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2011年9月

2011年9月26日 (月)

「岩手の作家12人が震災アンソロジーを発行-印税全額を被災地支援に寄付 /岩手」 - もちろんよいことだけれど。。。

金曜日にサンディエゴから戻ったが,肩こりがどうにも耐えられなくなったので,土曜日に「行きつけ」の鍼灸院で,鍼 + マッサージをしてもらった(あまり効果はなかったが)。

とりあえず治療されている間はいい気持で,流れているFMラジオをなにげなく聞いていたところ,岩手の作家12人が震災アンソロジーを発行-印税全額を被災地支援に寄付というこの本の紹介放送が流れ,とりまとめを担当したという直木賞作家の高橋克彦氏(盛岡市在住)のインタビューが聞こえてきた。

本は読んでいないのでその内容について何かを書こうというわけではないのだが,そのインタビューで高橋氏が震災直後の様子などを述べ,以下のような内容のことを述べた(忘れてしまったので,正確な引用ではありません)。

ようするに<このような甚大な災害に直面して,作家などという仕事の意味に疑問を持った。生活そのものが崩壊している現実(日常生活に必要なお店がすべて閉店/壊滅してしまっている)を前にして,芸術などの無力さを感じた>というような感想(不正確。ご容赦)だったと思う。

これを聞いて,わたしは「またか」と思ってしまった。今回のような大災害が起これば,人生や仕事について考えなおす(反省する)気持ちになるのは誰でも同じだ。関東にいて,何の被害も経験していないわたしでさえ多少は「今後の生き方」について地震とからめて考えたくらいだから,震災地で実際に地震に遭遇した人が,人生や仕事について考えを改めるに至るのは当然かもしれない〔関東や関東以外の被災地でない日本中の人々にとっても,今回の地震は,今後の不安(次は自分の住んでいるところに大地震が来るのではという不安)を高めることになったであろうし,この不安は日本に住んでいる誰もが抱いているだろう〕。

しかし,「芸術は無力だ」とか,「大震災を前にして小説などは何の意味もない」的な反省はどうか?率直に言って,そのような感慨をまじめにもったとしたら,直木賞作家もたいしたことないなあ,とわたしは思ってしまう。

そんなこと,あたりまえではないか。大災害に遭遇しなければ,そういうこともわかっていなかったのだろうか。生き延びることが最優先の状況におかれれば,芸術も小説もありはしない。しかし,ある程度,生活が落ち着いてくれば,人間は個々の性格や感受性,おかれた環境にもよるが,小説が必要になる人もいれば,音楽が必要になる人もいる。映画で心が救われるひともいれば,絵画で何かを表現したり,あるいは感じたりする人もいる。

大地震に直面して自分の仕事の意味とか価値に疑問を持つということは,逆に言えば,それまで自分の仕事というものを「過大評価」していたといえるのではないか。

急いでいるのでどうも文章が混乱してきているが(いつものことか?),わたしは「大震災以後,考え方が変わった」とか,「大震災以後,日本人が変わった」ということを躊躇なく言ったり,そういう見方を素直に受け入れる人に対してどうも疑問を感じてしまう(2001年の9.11のアメリカ同時多発テロのあとも,9.11以降,アメリカは変わった,というようなことを新聞やテレビでよく耳にしたが,その後の10年のアメリカが「本質的な意味で」変わっただろうか?何も変わっていないんじゃないだろうか。9.11以降も住宅バブルに踊り,リーマンショックを起こしたのは3年前だ)。

もちろん,直接被害にあわれた方々の生活は一変してしまったであろう。しかし,その後の人間のいとなみは,例えば,「日本人はあの震災以降,変わった」というような言い方が妥当なほど,変わっているだろうか(個々の極端な悲劇,具体例を探せば,「人生(観)がひっくりかえってしまった」例はいくらでもあるだろうが)。

人間は変わらない。あれほどの大災害があっても基本的には変わらない。震災後の悲劇と,それにもかかわわらず,相変わらずの政治のごたごたとか,(直接的に見聞きした具体例は知らないが,間違いなく存在するであろう)震災利権がらみの卑しい争いなどを考えると,人間は,悲しいほど変わらない(変われない)ものだとわたしは思う。

だからこそ,衣食住だけでなく,小説も音楽も映画も娯楽も,やはり必要なのだ。そして,そんなこと,今回の大震災に遭遇しなくても,小説家なら理解していてもいいんじゃないの?というのがわたしの疑問だった。そうであれば,「震災に直面して小説などに意味があるのか?」などという子どものような感想は出てこないはずだ。

これから,福島県立医大へ取材仕事に行く。

2011年9月22日 (木)

学会取材 - 米国骨代謝学会(ASBMR 2011)-雑感

まだ少し時間があるのでいくつか雑感を書いておこう。

東大整形外科の川口先生が“ASBMR LAWRENCE G. RAISZ AWARD”という賞を受賞されて,会場にはほかの賞の受賞者と一緒に大きな写真が掲げられていた。授賞式も見たが,<ドアが閉まる直前のエレベータに手ではなく頭を突っ込んだ>人の小話で笑いをとる,なかなか上手なスピーチだった。落ちは<整形外科医だから大切な手は守る>というもの。

