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2011年2月

2011年2月28日 (月)

書くことがない-そろそろ脱落か

今年に入ってブログ更新の意欲が衰えている。こんなブログなど,いつ途絶えてもいいのだが,フリーになってから始めたので,ブログを止めると仕事のほうも“脱落”となってしまいそうで完全撤退するのは躊躇っている。

ブログを書き始めてから,「自分と同じように感じる人はいくらでもいる」という,ちょっと考えれば当たり前のことを改めて感じるようになった。どういうことかというと,世の中のニュースを見聞きして,自分なりの“ユニークな視点”で感想を持ったと思うことでも,Googleで検索をすると,似たような意見のブログがほぼ必ず見つかる。しかも,ほかの人のブログのほうが断然,うまく書けている気がする。

最近,書こうと思いながらそのままにしていたトピックスの1つに,いわゆる“孤独死”“無縁社会”“孤族”の話題がある。NHKでやっていた“無縁社会”の番組は1つか2つ,見た覚えがあるし,朝日新聞の“孤族”の連載も流し読み程度だが読んでいた。

それらを見聞きしてわたしは「フン,何をいまさら」,「何を甘ったるいことを言っているんだ」,「資本主義経済が発達すればそういう流れになるのはあたりまえじゃないか」,「結婚して家庭を持てば孤独でないと思っているのか」等々,妙に“孤独感”を強調する番組演出や記事の書き方に嫌悪を感じたが,ちょっとブログ検索をすれば,同様な意見を述べいる人はいくらでもいる。また,NHKの“無縁社会”の番組については,捏造に近いような曲解に基づいた演出も問題になっている。

ま,そういうふうに感じない人も少なくないから,ああいう番組や連載記事がそれなりに「受ける」のだろうけど。

2011年2月25日 (金)

「どうして会社辞めたんですか?」―「どうして会社辞めないんですか?」

独立4年目の今年はどうも苦戦する気が昨年末からしていたが,その予感が当たり始めた印象だ。“受注状況”がどうも思わしくない。もっとも,客観的に見れば,1~2月の「売上」は昨年をわずかだが上回っており,悪くないのだが......。ま,このあたりは,先行きの見込とか仕事の性質とか,説明しにくいところがある。

今の政治の混乱も,自分の生活の先行きに対する自信のなさとか不安感に拍車をかけている気がする。フリーランス稼業なぞ,政治がどうであれ,不安定生活の極致だから関係ないといえば関係ないのだが......。

子ども手当はこのままの状況で行くと予想通り支給が止まりそうだ。ま,私は一円も使わずに”別口座”に入れてあるので予算関連法案が可決されず子ども手当が止まっても,勝手にしやがれ!っていう気持ちだ。

ところで,いわゆるハウツーものの本(人生論関連,投資関連,ダイエット関連などなど)を読むときというのは,物事がうまく行っていないときと決まっている。そして,最近わたしは,10年くらい前に流行ったロバート・キヨサキの「金持ち父さん~」シリーズを読んでいる(キャー,恥ずかしい。。。。。)。もっとも著者はこの本はハウツー本ではないと書いているが....。

シリーズ最初の「金持ち父さん貧乏父さん」,2番目の「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」を読み終え,いま,「金持ち父さんの 起業する前に読む本」を半分読み終わった。これで最後にしよう。そろそろ飽きてきた。

感想:書いていることは意外に(?)まともだと思った。少し前の本であるし,アメリカの本なので,それをそのまま日本の状況にあてはめてhow to grow richというわけにはいかないかもしれないが,資産 とは キャッシュフローを生み出すもの,と定義し,したがって,自宅は負債である,という考えは,言われてみればそのとおりなのだが,持ち家信仰のためになかなかピンとこない人がいるかもしれない(自宅が負債というのは,たとえ住宅ローンを払い終わって完全に自分のものになった後でもそうである。ましてや,住宅ローンを抱えている家など,負債そのものでしかない。わたしも,自宅の住宅ローンは当然,まだ残っている)。

金持ち父さんシリーズは,読み物としてはやはりすぐれていると思う。すぐれているというか,うまく書かれているというか。ようするに,うまく売れるように書かれているという感想を持った。内容はたいしたことはないのだが......。読んでいる自分がなさけない(^。^↓↓)

またまた,エントリーのタイトルと関係ないことばかり書いているが,2007年末にサラリーマンを辞めてフリーになってから,「どうして(会社を/サラリーマンを)辞めたんですか?」という質問を相当数の人から聞かれた。

