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2010年9月

2010年9月26日 (日)

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に-第1回

“読書と翻訳”というカテゴリーを作ったものの,このカテゴリーのエントリーが全然増えていないことに気づいた。そこで,

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に

というシリーズ連載を開始することにした(^_^;。

第1回とは書いたものの,これが最初で最後になる可能性は少なくない(が,ひょっとしたら書き続けるかもしれない)。

取材原稿を書く一方,翻訳の仕事(95%は和訳)やほかの人が訳した翻訳原稿のチェック・校正などもしているが,「その訳はありえんだろう」と言いたくなることが多い。ほかの人の翻訳原稿にケチをつけたくなるのは人間の性みたいなものだが,自分で翻訳をやっているときでも,“ありえん訳語”や“ありえん訳文”しか書けないときがままある。そういうときは,たいてい,原文(英語)のへたくそさや曖昧さを貶したくなってしまう(だが,多くの場合,もとの英語がへたくそであることが原因というよりも,自分が英語を正しく理解できていないことが“ありえん訳語”の原因であることのほうが多い。あるいは,”理解した”英語の意味・概念を適格に表す日本語の語彙や表現力を自分が持っていないということだ)。

前置きが長くなったが,日本語にしにくい英単語や言い回し,フレーズは多い。そういう”英語的表現”の意味を適格に捉えて(=意味を正確に理解して),それを自然な日本語にうまく訳すことができたときが,翻訳の醍醐味なのだと思う。

無理やり武道に例えてみると,合気道という武道があるが,あれは,タイミングや技が完璧に決まったときは,本当におもしろいように相手を投げ飛ばすことができるそうだ。翻訳(や通訳)の場合,あらゆる面においてドンピシャりの訳が出てきたときが,そんな感じではないだろうか。

前置きが長くなったが-と,2段落前にと書いていながら,まだ前置きが続いている。

医学英語(文献や医学ニュースの英語原稿)を日本語に訳していて(あるいは,人の訳したものを見聞きして),「その訳はありえんだろう!」と感じることを書いていきたいと思う。

さて,第1回は,major という単語。

major depression 大うつ病,major bleeding 大出血

major depression = 大うつ病,は 出版されているDSMの本にも大うつ病となっているが,わたしの理解が間違っていなければ,major depressionとはもっとも一般的なふつうのうつ病のことのはず。あるいは,もっとも上位概念というか,広い意味でのうつ病。

major bleedingは,実はいまある原稿を読んでいて,その訳として大出血,となっていたのだが,「その訳はありえんだろう」と心のなかで叫んでしまった(そして,このブログエントリーを思いついた)。

そこで,あるネット上のEnglish Dictionaryで検索してみると,majorの意味として,いろいろな説明が出てきた。ただ,そのなかの1つ,“of or pertaining to the majority: the major opinion”を読めば,上記2つのmajorは,大・小とか,症状の重い,低いを意味しているのではなく,“もっとも一般的な”,“一番多い”,とか,“もっともよく見られる” “よく起こる” といった意味であることがわかる。

ただし,major bleedingのほうは,文脈次第では本当に大出血の場合もありうるかもしれない(でも,その場合はsevere とか heavy のほうが正しいのではないだろうか。)....。

ちなみに,major depression = 大うつ病 は,すでに用語として“定着”してしまっているので,わたしも仕事で訳さなければならないときは,ヘンだなと思いながらも,ほとんど機械的に大うつ病,としている。このように,その訳はちょっとおかしい,なんかヘンだ,と思われるのに,そのまま正式用語,として定着してしまった訳語というのは結構たくさんあるように思う。

2010年9月25日 (土)

ディズニー・オン・アイス2010を観てきました-おもしろいか?

先週の日曜日,さいたまアリーナで,ディズニー・オン・アイス2010 「ミッキー&ミニーのファンタジーツアー」を見てきた。この日は埼玉県内のトヨタ系列のディーラーの貸切で,わたしも,カーディーラーでもらったハガキが当たったから行ったわけだが,ディズニーのつまらなさを確認しただけだった。

タダで鑑賞させてもらって文句を言うのはどうかと思うが,このショーの日本公演は今年で25回目だそうで,よくもまあ続いていると不思議に思った。

昔なら“おじさん”というよりも“おじいさん”に近い年齢になっていながら,ディズニーがおもしろいと言うほうが気持ち悪いが,連れていった子ども(小学1年生と幼稚園の年中)も途中からつまらなそうにしていたので,年齢のせいばかりでもあるまい。

ようするに,ディズニーアニメのいろんなキャラクターを氷の上に出してきて,歌ったり,踊ったりしているだけで,たいしたストーリーはない。

そういえば,ディズニーランドのパレードというのも,もっと若い頃も含めて,おもしろいと感じたことがなかったな。感受性が鈍いのだろうか?

