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2010年11月

2010年11月11日 (木)

“その人らしい人生”っていったいなんなんだ?!

前回(臨床試験を勝った負けたで語るのはどうかと思う)とは意味あいがまったく異なるが,ここ一年,学会を取材していて非常に気になるというか,どうもひっかかる言葉があることを思い出した。

“その人らしい人生”という言い方だ。

パラメディカル(栄養士,言語聴覚士,看護師,検査技師)などの参加が多い学会を取材すると(今年わたしが取材した学会では,静脈経腸栄養学会,摂食嚥下リハビリテーション学会,などがある),何故かこういう表現をよく聞く。あくまでもわたしの感想でしかないが,特に女性の発表者から「その人らしい人生を送らせてあげるために」云々,という言い方を聞くことが少なくない印象を持っている。

学会発表でなくとも,新聞雑誌やネットの文章を読んでいて,“その人らしい人生”とか“自分らしい人生”という表現に出会うと,目が点になるというか,疑問符が湧き出すことが多い。

“......らしい”,を国語辞典で調べると「…としての特質をよくそなえている、いかにも…の様子である、…にふさわしい、などの意を表す」,とあり,「男らしい」「子供らしい」「学者らしい」など,という用例が出ていた。

この意味で~らしいを使っているとすれば,“その人らしい人生”というとき,その言葉を使っている人は,“その人”がどういう人であるか,その人の性格,好み,本性を把握していなければならない。

そんなことが容易にできるわけはないと思うのだが,何故か,深い考えもなく,「最後までその人らしい人生を送れるように(患者さんを)手助けしてあげたい」のような結論を学会発表で何回か聞いた。

では,“自分らしい人生”という言葉はどうか(ここからは,話が脱線していきます)。これなら,自分のことであるから,“その人らしい人生”よりは確固たる根拠がありそうだが,実際はどうだろうか。

自分というもの,自分の好み・嗜好,あるいは,暇な大学生が好きそうな言葉で言うと,「自分のやりたいこと」が明確になっていないのに,自分らしい人生もクソもないのではないだろうか。そして,これら(自分の好み,やりたいこと,性格 = 個性)は,そう簡単に確立されるものではない。

夜中に仕事をしないでいったい何を書いているのだろうとわれながらあきれるが,“その人らしい人生”とか“自分らしい人生”というような言葉を安易に使う人は,深く自省することが少ないのではないかと思う。

わたしなど,“その人らしさ”,あるいは,”自分らしさ”は,その人,あるいは,自分がこれまでやってきたこと,自分がいまやっていること,とイコールだと思っているので,妙に悩んだり深刻ぶったり,もったいつけたりして,“その人らしい人生”とか,“自分らしい人生”と言っているのを聞くと,「ウダウダ言っているいまのオマエがそのままオマエのすべてだよ」「それがオマエらしさだよ」と言いたくなってしまう。

「本当の自分」とか「真の自己」とか,も同様で,あまり好きな言葉ではない。「自分探し」にいたっては,どこにそんなものが落ちているのか?と言いたくなってくる。

高校生くらいまでならともなく,成人してからも,こういうウダウダ言いやがって人間が多すぎる気がする。

2010年11月 5日 (金)

臨床試験を“勝った負けた“で語るのはどうかと思う

わたしは一応言葉を扱う仕事(翻訳者,ライター)をしているので,言葉の使い方に過剰反応する傾向がある(そのお前の文章がこれかよ,なんてツッコミは入れないで下さい)。

かなり前から気になっていた言葉使いの一つが,臨床試験の結果に関する「勝った」,「負けた」という言い方で,製薬メーカーの人だけでなく,ドクターまで何気なく使っている。

大規模トライアル○○で,降圧薬Aは,Bに勝った,というような言い方だ。

わたしの少ない海外学会の取材経験では(実は少なくはない。100回以上は取材している),海外での学会発表や質疑応答,座談会やインタビューで,外国のドクターが,Aという薬はBという薬に勝った,というような言い方を聞いたことがない。

製薬メーカーの人が,自社の薬剤が関わる臨床試験で(他社の)別の薬に「勝った」,「負けた」と言うのは利害関係がはっきりしているから特に抵抗はないし,心情的には理解できるのだが,ドクターがなにげなく,勝った,負けたというのはどうも抵抗がある(でも,そういう言い方をするドクターは少なくない)。

臨床試験は,勝ち負けのためにやるのではないのではなかろうか。

学会取材-第48回日本癌治療学会-③

シンポジウム1「分子標的薬剤の新展開」は,①でも書いたとおり,最初の6人の演者は,担当のがん種に関する最近の臨床試験のデータや開発状況を紹介した発表で,それなりに勉強にはなったが,おそらく知っているひとは知っている,というような内容であった。

