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2011年3月

2011年3月21日 (月)

過剰な“予防線”をはるな - ヤマト運輸よ,届けられないのなら荷物の引き受けなどやめろ!

仕事のやり残し(backlog)が溜まっており,あまつさえ,金曜日から急な海外取材の仕事が入ったので,しばらくの間はブログを書くのをやめようと思っていたが,どうにも頭に来るので書かずにいられない。

シカゴで開かれるSociety of Interventional Radiology(SIR;インターベンショナルラジオロジー学会)の取材仕事が急遽入り,25日に成田を出発することになったが,こういう状況なので,いつも使っているバスも予定通りの運航がなく,成田エクスプレスや京成スカイライナーも運休もしくは,運行されても本数が少ないことはわかっていた。大きなスーツケースをかかえて在来線に乗るのはたいへんなので,スーツケースを成田空港に早めに送っておこうと考えた(自宅からタクシーで成田空港まで行くことが可能なら一番良いが,そんな金額を請求できるわけはない)。

通常であれば,前日に送れば翌日のフライトに間に合うように届いているが,状況を考えて,ヤマト運輸に問い合わせたところ,埼玉県から成田空港へのスーツケース発送は,2~5日間,みてもらっているという。5日前にスーツケースを送るのは面倒だが,どうせ,衣類しか入れない(本当に大切なものは,機内手荷物でもっていくので)からと思い,昨夜,荷物をつめこんで,今朝,9:00AM過ぎにヤマトのコールセンターに集荷を依頼した。

ところが,電話に出たオペレーターが,間に合わないかもしれないがそれを承知であるか?としつこく聞いてくる。しかし,25日(金)のフライトであるし,そもそも,5日の猶予は最悪の遅延を想定しての話であろう。実際は翌日は無理としても,あさってには届いているんじゃないの?と聞いたが,同じことの繰り返し。

つまり,「荷物が届かずスーツケースなしで飛行機に乗るか,荷物を待って飛行機に乗り遅れる,という覚悟をもって荷物を出せということか?」と尋ねると,「そうだ」という。最後には驚くべきことに「ご自分で持って行かれたほうがいい」とまで言う。

それでは,なぜ,「2日~5日の日数をみてもらっている」などという回答をするのだ。これなら,「到着日数については,まったく保障できません」と言っているのと同じではないか。そうであれば,出発日時が決まっている空港へのスーツケース配送など,引き受けることがそもそも間違いじゃないか?できないサービスなら最初から提供するな。

地震で物流がたいへんなのはわかる。しかし,日時を約束して被災地へ物資を届けろと言っているわけではない。飛行機にのるために,フライトに間に合うよう,スーツケースを出しているだけだ。しかも,ヤマトの回答に合わせて,5日前に荷造りして用意している。

絶対大丈夫,ということは,それこそ,絶対にない,ことくらいこちらも承知している。別に,いまのような非常時でなくても,予定外のことはおこりうるし,配送が遅れる場合もあるだろう。それでも,通常なら,翌日到着を“保障”しているじゃないか。ガソリン不足等の問題はあるにしても,荷物の受託を行っており,2~5日という日数を提示している以上,5日前に出した荷物は,ごちゃごちゃいわずに引き受けたらどうか。

「飛行機に間に合わないかもしれませんが,それを承知でお出しください」などと言われれば,荷物を託せるわけはない。出発のフライトは決まっているのだから。

しかたがないので,電車で行こうと決め,成田エクスプレスを予約するために近くのJRの駅へ行ったが,成田エクスプレスも運行予定がたたず,予約を受け付けていない。京成スカイライナーも同様らしいので,在来線を乗り継いでいくしかない。

どうにも納得がいかないので,1時間ほど前に再度,ヤマトに電話して,男性職員に(今朝のことは言わずに)「25日の午前のフライトだが,今日出して間に合うか」と聞いたら,「大丈夫です」という返事。

では,今朝,電話に出たオペレーターの女性の返事はなんだったのか?パートか派遣の女性だとは思うが,ヤマトはいったい,どんなマニュアルで教育しているのだ。過剰な“予防線”をはるな。客に無駄な時間を使わせるな。

2011年3月20日 (日)

地震で「興奮」している頭を冷やそうよ-自戒を込めて

地震にまつわるエントリーは,昨日の①~④で終わりにして,しばらくやめようと思っていたのだが,ついつい,仕事をサボってまたまたネットサーフィン(←もう死語だって)していて,気になる記事を見つけた。