それにしても,ポップコーンが1400円とはどういう値段設定だ。タダ券をもらったから電車賃だけで家族サービスができると思って行ったのに,食べ物や飲み物などで結構な出費になってしまった。

2010年9月23日 (木)

学会取材-第34回 日本自殺予防学会

9月10日(金)に日本自殺予防学会を取材した。場所は大妻女子大学千代田キャンパス。会議は9日(木)~11日(土)の3日間だが,わたしが出席したのは10日(金)のみ。

この学会を取材するのはもちろん初めてなのだが,驚いたのは今年で第34回,ということ。1998年から12年連続で自殺者数が3万人を突破しているが,毎年1回開かれているとして,この学会は1976年頃にできたことになる。

自殺予防学会だから出席者には,精神科とか心療内科,一般内科の医師やメンタルヘルスに関わるコメディカル(臨床心理士)などが多いようだったが,救急のドクターもけっこういて,意外だった。しかし,これはちょっと考えると意外でもなんでもない。自殺企図者に日常,もっとも多く接しているのは救急のドクターだからだ。

最近の自殺者は,同居家族がいる人のほうが多いことも知った。これもちょっと意外だった。

ランチョンセミナーは,横浜労災病院勤労者メンタルヘルスセンター長・山本晴義氏の講演を聞いた。メール相談や電話相談で年間1万件(メール6000件,電話4000件程度)の自殺相談に乗っているという精神科/心療内科の先生で話は上手だ。甲高い声の綾小路きみまろ,みたいな話し方で,聴衆の笑いをとっていた。

メール相談の事例を紹介し,自分の返信メールなどを示しながら,メール相談を始める前の懸念事項(診察せずに診断したと判断され,医師法に抵触すると心配する声もあったようだ)や,回答に苦慮した点,などを話していた。

そのほか,自殺の実態調査のポスター発表や自殺予防対策を議論するシンポジウムなども閲覧した/聞いたが,結論を読むと/聞くと,いずれも隔靴掻痒の感がぬぐえない。自殺の要因は非常に多く,それらが,多次元に絡まっているからだろう。

2010年9月22日 (水)

観音ボクロはやはりご利益あるのか-菅直人の大勝

民主等の党首選は,菅直人の「大勝」に終わったが,やはり,彼のように大きな観音ボクロを持っている人間は運が強いのかなあ,とつくづく思った。

もっとも,議員票で小沢一郎とほぼ拮抗していたし,サポーター票も実際のポイントよりも票数では差が小さかったようだ。

わたしは菅直人は嫌いなので,どちらかというと小沢一郎が勝って首相になるのもおもしろいと思っていたが,まあ,目先の2~3か月だけを考えると,今回の改造内閣のほうが国民としては安心かもしれない。もっとも,来年3月の予算決定の頃までには,いろいろな動きがありそうで,どちらにしても,あまり明るい未来はみえてこない。

政治とか政治家,役人に対する期待を日本人はもっと低くするべきだと思う。無関心はよくないと思うが,これこれしてくれるから(してくれたから)票を投じる,という人が減らない限り(ま,人間はそんなもんだし,それが民主主義かもしれないが),どう考えても,日本はお先まっくらとしか思えない。

菅直人の観音ボクロは総理の地位を守るというご利益を彼にもたらしたが,それは,彼一人が享受しただけで,日本国のための観音ボクロとはどう考えてもならなさそうだ。

2010年9月21日 (火)

「社内公用語」や「学会公用語」を英語にすることはムダな気がする

(前回の続き)

社内公用語や日本の学会でのofficial languageを英語にしても,社員全体,あるいは学会員全体としての英語によるコミュニケーションスキルの向上にはおそらくつながらないと思う。いくつかの角度から理由を書いてみる。

①最後は日本語に頼ることができる(逃げる余地がある):前回書いたように,楽天でも日本の学会でも,「日本語で失礼します」「日本語で質問していいですか」という逃げ道があるから,結局,コミュニケーションができないということはない。