したがって,島田氏の発表以外は,わたしはむしろ質疑応答に興味をもっていた(あ,もう朝の5時だ!。早く帰ってシャワーを浴びないと新幹線に乗り遅れてしまう)。

一つ印象に残っているのは,肝細胞がんに関する古瀬氏(杏林大学腫瘍内科)の発表のあと(だったと思うが,誰のあとであっても問題ではない)に出た,ある人のコメントだ。(非常にあいまいな記憶ですが,コメントの内容は間違っていないはずです。それに対するわたしの感想です)

なんでも,最近の日本でやる臨床試験では,日本人に対してだけ,いい結果が出ないというようなものが少なからずあるそうで,それについてフロアーからコメントしたその先生の質問は「そのような(ネガティブデータばかりが出る)状況が続くと,海外のメガファーマは,日本を臨床試験から簡単にはずす。日本抜きでやられてしまうが,これについてどう思うか」という危機感を述べたものだった。

わたしが驚いたのは(驚くこともないのか),その質問が,海外の大手製薬メーカーの資金提供による臨床試験の対象からはずされる,という点に重点がおかれているように感じられたからだ。臨床試験のsubjetctsとしての対象症例のことは頭にあっても,どうも,生身の患者のことを念頭においたコメントとは感じられなかった。わたしの感じ方がひねくれているのかもしれない。

学会取材-第48回日本癌治療学会-②

どちらかと言うと重苦しい否定的沈黙(くだけた言い方に翻訳すると,「なんでそんなこと言うかなあ?そんなこと,みんなわかってるのに」という感じだろうか)のあと,胃がんについて発表した国立がん研究センター東病院の大津敦氏がフロアからコメントに立った。

正確な一語一句は覚えていないが,医療費の費用対効果とかNICEの議論はわかるが,薬の開発とそれは別の問題であり,それらを一緒に議論しても仕方がない。もっと「冷静な議論」が必要ではないか,というような内容だった。

時間がたっているので正確でないかもしれないが,もっと冷静な議論を,という言葉は大津氏から2回以上は聞かれ,そういっている氏の顔が遠目にもこわばっている感じに見えた。

マルコフ (Markov) モデルによる,増分費用効果比(incremental cost-effectiveness ratio, ICER)などが出てきた島田氏のような発表は,たしかに日本ではあまり受けがよくないのかもしれないが,海外の学会発表などでは,医療費や費用対効果に関する演題は非常に多い。

大津氏のコメントに対して島田氏は,開発に携わっているかたは医療費のことなど考えなくてもいいが,日々患者さんに接している臨床の人間は,患者さんが払えるかどうかとか,そういったことも考えざるを得ないし,考えるべきだ,というような回答をしていた。

そもそも,立場(利害関係?)が違うから,いつまでたってもかみ合う議論になるとは思えなかったが,大津氏がコメントに立ったことにわたしはむしろ好印象をもった。ほかのシンポジストとか座長,会場の聴衆は先にも書いたが,「否定的沈黙」という感じだったからだ。

学会取材-第48回日本癌治療学会-①

明日(というよりも今日)も京都まで日帰り取材があるのに,“締切遅れ仕事&遅れそうな仕事(backlog)”が処理できないまま溜まってきて疲ればかりを感じる。ブログなんぞを書いている場合じゃないのだが,そもそもブログを書く目的が「気晴らしと準備体操」だから,こういうときにむしろ書きたくなってくる。やる気が出ないときの回避手段のようでどうも忸怩たる思いだ。

とはいえ,先週,京都で開かれた癌治療学会の第1日目に開かれたシンポジウム1「分子標的薬剤の新展開」について少し書いておきたい。

このシンポジウムでは7人の演者のうち6人が,大腸がん,非小細胞肺がん,胃がん,肝細胞がん,転移性腎がん,卵巣がん,に対する分子標的薬の最近の臨床試験のデータ(国内外)とそれについての見解を発表。7人目の演者(国立がん研究センター中央病院 島田安博氏)は,「分子標的薬の功罪―がん医療のValue」というタイトルで,分子標的薬の全般について,特に最近の試験の成績の臨床的意義について疑問を呈するかたちで問題提議していた。

抄録を一読しただけで,6番目までの各論の発表内容はほぼ想像がついたし,実際に予想通りの発表内容であった。7番目の島田氏の発表のみが異質で,明らかに最近の分子標的薬の成績について否定的ニュアンス(功罪のほうの罪に焦点をあてている)が感じられたので仕事とは関係のないセッションだったが聞きにいった。少し遅れて入ったので,大腸がんの発表は質疑応答しか聞けなかったが,そのあとはすべて聞いた。

最後の島田氏の発表は,最近の分子標的薬の臨床試験では,PFSや奏効率(CR + PR)で有意差が出ても,生存率(OS)に有意な差が認められるものは少なく,有意に延長した場合でもわずかな期間であり,統計学的に有意であっても,莫大な医療費(薬剤費 + その他の治療関連費用)を考えると臨床的に意義があるかどうか,という疑問を投げかけたものだ。(奏効率の代わりに,最近ではSD[不変]も含めた CR + PR + SDを疾患制御率(Disease Control Rate)などという言葉で評価することもある)。