まずは,これ。成田空港で脱出ラッシュ / 持ち物検査まで1時間かかることも。ROCKET NEWS 24(ロケットニュース24)というサイトで,このリンクがいつまで残るのかわからないが,今回の“原発事故”で日本を離れる人が急増し,成田空港は出国審査に1時間以上かかるということだ。海外に行く人は,最低でも3時間,できれば4時間以上前に成田空港に到着しておくことが望ましい,という内容だが,ほんとだろうか?わたしは25日(金)からシカゴに行くのだが...。気が重い。管直人の「東日本つぶれる」発言も影響しているのだろうか。まったく,この発言だけでも,管直人には早く,首相を辞めてもらいたいと思う(石原慎太郎も御免だが)。

この記事のすぐ下にあったのが,乙武「酒飲みに行きたい」→ Twitterユーザー「不謹慎だ」→ 乙武「でた不謹慎厨!」という記事だ。乙武さんのつぶやきに対する批判的コメントとそれに対する乙武さんの反駁のようだ。

今回の地震でツイッターの威力に俄然注目が集まっているらしいが(電話がつながらない状況でも,ツイッタ―での情報のやりとりはやりやすかったそうだ→つまり,災害時などの安否確認に有効。また,今週号のAERAに,原発事故の恐怖を煽るような表紙が出て,ツイッター上で非難轟々の結果,編集長が謝罪のメッセ―ジを出したとか),逆に,ちょっとした発言に“難癖”をつける人も少なくないようだ。

で,乙武さんの「酒飲みに行きたい」だが,なんで不謹慎なの?とわたしもおもう。自分の居場所のすぐちかくに被災者がいて,手助けを求めているのに,何も手を差し伸べないで酒飲んだりスポーツに興じているなら,それは人非人だが,離れたところにいる人間が,自分の生活を必要以上に制限してもプラスはなにもない。むしろ,経済という意味では,マイナスのほうが多い。こういう,なんでもかんでも不謹慎という人たちはホント困ったものだ。

今回の地震および原発事故で,わたしの“仕事現場”の1つである学会(医学会議)も,延期や中止が相次いでいる。これは仕方ないことなのかもしれない(東北エリアの医師,看護師,その他の医療従事者は,たしかに学会どろこではないだろう)が,プログラム変更するなり,規模を縮小するなりして,出席できる人だけで開催,というのは無意味なのだろうか?

医学の領域(分野)にもよるが,例えば,今回の地震と原発事故にからめて,災害医療(支援)とか,避難所における健康管理とか[睡眠薬を配給せよ,というブログ記事を最近読んだ],放射線被曝に関する正しい認識と対策を議論するとか,あるいは,市民講座のようなものを開いて,一般市民向けに公開するとか。まあ,3月の学会であれば,時間的にも難しいかもしれないが。。。 時間的・物理的に可能であっても,やっぱり「不謹慎」という声が出てくるのだろうか。

さて,地震の影響を心配して,テレビやネットにかじりついているより,自分の目の前の仕事をきちんとしよう(と,自分に言い聞かせています)。

2011年3月19日 (土)

東日本巨大地震から1週間 - その④ : 一番我欲の強いおまえに言われたくないね,石原慎太郎

石原慎太郎お得意の後出しじゃんけん方式による都知事選出馬宣言も11日だっただろうか。その後,(ダマされて?)先に出馬宣言した松沢 成文が出馬を取りやめて笑いものになっているが,石原慎太郎の“地震は天罰”発言,<『津波をうまく利用して我欲をうまく洗い流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を。これは、やはり天罰だと思う』>は,彼がどういう人間かをさらけ出した発言だろう。

たしかに石原慎太郎には一種のカリスマ性があるし,年(もう78歳くらいか)のわりには元気で,しょぼくれた管直人などよりは見栄えはいいが,私的な飲食に公金を使って訴えられたり(一部は違法支出として認定されている),自分の息子の絵を都に買わせたり,少なくとも,“日本人の我欲”を指摘するなら,自らもその日本人の一人であり,行動においても,平均的な日本人以上の我欲を発揮していることはいうべきだろう。

わたしは埼玉県人なので都知事選には投票できないが,自らを棚にあげて,こういうことを言える人間が次も都知事になるのかと思うと(当選は確実だろう),管直人の首相も辟易だが,同様に困ったものだなと考えてしまう。