もし,無理やりに日本語厳禁,とやった場合,1)ジェスチャーなど,非言語的手段(しかも,おそらくきわめて日本語的なジェスチャー)を使ってコミュニケーションをとろうとする人があらわれる。2)十分な意思疎通ができず,会社の場合は,業務に支障が出たり,学会の質疑応答などでは,意義のある議論ができない場合が出てくる。3)2)の場合,企業では,会議や会社を離れてから,もう1度,社外で日本語による確認(メールや電話などで)や“2次会”が行われる。また,学会の質疑応答などの場合,まともに質問してくれなくなる(これは,海外の学会で英語が上手でない日本人研究者が発表した場合に実際に起こっている現象だ)。

②英語のプラクティスや勉強時間の増加にはならない:わたしは自分でも昔,英会話学校で教えていたことがあり,それこそ,日本人の生徒相手に,英語のニックネーム(ちなみにわたしは当時,サム,と呼ばれていた)で呼び合う授業などを担当していたことがあるのでよくわかるのだが,どうも日本人は,英語(英会話)を話す機会をつくりさえすれば,英語が上達すると安易に考える傾向があると思う。そのきわめつけは,外人講師の授業を受ければ英語(英会話)がうまくなる,という考えで,いまなおなくならない,外人講師を売りとした街の英会話学校が繁盛する理由もそこにある。

だが,わたしに言わせれば,日本人同士であれ,外人講師とであれ,会話の機会(レッスン)を受けるまえに,十分なプラクティス(音読,暗唱,想定Q&Aに基づく1人芝居)をやらなければ,そういう授業は無駄に終わることが多い。

武道でいえば,形の稽古を十分にやらないで,いきなり,組手ばかりをやりたがっているようなものだ。

③プレゼンテーションやスピーチ,ひいてはコミュニケーションそのものに対する姿勢が英語を母国語とする人たちと日本人では全然違う:②とも関連するが,日本人はプレゼンテーションやスピーチに対する考え方が甘いと思う。そういうものに価値を置いていないと言い換えてもいいかもしれない。一方,英語はその反対の言語だ。

学会の例で言うと,海外学会などでよく見かけるのは,オーラル発表をする演者が,自分のセッションが始まる前に会場にきて,演台にあがって,自分の発表スピーチを練習している場面だ。指導教授のようなボスが聞いていてアドバイスをもらっている人もいれば,1人で練習している人もいる。8月に行ったICSでも,過去に何度も発表している若手のイギリス人の男性研究者が,練習している場面を見た。

日本の学会で,日本人の先生が日本語で発表する原稿を,会場に早くきて練習しているという場面にわたしは遭遇したことがない。

英語のネイティブスピーカーが英語で発表するのに,あれほど一生懸命に事前練習(しかも,学会発表の経験が相当豊富な人ですら)している一方,日本の学会で日本人ドクターが日本語の発表をする場合,それほど事前練習しているとは思えない(会場でやらないだけで,別の場所で何度もしているのかもしれないし,やっておられる先生もいるとは思うので,あくまでも,わたしが目にした限られた範囲での感想です)。ましてや,不慣れな英語で発表し,質疑応答もこなすのであれば,日本の学会で日本人同士でやるのであれ,海外の学会で外人相手に発表するのであれ,英語のネイティブスピーカーの何倍も練習しなけらば,たちうちできるわけはないと思うのだがどうだろうか。

以上,①,②,③の理由により,社内公用語を英語にしたり,(日本の学会での)発表言語を英語にしても,それだけで,「英語で外人と十分なコミュニケーションが図れる人材の増加」には(それが目標とすれば)あまり役に立たない思う。

ではどうすればいいか?特効薬はないと思います。長くなったので,今度,続きを書きたいと思ったときにまた書きます。

2010年9月20日 (月)

楽天やユニクロの英語,社内公用語化に思うこと

ユニクロと楽天が英語を社内公用語にするというニュースがしばらく前に話題になったが,あれはいったいどういうものなのだろうか。日産のようにトップが外人さんで,社長とのコミュニケーションはすべて英語という会社で,役員や幹部クラスが英語を覚えなければならない,というのはまだ理解しやすいし,日本に進出している外資系の会社でも,本社とのコミュニケーションは英語なので,英語ができることは出世の条件の1つではあるようだ。

しかし,ユニクロとか楽天は日本で日本人同士の会議でも英語でやるらしい。楽天の三木谷社長の英語による決算報告のビデオはYouTubeでみた。ユニクロも楽天も,国内市場の将来的な伸びをすでに見限っており,これからは中国,インドやその他の新興国を市場にしていかないと会社の拡大が望めない,という考えが基本にあるようだ。そのため社員は,英語を話せるのが当たり前の“国際人”にならなければならない,ということだろうか。