何度も聞かれると,答えるのにウンザリしてくるので,いまでは決まった返事を用意しているが,「どうして会社辞めたんですか?」という質問をする人に対しては今度から,「どうして会社を辞めないんですか?」と訊き返そうかと思っている。

2011年2月 7日 (月)

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に-第4回-安易な定訳に抵抗したい

シリーズ第4回目。一人で勝手に書いているブログなのでシリーズ名と内容がズレていても誰も文句を言わないので気楽である。

昨日から医学ニュースの和訳仕事をやっているが一向に進まない。この能率の悪さはなんなんだ。集中力が続かないことが原因だが,ちょっとした訳語にこだわって(ひっかっかて)前へ進めていないことも能率を下げている原因の1つだ。

困ったもんだが,翻訳をやる人間としては必要なこだわりと思う気持ちもある。以前,or を「又は」とか「あるいは」としか訳さない翻訳者がけっこういて辟易するときがある,というようなことを書いたことがあるが,英和辞典にばかり頼って翻訳をしていると,こういったいわば「定訳」の羅列のような翻訳文を作ってしまうことになりやすい。

しかも,その「定訳」にもいろんなレベルがあって,「その訳はありえんだろう!」レベルから,特に抵抗なく受け入れられるレベルまである。

具体的に言うと,commonというそれこそ,非常にcommonな形容詞があり,一般的な,という訳語があてられれることが多い。しかも,それが,それほど不自然でないというか,定訳のようになっているところがある。

昨日訳していた記事では,非常にめずらしい種類のがんに対して,乳がん,大腸がん,前立腺がんなどのcommon cancersは,という文脈で使用されていた。このcommon cancerを一般的ながん,と訳そうかどうかでひっかかってしまった。一般的ながん,という言い方にどうもひっかっかったのだが,Googleで検索したところ,一般的ながん,を含む文章は無数にあり,それこそ,きわめて「一般的」だった。

一般的,の意味を国語辞典で調べてみると「広く全体を取り上げるさま。広く行き渡っているさま」(excite.辞書,大辞林第二版)とあり,この意味なら,めずらしいがん(希少ながん)に対して,乳がん,大腸がん,前立腺がんなどのcommon cancersを,一般的ながんと訳してもいいのかなあという気もした。

しかし,commonn coldとかcommon disease,になると,一般的な風邪,一般的な疾患(病気)では,ちょっと???とクエスチョンマークが湧いてこないだろうか(湧いてきませんか。ハイ)。前者は,普通の風邪(インフルエンザや肺炎などではなく,原因ウイルスや細菌は特定されないが,ほおっておいても治るような,よくある風邪,という程度の意味だろう)のこと,後者は,生活習慣病などをcommon disease(s)として使われていることが多いように思う。

前記の英語記事で,私はcommon cancerを安易に一般的ながん,とするのにどうも抵抗を感じたので,発症頻度の高い,とか,患者数の多い,とか,そういう言葉にしようとかなと考えている(考えている,というのは,その翻訳をまだ完成していないからだ)。

common = 一般的(普通の),はそれでも機械的に訳しても違和感が少ないほうだが,include,including~という英語を,含む,とか,~を含めて,と英和辞典通りの訳語を使って訳されると,かなり抵抗を感じることが多い。翻訳チェックなどをしていると,その訳者に対して(自分のことは棚にあげて)「へたくそだなあ」とか,「手抜きしやがって」と憤りを感じることが少なくない。

morbidity,という言葉にいたっては,医学論文や医学ニュースではしょっちゅう出てくる言葉だが,正直に言って,いまだにどう訳していいかわからない。辞書的な訳語は,罹患率,罹病率,だが,これをそのまま使ってスッキリする文章にであったことがない。そういいながら,morbidityは訳しにくく,わたしも,へんだなと思いながらも,罹患率とか罹病率を使ってしまうことがよくある(病的状態,という訳語もあり,morbidityのそもそもの意味,moribid state [morbidの意味は,affected by, caused by, causing, or characteristic of disease] から考えると,まさに病的状態,なのだが,これも,文脈によってもうひと工夫もふた工夫もいる気がする)。

つまるところ,日本語でそんな文章書くかあ?,自分で書くときそんな文や言葉を使うかあ?そんな言い方するかあ?そんな日本語不自然じゃないかあ?(あえて,かあ?とバカっぽく自問しています)という疑問を抱くかどうかだが,医学の分野では,翻訳文というか翻訳調があまり抵抗なく受け入れられるので,仕事として医学英語の和訳をやっている人間にとってこういうこだわりは,「労多くして益少なし」に終わる可能性が高い(のかもしれない)。

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