東日本巨大地震から1週間 - その③ : 今回も思い出した寺田寅彦の言葉

ここ2~3日政府は,被災者に対する救援活動よりも,原発事故への対応に時間を割いているようだが,避難所にいる人たちの寒さや飢えを少しでも改善してあげることを優先させるべきだろう。いや,原発もこれ以上の拡大は阻止すべきだから,同時進行で行うべきなのだが,管直人は「一度に複数のことが処理できないヤツ」という評価をネット上のどこかで読んだ記憶がある。出典が不確かなので無責任は承知だが,報道等でつたえられる彼の言動を考えると,たぶんそんなヤツなんだろうなと思う。たしかに,こういう危機的な状況のいま,自分の国のトップを非難しても益はないのだが.....。

原発に関しては,大きく,悲観波と楽観派に分かれているようで,ブログやツイッターでの情報のやりとりがすごい。(ちなみにわたしはツイッタ―はやっていないし,そのやり方(?)もわからないが,ほかのひとのブログ経由で今回は,ツイッタ―のやりとり(?)をいろいろと読んでいる。時代についていくためにツイッターもしようかという気にになり,アマゾンで入門本を注文してしまった。こういうところがまさにアナログ人間だ)。

それで思い出したのが,寺田寅彦の「ものを怖がらな過ぎたり,怖がり過ぎたりするのはやさしいが,正当に怖がることはなかなかむつかしい」という言葉だ。豚インフルエンザが流行ったころにブログに書いたが(豚インフルエンザはその後,新型インフルエンザと呼ばれるようになったが,懐かしい言葉だ。つい2年前のことなのに)。

原発に関しては,状況が刻一刻と変化しているが(新型インフルエンザのときもそうだけど),冷静に考えてみれば,一次情報は,現場で働いていた原発従業員(東電の社員と非正規雇用での従業員[←けっこういるらしい])が一番知っているはずだから,彼らから,正確に情報を聞き取り,それを,専門家が冷静に分析,判断すべきだろう(まあ,やってはいると思うが)。

わたしは和光が近いので,理研(和光研究所)が出している,放射線モニタリングポストの情報を見るが,それでみるとこのあたりは,心配するほどの放射線量ではない。離れているから当たり前といえば当たり前だが,外国の企業や政府のなかには,社員を帰国させたり,原発から半径80km以降への移動(アメリカ政府)を勧めたりという報道を目にするにつれ,どうも過剰反応なんじゃないかという気がしてくる。

ちなみに,寺田寅彦が上記の文章を書いたのは,関東大震災が起きたときだったらしい。

東日本巨大地震から1週間 - その② : 何もしないで静かに見守ることが最善の協力かもしれない

めまぐるしい一週間だったが,わたし自身について言えば,都内へ通勤するサラリーマンではないし,取材等で出かけてもいなかったので,帰宅難民にもならずにすんだ。地震の翌日,ガソリンが底をつきかけていたので満タンにしたが,そのときはまだ,いまほどガソリンスタンドに行列はできていなかった。しかし,スーパーなどで大量に食料品などを買う人は出始めており,どうにも疑問が湧いてきた。

たしかに,今回の地震は余震が多く,その震源地も宮城沖から離れた長野や東海など,どんどん移動している印象がある。余震は時間がたつほど頻度は減り,規模も小さくなるはずだが,この一週間,体に感じる地震が起きなかった日はない。地震そのものがうねりをもって日本列島全体をゆらし続けているのだろうか。そうであれば,近いうちに,今度は「関東大震災」が起きないともかぎらない。

そう思うと不安が増し,カップめんや日持ちのする食料,水を備蓄したいという気持ちもわからないではないが,いまは,すでに被災された宮城,福島,岩手のひとたちに物資が届くことを最優先すべきだろう。とはいっても,遠くで眺めているだけのわれわれにできることは限られている。家族や親戚,友人が被災地にいる人は,呼び寄せるという選択肢もあるが,そうでない人にとっては,「じゃまをしない」ことしかないのではないだろうか。

お金はじゃまにはならないので,余裕のある人は募金をすればいいと思うが,それよりも,必要以上の食料買いだめや特に,ガソリン・燃料類の買いだめは慎みたい。そして,テレビにかじりついてばかりいないで早寝早起きすること。節電にもなるし,生活健全化にもなる。