日本市場が飽和状態にあるという認識はまあ理解できるが,だから社内のコミュニケーションを英語で,という発想がなんとも日本的な気がする。

ある週刊誌(名前忘れた)に,楽天の記事が出ていたが,英語が公用語のはずの社内会議で「日本語で失礼します」という言葉が飛び交っているそうだ。

今回のことでまっさきに思い出したのは,日本の医学会で,英語を“公用語”にしている学会がいくつかあることだ。日本で開催されている国際会議,のことではなく,日本ナントカ学会で,演者もオーディエンスもみな日本人,というような一般口演で英語で発表し,あまつさえ,発表後の質疑応答まで英語でやる。

教授クラスの先生方には留学経験のある先生が多く,なかには本当に流暢な英語を話す先生もいるが,一般口演の発表はあまり英語が得意でない若い先生が行うことも少なくなく,しどろもどろになることもままある。そういう場合,共同研究者で発表者の先輩やボスにあたる先生が代役で答えたりすることが多いのだが,そういう助っ人がいなくて,フロアの質問が理解されない場合,質問者が「日本語でいいですか」と言って日本語で質問する場面に何度も遭遇した。

(次回に続く)

2010年9月19日 (日)

ブログ書きたいモードに入ってしまった-つかこうへい氏の印象に残る言葉

暑さも少しだけやわらいできて,仕事の能率ももっとあがっていはずなのだが,相変わらず,予定している時間に終わらない。それでも,最後はなんとか帳尻をあわせて,ほとんどの仕事の締切は間に合わせているが,そろそろ仕事のやり方を見直さないとたいへんなことになると感じる最近だ。自宅から徒歩で10分もかからないところに事務所(仕事場)があるというのは便利な反面,24時間勤務というか,ダラダラになりやすい。

苦戦していた仕事が1つ終わったので,急にブログ書きたいモードに入っている。で,何を書こうかな。

7月に劇作家・小説家のつかこうへい氏が62歳の若さで亡くなったが,その頃読んだ新聞だったが,雑誌だったかに,印象的な記事があった。

つかこうへい氏が在日韓国人(本名:金 峰雄=キム・ボンウン)であることは知られているが,活躍されるようになってから 「何故,祖国統一運動に関わろうとしないのか」というような質問をよく受けたそうだ。それに対してつか氏は「(そういう運動に携わっている人たちは)自分の家族統一もできない人たちですよ」と答えていたらしい(引用,正確でないかもしれません)。

これを読んでわたしはえらく共感したし,つか氏を尊敬した。全部がそうだとは言わないが,いわゆるボランティア活動とかNPO法人などの活動にハマル人のなかに,結構,“親不孝”な人がいるのではないかとつねづねわたしは訝っていて,そういう活動や団体の主張や活動は慎重にみるようにしている。

話は多少ズレるが,「自分の子が非行にはしっている教育評論家」とか,「自分で作った会社を倒産させた経営コンサルタント」など,普通の感覚ではいまやっていることは恥ずかしくてできないだろう,と思われることをやっている人間は結構多い(後者の経営コンサルタントは,学生時代に少しアルバイトをしたコンサルタント会社の社長だった)。

2010年9月18日 (土)

学会取材-第16回 日本摂食・嚥下リハビリテーション学会

9月3-4に新潟の朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンターで開かれた第16回 日本摂食・嚥下リハビリテーション学会を取材した。新幹線の新潟駅で降りたのは初めてで,朱鷺メッセの立派なことにまず驚いた。学会も非常に大きな学会で,やはり,「高齢化で患者・対象者が増える」,「医師だけでなく,多くのコメディカルが参加する」の2つの条件を満たす学会は“マーケット”が大きいとあらためて感じた。そういえば,3月に取材した日本静脈経腸栄養学会もたいへんな賑わいだった。

今回は摂食・嚥下リハビリの学会ということで,ポスター会場に併設された企業の展示ブースの数も非常に多く,しかも,食品関連,栄養関連の企業が多いので,デバートやスーパーの試食販売コーナーかと言いたくなるような実演ブースもあった。

こういう学会は高齢化がピークを迎えるまで,今後も拡大し,“繁栄”すると思うが,発表を聞いていて,どうにもやりきれない気分になるときがあった。特に,今回は静脈経腸栄養学会と違って,摂食・嚥下リハビリ,だから経口摂食を維持させるのが“正義”という前提の学会だ。