同氏は,英国のNICE(英国立臨床評価研究所)が,薬剤から得られるベネフィットの指標としてQALY(qulality-adjusted life years;生活の質調整年)という概念を用い,分子標的薬など,高価な薬剤の保険適応を考えなおそうとした例を紹介し,日本においても,今のままでは分子標的薬を使ったがん治療は成り立たなくなっていくのではないか,もうそろそろ,分子標的薬の現実を直視すべきではないか(副作用も当初期待されていたのとはちがって,かなり重篤なものが少なくない)といようなことを言っていた。

同氏の見解は,誤解を恐れずに書くと,(いい意味で)きわめて常識的なものであり,薬の効果というものについて生半可な雑学的知識を持っているわたしのような素人には,納得の行くものであったが,癌治療学会のようなプロフェッショナル団体ではいろんな利害関係があるので,そうでもないのであろう。

セッションの最後であり,聴衆の数が減っていたということもあるが,発表後の雰囲気は,どちらかというと「否定的沈黙」という感じであった。

尖閣列島-衝突ビデオ-YouTube(ユーチューブ)にアップ

海上保安庁が撮影中国船衝突ビデオがYouTube(ユーチューブ)にアップされたらしい。検索してみると確かにあった。すごいな。わたしはやり方をしらないし,そういうことをする興味もないが,一旦YouTubeにアップされたら,その映像(データ)をハードディスクに保存することも可能らしい。ネット時代に情報を隠そうとすることの無意味さを感じる。

もっと早い段階(船長を釈放する前に)でこの映像を広く公開していたら,日中の状況はどう変わっていただろうかと,など,いろいろ疑問がわいてくる。

どうせすぐにYouTubeから削除されると思うが,一応,URLを貼っておきます(一番迫力あるのは2番目)。

http://www.youtube.com/watch?v=3eJsXP4HLVs

http://www.youtube.com/watch?v=q3JYT0G94-E

http://www.youtube.com/watch?v=A7h0S1nk9Hk

2010年11月 4日 (木)

クレジットカード不正利用されました-されないほうが不思議な気もするが....

10月21日にトロントから帰国したが,成田で携帯の電源を入れると,メインに使用しているクレジットカード会社のセキュリティ部門から留守電が入っていた。折り返しかけたところ,カードが不正使用された可能性があります,とのこと。なんでも,わたしがトロントに滞在していた期間に,日本の家電量販店のオンラインショップ(電話では○○電気と実名)で11万数千円の買い物がされているという。

もちろん身に覚えがないのでそのように伝えたところ,さっそくカードは停止。新しいカードを再発行しますと言われてしまった。わたしに金銭的な実害はないものの,カードが新しくなると番号や有効期限が変わるので,定期的な支払いをしている会社などへの連絡が必要となり,非常に面倒だ。よせばいいのに,クレジットカード使用のわずかなポイントを貯めようなどとセコイ考えをもっているので,電話や携帯電話,インターネットプロバイダの支払いはもちろん,電気,新聞,その他,毎月落ちるものの多くを今回不正使用されたカードに統一していた。

この話をある人にしたら,毎月の定期的支払い(公共料金など)で使うカードは別にして,そのカードは普通の買い物などには使用しない(持ち歩くことさえしない)ほうがいいと言われた。

たしかにカード会社の話でも,今回のわたしのカード不正使用は,どこかで買いものをしているときにスキミングされた可能性が高いという。トロント出張前は,空港でAIU保険を買ったときにカードを使っただけだが....。

それにしてもクレジットカードについては不思議に思うことことが多い。クレジットカードの番号,有効期限さえわかればネットショッピングは原則可能なわけであり(最近は裏面のコードを要求されたり,暗唱番号を求められることもあるが),買い物やレストラン,ホテルなどでカードを提示した時点で少なくともカード番号と有効期限は見られている。

記憶力に優れ,悪意をもった店員などがいれば,16桁の番号と有効期限くらい簡単に覚えられてしまう。あるいは,覚えるのは難しいとしても,見えないところでメモされたら(あるいはコピーを取られたら)一巻の終わりだ。

カードが届いたらカードの裏に書け,と言われる署名も,サインを登録するでもなく,何か名前を書きさえすればそれが“署名”になってしまう。

こんないいかげんなしくみで,犯罪・不正利用に会う確率(といっても統計的データを知っているわけではないが,個人的な経験として)がこの程度であるのがむしろ不思議なくらいだ。性悪説の米国や西洋諸国でクレジットカードがこれほど広がっているのも妙ではある(もっともアメリカなどでは地域にもよるが,パスポート等のphoto IDがないと,クレジットカードでの買い物を受け付けてくれないデバートなどはある)。クレジットカードなしの生活は不可能ではないが,まったくなしは現代ではとても不便でもあり,どうにも納得いかないというか腹立たしい。

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