東日本巨大地震から1週間 - その①: 最初 「管直人はなんて悪運が強いんだ」と思った

今回の地震があったとき,わたしは埼玉県南部の事務所にいたが,最初,ネットでニュースをみたとき,すぐに思ったのは「管直人は悪運強いなあ」ということだった。彼の観音ボクロについては以前にも書いたことがあるが,今回は,在日朝鮮人からの“違法献金”で前原前外務大臣が辞任したあと,管直人自身にも同じ問題が出てきた矢先だったからだ。これでマスコミも世間も地震のほうに関心が行くし,野党も政争ばかりしかけてはいられないだろうと思ったからだ。

事実そのとおりになったが,そのときは阪神淡路大震災を越えるような犠牲者が出る地震とは思わなかったし,津波の様子やその後の原発問題もニュースになっていなかったので,これほどの危機になるだろうと判断できなかった。

自宅(事務所から徒歩10分)に電話をするも,全然つながらないので戻ってみると,被害はないが,停電になっており,わたしの住んでいるエリアは夜中の3時過ぎまで停電が続いた。普段わたしが寝ているベッドのある部屋で,タンスの扉がはずれてベッドのほうへ倒れたという。たいして重いものではないが,夜中だったらわたしの頭上に直撃したことになる。

夜中の3時過ぎまで停電でテレビをつけられなかったので,津波被害の映像や犠牲者数の規模についてはまだピンとこなかった。まさか,阪神淡路を越える犠牲者数になるとは....。しかも,そのときはまだ,原発の問題はニュースになっていなかった。

2011年3月13日 (日)

<菅首相「戦後最も厳しい危機」>に「戦後最も頼りない内閣」とは。。。情けない

東電の輪番停電が決定され,埼玉県南部のわたしの自宅と事務所も影響を受けるが(地震のあった11日[金]の午後から12日[土]の午前2時半までも停電だった),ネットのニュースをみていたら,<菅首相「戦後最も厳しい危機」>という見出しが目にとまった。

「戦後最も厳しい危機」に「戦後最も頼りない内閣」,と情けなく思ったのはわたしだけではないだろう。

先週の木曜日から子どものトラブル(地震関係なし)や金曜日の地震で仕事を全然していない。明日,締切の原稿があるので,停電開始予定の朝6時20分までにはなんとかしなければ。

2011年3月 7日 (月)

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に-第5回-「より良い翻訳」のためには「より良い」を「より少なく」

自分の英語力などたいしたことはなく,翻訳技術もまったく未熟であることは承知しているが,それでも,収入の一定部分を翻訳で得ているので,日本語と英語の違いにはかなり意識的になっているつもりだ。翻訳に限らないが,言葉を扱う仕事をしている人間は“語感”の重要性を忘れるべきではないと思う。

ああ,それなのに,それなのに。。。前回も書いたが,「日本語として不自然でないか?」という見直し(というか反省)が全然なされていない訳文(和訳)が結構多いのに驚かされる。

比較級があると,必ず,「より~」としてくる訳者が少なくない。しかし,欧州言語の形容詞についてウィキペディアの説明をみると<比較変化: 一般的には原級 (en:Positive)、比較級 (en:Comparative)、最上級 (en:Superlative) の3つの段階を持つ。これらの表現を訳すために「より~」「もっとも~」という日本語が作られた。>とある。

形容詞だけでなく副詞もそうだろう。More recently,と書いてあると「より最近になって」,biggerは「より大きい」,most~は「もっとも~」だ。

たしかに,比較級(や最上級)になっている原文(英語)をすべて“比較級”表現(~より,~のほうがより~)抜きで訳すのは難しいしが,ナシでも原文の意味を損なわない箇所,ナイほうがむしろ正確な訳になる文章,そんなところまで,より~,と訳していては,まるで中学生の英文解釈の答案になってしまう。

以上,自戒を込めて。

2011年3月 5日 (土)

「やった後悔」,「やらなかった後悔」-“Regret mimimization” theory:孫請け引用ですが....。

最近,池田信夫氏のブログにハマっている。人によっては自信満々の文体(スタイル)に反発を感じるかもしれないが,その圧倒的な読書量とか知的エネルギーには脱帽する。

アマゾンの創業者,Jeff Bezosの」-“Regret mimimization”を紹介したこのエントリーには感動した。もっとも,別のページ(Dale Carnegieの本を紹介したページ)にリンクが貼られているので孫請け引用(あるいは玄孫引用か?)ですが....。

"I developed a theory I call, 'Regret minimization,'" Bezos told me. "I asked myself, 'When I'm 80 years old and look back on this, will I regret having given up an almost certain multimillion-dollar bonus to go out and start my own company?'"