それを否定したら学会の存在意義はなくなるのだが,長期慢性疾患・終末期・退行性疾患患者の摂食・嚥下リハビリをテーマにしたあるシンポジウムで,終末期の患者さんに無理やり口から食べさせているビデオを“成功例”として見せられたときは正直,ゲンナリした。カツ丼(だったと思う)かなにかを口にねじ込んで,一生懸命飲み込ませようとして,のどを通ったら「入った」と大声でよろこんでいるその患者さん(ALSだったか,そういった類の疾患だった)の奥さんの声を聞き,これは“虐待”ではないのかと感じた。

口から食べることが生きる尊厳とかQOLの維持において重要であることは理解できる。胃瘻(PEG)からの栄養摂取で長期間,生きのびている寝たきり老人を思えば,最後まで口から食べさせてあげたい,というのは共感できるが,本当に最後の最後まで,人間はあんなに頑張らなければならないのだろうか。あるいは,頑張りたいのだろうか。

わたしの父親も認知症が進み,最近は,嚥下にかなり障害が出てきたようだ。この先どうなるのか,まったくわからない。やはり,いつか誤嚥性肺炎になり,それが繰り返されるのかもしれない。

医療現場で毎日苦労されている医療従事者の方々の努力は賞賛に値するし,多くの症例では,嚥下リハビリをするほうが,患者や家族にとって有益なのだとは思う。

しかし,あのシンポで(賞賛すべき一例として披露された)ビデオを見て,ああまでして生きき続けるのが人間の尊厳なのか,と気分が落ち込んだのは確かだ。

「楢山節考」の時代が良いと言うつもりはもちろんないが,もう少し早い段階で,「諦める」(摂食に関してだけでなく,延命に関しても)ことを評価しなおすことも大切なのではないかとつくづく思った。まあ,このような意見はおそらく社会には受け入れらないだろうし,広がる議論だとは思わないが.......。

話変わって,新潟は食べ物がおいしかった。夜,ふらりと入ったすし屋で食べた刺身や鮨,酒は最高だった。

2010年9月 2日 (木)

野田聖子や小錦の不妊治療記事を読んでつらつら考えた

不妊治療に関する週刊誌・新聞記事を続けて読んだ。1つは野田聖子衆議院議員の妊娠記事(週刊誌名を失念したが[週刊新潮か週刊文春だったような気がする],週刊誌でも読んだし,2日ほど前の朝日新聞にも出ていた),もう1つは,小錦の不妊治療体験記(こちらは週刊ポスト 9月10日号の138ページ)。

小錦は自らが無精子症であること,精巣内精子採取手術(TESE)の体験談などをポストで語っている。無精子症ではなかったが,顕微授精まで経験のあるわたしにとって,小錦の率直な経験談(とそのニュアンス)はよく理解できた。また,<「僕はお医者さんから,タネ(精子)がないといわれた。でも,恥ずかしいと思ったこと,ないよ。自分から色んな人に話して,アドバイスや情報をもらっている」>という発言には共感を覚えた。

そもそも,子どもができない,あるいは,できにくい体質(状態)であることを「不妊症」という病気と考えるのが間違いで,身長の低い高いや,体重の軽い重い,という程度の違いと考えるべきだと思う(もっとも,体重が重いと,最近では“メタボ”という病気にされてしまうが)。

しかし,費用についての話で小錦が<「運良く精子が見つかって体外授精することになったら,さらに費用がかさんで100万円は見ないといけない。僕は自分が経験して思ったの。日本は今,少子化問題を抱えているんだから,国として不妊に悩む人たちへのサポートを考えるべきだよ。保険の適用はすぐにでもするべきじゃないかな」>という発言はいただけない。

(注:週刊ポストの記事では,“体外授精”という字が使われているが,この“授精”が inseminationという意味であれば“授精”でいいのだが,通常,体外,とセットで使われるのは,受精(fertilization),つまり,体外受精(in vitro fertilization = IVF),という言葉だ。体外授精,という言葉は普通は使われない。両者の違いをわかったうえで,あえて,“体外授精”,としているのならいいのだが,どうもこの記事を書いた人は,違いがわかっていないんじゃないかという気がした)

