日本の新薬承認状況を批判的に述べている記事などは,がんの新薬を保険適応して,どんな治療でも,自己負担額が高額医療費の限度額までで使えるようになるべきだ,と言っているような印象を受ける。今だって,自費で個人輸入するつもりなら,承認されていようがいまいが,どんな薬でも使える(投与に協力してくれる医者がいなければ実際には使えないが)し,事実,闘病している人でそういう人は少なくないはずだ。

なにがいいたいかというと,再生医学/再生医療についても同じで,研究はこれからも加速度的に進むだろうし,ひょっとしたら,いまでは考えられないような治療が本当に実現するかもしれないが,それが,われわれが普通に払っている公的保険(健康保健や国民健康保険)の支払いだけで受けられるようになるのは,おそらくないだろうということだ。

特に,生の細胞を扱う再生医療は,どんなに技術が進んでも,効率化には限界があると思う。パソコンや液晶テレビであれば,作れば作るほど,値段はどんどん下がってくる。はたして,iPS細胞やES細胞を使った再生医学/再生医療でそういうことが可能だろうか。

米国は,再生医学/再生医療の研究を国家プロジェクトとして推進しているから,日本もそれに遅れてはならない,もっと研究費をつぎこんで,官民一体でどんどん研究を加速すべきだ,というニュアンスの発言を読んだり聞いたりすることがときどきあるが,そういうことを言う人(研究者,役人,メディア)は,将来,どこまでの臨床応用が実現でき,それは,どれくらい多くの人に普及させることができるのか,そのようなことを少しでも考えているのだろうか。

 実はわたしは,がんに対する“細胞免疫療法(治療)”という,相当以前から期待されながら,なかなか“標準治療”になることができない医学分野の仕事も時々しているのだが,最近,それに関連した座談会の仕事で,某大学の教授(婦人科)が「いま,大学が生き残っていくためには,再生医療をやらざるをえない」というような内容の発言をしたのが妙に記憶に残っている。

結局,再生医学/再生医療研究も「流行り(はやり)」でしかないのか。研究者が研究費を確保するためのテーマでしかないのか,と失望感を覚えた。

また,とりとめのない文章になってしまった。

2010年2月 2日 (火)

「近いうちに一杯」のカラ誘いはやめたい

早いものでもう2月。今年の1月はとてもバタバタしていた気がする。といって充実していたわけではない。時間の感じ方について以前どこかで「充実した時間はその最中は長く感じないが,終わってみると豊富な体験や思い出が残り,達成感を感じる。一方,退屈な,もしくは徒労感の多い時間はその最中は非常に長く感じられるが,終わった後に振り返ってみると,中味がないのでもうこんなに時間がたったのかと感じる」というようなことを読んだ記憶がある。

小学校のときの遠足などが前者の感じだろうか。会社でやるべき仕事がなく暇にしている勤務時間とか,無為に過ごした日曜日,などは後者の時間経過か。年をとるにつれて「もう年末か」と思うのもさしずめ後者の例だろうか。もっとも,若いときと年をとってからの時間の感じ方の違いは,新陳代謝の差も関係しているらしいが。

わたしの1月はどちらかというと後者に近かった気がする。とはいえ,仕事では結構忙しくしていたので,無為に過ごした1か月というわけでもない。

話題をガラッと変えて,「今度一杯やりましょうよ」とか,「近いうちにメシでも食いましょう」などと誘ってしまって,そのままにしていることというのは意外に多いのではないだろうか。その逆ももちろんあり,そのような誘いを受けながら,実際にはまったく誘ってこない人も少なくない。

わたしは相当以前(20年くらい前かも)から,上記のようなカラ誘いは厳に慎むべし,という考えで,本気でないのに気安く人を誘うのはやめよう,と自戒してきたつもりだが,それでも,やってしまっている。しかも,自分でやってしまうくせに,そういうことに敏感になっているので,自分が人からそういうことを言われたことは妙に覚えていて,それを人の評価の一部にしてしまっているところがある。

昨年の11月から12月にかけても,わたしの方から,年明けに会いましょう,と気軽に言ってしまった(口頭,メール,あるいは年賀状で)人が3人いて,そのうちの1人とは実際に飲んだが,2人はまだ誘っていない。これはいかんと思い,たったいま,2人目に誘いのメールを出したところだ。3人目にも近いうちに連絡しようと思っている。

もちろん,こちらが思うほどには相手は覚えていない(当てにしていない)ことのほうが多いだろうし,ましてや,期待などされていないのかもしれないが,時々,ほとんど枕詞のように「こんど一杯」などという人がいると,どうも気になる。

牽強付会かもしれないが,政治家の本気でない「公約」や「マニフェスト」にも共通したものがあるのではないだろうか(この喩はちょっと飛躍し過ぎか)。

共通するところがより多いのは,仕事の締め切りかもしれない。そういえば,編集者として会社に勤めていたとき,ただの一度も締め切りを守らなかったライターさんがいたが,彼は会うたびに「今度,一杯やりましょう」と言っていたな。

ここまで書いてきて,ふと我に返ってしまった。締め切りの近い原稿がまだ全然できていないではないか。ヤバイ。これでは,わたしも件のライターさんと同じになってしまう。

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