こういうのを読むと,日々の小さなリスクとも言えないrisk takingにビクビクしたり後悔している自分が情けなくなるなあ。

もっとも,ただ単にむちゃなことをやるのがいいわけではなく,きちんと準備と計画を立てたCalculated riskでなければならないのだが......。

なお,池田氏のこの記事の冒頭に紹介されている 広島県知事の湯埼英彦氏とは,去年だったか,一カ月の育児休暇を取るということで話題になった知事だ。これについては,大阪の橋下知事が「公務員や首長は最後に育休を取っていくのが筋だ」と述べ,これに対して湯埼知事が,「大きなお世話」と反論して話題になった。

この“バトル”については,わたしは橋下知事の意見に賛成だ。

2011年3月 2日 (水)

日本人全体がモラトリアム国民のような気がしてきた-自戒を込めて

モラトリアム人間という言葉は,精神分析医の小此木啓吾氏(慶応大学)が1970年代後半くらいに発表した『モラトリアム人間の時代』という本で一躍有名になった。中学生か高校生くらいだったと思うが,わたしも読んだ記憶がある。その頃は,フロイト,ユング,アドラーなどの精神分析関連の本や精神医学,心理学の本をずいぶん読んでいた(今のような仕事をするとは夢にも思っていなかったが)。

もともとこの言葉は,エリクソンというアメリカの学者がたしかサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』という小説を例にとり,いつまでも社会に出て一人前にならない若い人のことを指して使った言葉だと記憶している。

小此木氏は,上記の本か別の本だったかで,昔は日本では人生において「あれかこれか」の選択を迫られたが,豊かになった現代は,「あれもこれも」の時代になり,選択を絞る必要がなくなったと述べ,そのような状況とモラトリアム人間出現との関連も論じていたと思う。

ただ,わたしは当時から,「あれもこれも」という小此木氏の表現がどうもひっかかっていた。なんというか,迎合的というか,甘えを助長するというか,そんな感想を持った。たしかに,昔(どのくらい昔かは明確に考えていないのだが,まあ,第二次世界大戦前くらいか)は,「あれかこれか」の選択だったが,豊かになり,「あれとこれと」にはなったかもしれないが,「あれもこれも」は違うだろう,と思っていた。なぜなら,「あれもこれも」は当然の流れとして「あれもこれも,それも,そっちのも,......。」ときりがなくなるからだ。何かを諦めるということを“残念”とか“負け”,あるいは“損”というネガティブな心情で捉える人間を増やしてしまうと思っていた。

ここまで書いて,ウィキペディアでモラトリアムを検索してみたら,モラトリアム人間について<学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年)等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い>と説明されていた。

ここでやっとエントリーの本題というか,タイトルの意味だが,日本人や日本という国の状況は,まさにモラトリアムそのものじゃないかと最近思い始めている。ここでわたしはモラトリアムという言葉を意図的に拡大援用しているのだが,自分の言葉で定義を試みるとモラトリアムとは:

「覚悟を決めた行動(=本番)をいつまでも先延ばしにし,予行演習やシュミレーション,準備のための準備や話し合いばかりを続けている状態。そういう人や国民や国」

のことである。

今の政治状況がまさにそうだし,それを許しているわれわれ国民もそう。会社でこのままでは先が知れてるなあ,なんかしなければなあ,と思いながら会社勤めをしている人もそう。いずれ年をとって身体が動かなくなったときのことを考えて老後のことや死んだあとのことも考えて準備しておかなければなあ,と思いながらも死が永遠にやってこないかのように何も準備しない中高年(俺だ!)や高齢者もそう。

そしてそして。締切がギリギリに迫っており,本気で原稿執筆に取り掛からないと,いろんな人に迷惑をかけるし,今後の仕事にも支障が出ることがわかっているのに,やる気がしないでこんなブログを書いている自分がその筆頭だ(←いつものことですが,最後はかなりこじつけです。これはただ単に,やる気がでない,要するに,怠け者ということです)(┐('~`;)┌)。