不妊(治療)というと,すぐに,日本は少子化問題が深刻だから,という発言をする人がいるが,これらは全然違う次元の問題だ。こんなこと,ちょと考えればわかると思うのに何故,こういうことをすぐに言い出す人(政治家や評論家のような人)がいるのだろうか。誤解を怖れずに荒っぽい言い方をすると,少子化問題の“解決”だけを考えれば,不妊の問題を抱えていない人に第2子,第3子を作るようにしむけるほうが手っ取り早いし効率もいいはずだ。何故なら,不妊カップルが増えているというのが本当だとしても(これについても,完全には証明されていない。昔も同程度,子どものできないカップルはいたが,不妊治療やクリニックが昔はなかっただけかもしれない),そうでないカップルのほうが圧倒的に多いからだ(現在,10組に1組くらいは不妊とも言われている)。

子どもを持ちたい思うカップルは,不妊であるないかに関係なく,日本の少子化問題のことなどを考えて行動を決めているわけではない。

もう1つは,不妊症治療を保険適用せよ,という発言だ。わたしも配偶者が第一子を妊娠するまで約5年間の治療で国産の高級車一台分くらいの金は使ったが,不妊治療を全面的に保険適用にすべし,という考え方には同意できない。財政に余裕のある地方自治体が(そんな自治体が日本にあるだろうか?),1回とか2回の制限を設けて,例えば,体外受精に一定の補助を出す,というのであれば反対ではないし,すでにそういう制度はかなり整っている。

不妊治療を全面的に保険適用することに反対する理由の1つは,すでに書いた,不妊を病気とする考え方に賛成できないからだ。また,どこかで歯止めをかけないと,「子どもを得る権利」のような言い方で要求を高めていくと,きりがなくなるからだ。

野田聖子議員の件は費用的な面ではこの問題とも関連する。アメリカに行って,提供卵子と配偶者の精子による妊娠にも保険適用を認めよ(日本は少子化問題がたいへんだから!)というところまで世論が動くことはないと思うが,そういう無謀なことを言い出す人もひょっとしたらいないとも限らない。特に,それで票が得られると勘違いした政治家なら言いかねない。

野田聖子議員が自分あるいは配偶者の金を使って,50歳で妊娠・出産するのはもちろん自由だ(ただし,議員の仕事はしっかりやっているのかねえ,という疑問は残るし,議員やりながら渡米して不妊治療やれるなんて,議員という職業はラクなんだなあとは正直思う。普通のサラリーマンならまず無理だろう)。

ほかには,50歳で妊娠して子どもを育てることの医学的・生物学的リスクと倫理・道徳的な問題か。これについては「個人の勝手でしょ」で済ませられる部分と,それだけではすませられない部分があると思う。

ただ,朝日新聞の記事にあったと思うが,「そこまでして生みたい?」というのが現時点ではまあ,普通の反応だろうし,それでいいのではないだろうか。ようするに,(議員さんなどの?)金と時間に余裕のある人が勝ってにやればいい,としておけばいいのだと思う(もちろん,生まれてくる子どもの権利と福祉が損なわれないような法律の整備は必要だし,これは大きな課題だ)。

最後に1つだけ。ドナー卵子や代理母のような手段で妊娠し,子どもを持つことを「自然でない」という理由だけで反対する人もいるがこのような考え方はおかしいと思う。自然でないと言ってしまえば,顕微授精による体外受精ももちろん不自然だし,話を広げれば,輸血,臓器移植,再生医療(ES細胞,iPS細胞),など,すべて不自然だ。自分の気に入らない事に関してだけ,自然の摂理に反する,という人がたまにいるが,そういう人には辟易する。

2010年9月 1日 (水)

フリーランスは「自転車操業」というよりも「クロール操業」....と最近感じる

40半ばを過ぎてサラリーマンを辞めたフリーランスの感想としてこれまで自転車操業という言葉を何度か使ったが(経済的な自転車操業はもちろんのこと,メディカルライターとしての“知識の自転車操業”もある),今日,ふと,水泳のクロールをもじった「クロール操業」という言葉が頭に浮かんだ。

自転車をこぎ続けるというのはわたしのなかでは,どちらかというとまだ余裕のあるイメージだが,水泳が昔から苦手だったわたしにとって,中学,高校の授業でのクロール25メートル試験ほど苦しくイヤなものはなかった。平泳ぎならまだ少しはラクなのだが,なかなか進まず,息継ぎも下手なクロールで水中に顔をつけならがもがく苦しみは今も脳裏に焼きついている。

9月は仕事はたくさん入っており,そのことはありがたいのだが,途中で水中に足をつけることもできず(=停まることが許されず),息継ぎも不十分なまま水中を進まざるをえなかった昔の苦しさが今の苦しさと似ている気がしてきた。あっぷあっぷ,ぶぐぶく,状態だ。

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