ただ,モラトリアム(moratorium)という言葉は本来,支払猶予,とか,一時停止,の意味であり,「いつかは履行しなければならない債務・責務の先延ばし」という意味であるから,仕事の怠けもやっぱりモラトリアムだ。イヤ,“猶予”されているわけではないから,これはたんなる引き伸ばし,あるいは,“自分勝手モラトリアム”か。そして,いまや日本国全体が,自分勝手なモラトリアム野郎になりさがっている気がする。

他者(ひと)のことはいい。自分だけはしっかりやるべきことをやれ,という自戒の意味を込めたエントリーです(┐( -"-)┌ )。

追記:書き終わってから少しググってみたら,小此木啓吾氏は,「モラトリアム国家・日本の危機 」という本を1998年に祥伝社から出していることがわかった。やんなっちゃうなあ。知っててこのエントリーを書いたわけではないが,やっぱりひとのふんどし(ひとの用語)を使って気のきいたことを書こうなんてムシのいいことを考えたのは間違いだった。ブログなんぞ書いている時間があったらほんとに仕事しろよ!(と自分に言い聞かせる)。

2011年3月 1日 (火)

たしかにハマる,西村賢太-「苦役列車」を読みました

最近芥川賞受賞で話題になっている“平成の私小説作家”,西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。小説好きの人の間では,西村賢太はクセになる,などと言われているそうだが,確かに面白い。何度も声に出して笑ってしまった。

最初の1~2ページは妙に古めかしい漢字とか言葉使いが多い印象を受け(冒頭の<曩時北町貫多は...>などは,曩時の意味がわからず,曩時北町貫多というのが主人公の名前かと思ってしまった)多少抵抗を感じたが,読み進むうちにそれもなくなり,だんだんと講談を聞いているような気になってきた。

三人称で書かれているので,主人公と作者に距離はあるのだが,西村氏自身が「90%以上は実際にあったこと」とインタビューで言っていたとおり,三人称でありながら,一人称的な印象を与えるところもあり,それがまた面白い。

“社会の底辺”で希望のないその日暮らしをする青年(19歳)の話だが,実体験に基づいているリアリティーと的確な描写,そして人物に対する秀逸なコメントが笑ってしまう。

思わず声を出してしまった箇所はいくつもあるが,例えば,平和島の冷蔵団地へ行くバスのなかで隣に座った中年男がコールスローを食べるシーンで<ちょうどその男はサラダの容器に分厚い唇をつけ,底に溜まっていた白い汁みたいなのをチュッと啜りこんでいるところだったので,これには彼はゲッと吐きたいような不快を感じ,.........>というところ。思わずうなってしまった。

また,恋人も友人もいない自分の現状を<別段,それがつらいという云うわけではないが>と書いたあと,友人がいれば<何もあんなシケたところで若年寄りよろしく,ポツンと安酒飲むようなこともないのである。もっと明るく,活気に充ちた店でラビオリなぞつまみながら,サワーのグラス片手に女と女体の話で大いに盛り上がる楽しみも可能なのである。>の部分。ラビオリなぞつまみながら,には爆笑した。ここは確かにラビオリがピッタリだと思う。ポテトでもフライドチキンでもスパゲッティでもなく,ラビオリでなければならない。

そのほか,終わりのほうで,日下部とその彼女の美奈子との3人で野球を観に行ったあとの,居酒屋での日下部と美奈子との会話など,他愛ないがいかにも普通の学生同士っぽい(=バカッぽい)感じが出ていて,なんでもない内容だがうまいなあと感心した。

なお,同時受賞のお嬢様作家,朝吹真理子氏の「きことわ」はまだ読んでいない。同じ号の文芸春秋に掲載されているので,いずれ読むかもしれないが,シロガネーゼの朝吹氏の小説に対しては,読む前からなぜか“ひがみ”や“気おくれ”を感じてしまう。わたしは,苦役列車の貫多ほど,たいへんな人生を送ってきたわけではないが。。。。。

最後に余談だが,東京都知事に立候補したワタミ会長, 渡邉美樹氏の幼少期から独立するまでの「苦役列車」の話が週刊新潮だったか週刊文春だったか,どちらか忘れたが,出ていた(「苦役列車」を見出しに使っていた)。渡邉美樹氏の都知事選立候補については「なんだかなあ」と,これについても,わたしなりの感想を持っているが,埼玉県民のわたしには直接関係ないことであるし,まずはほかの人のブログを検索してみよう。

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