仕事とは関係のないシンポジウムや一般演題もいくつか聞いたのだが,ほとんど眠っていたか,記憶が薄れてしまった。

16日に聞いたPLENARY SYMPOSIUM I-MUSCLE AND BONE INTERACTIONSの3番目に登場したMark W. Hamrick氏(Georgia Health Science University)は,“Myokines: Key Regulators of the Muscle-Bone Unit”という講演で,IGF-1,bFGF-2,Myostatin,という3つのマイオカイン,を紹介していた。マイオカインとはMyotube〔筋管(細胞)〕 から分泌される因子のことで,脂肪組織から分泌されるものをアディポサイトカインと呼ぶのに倣った言い方か。IGF-1とbFGF-2は骨形成の亢進,Myostatinは骨形成抑制に働くらしい。

20日(最終日)の最後のセッション,PLENARY SYMPOSIUM III - NOVEL GENETIC AND EPIGENETIC APPROACHES TO HUMAN DISEASE も一応座っていたが,まったくチンプンカンプンだった。2番目に講演した James Herman氏(Johns Hopkins University)(たしかOncologyのProfessorだった)が,最初に示したEpigeneticsの定義,“Heritable change in gene expression, not due to change in DNA sequence”だけがはっきりと聞き取れ,気になった。

epigeneticとは後天的な遺伝子の傷,くらいの理解しかなかったわたしにとって,Heritable changeというのがどうにも解せなかった。DNA sequenceは変わらないのにフェノタイプ(gene expression)がHeritable(遺伝する)とはいったいどういうこと?,ということで,ちょっと真剣に聞き始めたが,全く理解できなかった。

そのほか,PLENARY SYMPOSIUM III の前の8:30~10:00amにあったCOCURRENT ORAL SESSION 44: OSTEOPOROSIS FRACTURES AND CLINICAL OUTCOMEも,最初の1人を除いて,残りの5演題(#1260~#1264)は聞いた。骨折リスクの推移や,骨折(非椎体骨折)と死亡率との関連などを示した疫学研究中心のセッションだった。これらは,表面的な理解はできたが,正直な感想を言うと,研究の意味(意義)がよくわからないものばかりだった。

もう時間がないのでこれから出発の荷造り開始。

学会取材 - 米国骨代謝学会(ASBMR 2011)-といって写真貼り付けのみ

あと1時間弱で帰りの荷造りをしなければならない。今回は速報の仕事だったが,担当演題が比較的簡単なものばかりだったので原稿書きはそれほど手間どらずにスムーズに行った。それに安心してあとでゆっくりブログを書こうと思っているうちにぐっすり眠ってもうこんな時間。ま,“マスターベーション”で書いているブログなのでどうでもいいんだが。

というわけで,いつも通り,仕事以外で少しは聞いた発表の内容や感想を書きたいのだが,時間切れとなる可能性が高いのでとりあえず「観光写真」のみ貼り付けておこう。

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↑最後にサンディエゴコンベンションセンターに来たのがいつだったか記憶にないが,以前よりもずいぶん左側に広がって大きくなっていた。今回のASBMRその「新館」部分で行われ(5000人程度の学会なので,学会場をすべて使う必要がない)た。このコンベンションセンターもシカゴやオーランドの超巨大会議場に近づきつつあるなと感じた(といっても,その2つよりはまだ小さいが)

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↑新しくできたヒルトンホテルからPETCO PARKへ続く歩道橋からみたコンベンションセンターと昔からあるホテル群。

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↑ PETCO PARK(サンディエゴパドレスの本拠地)。仕事が終わってからの2日は試合がない日だったので試合を見ることができなかった。残念。

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↑ 宿泊しているホテルの窓からPETCO PARKが見える。原稿書きで悪戦苦闘している最初の3日間はナイトゲームやデーゲーム(日曜日)をやっていたので歓声が聞こえてきて気が散った。

2011年9月13日 (火)

学会取材 - 米国骨代謝学会(ASBMR 2011)

明日から米国骨代謝学会(ASBMR 2011)の取材のためサンディエゴに出かける。この学会は,国際禁制学会(ICS)とならんで,フリーランスになって毎年,仕事が発生している(4年連続)学会で,そういう意味ではわたしにとって縁起のいい学会だ。

会社勤めをしているころは骨粗鬆症関連の仕事などあまりやったことがなく,強い関心も持っていなかったのだが,毎年続けて同じ学会を取材していると,「門前の小僧,習わぬ経を読む」ではないが,それなりに慣れた感じ(錯覚)を抱くようになる。もっとも,今回も速報仕事なので,いったん仕事がはじまれば数日間はくたくたになりそうだ。

サンディエゴはもう何度も行っている。覚えていないが,少なくとも5回は行っているだろう。こじんまりして気候もいいので嫌いな街ではないないのだが,西海岸からの乗り継ぎがちょっと面倒だ。明日はロス経由。ターミナルをどう動くんだったかな。

8月末から海外出張が2つ続き,その間にも札幌へ一度行っているので,家を開ける時間が長く,子どもと接する時間が短いので辛い。子どものほうは目の前の関心事に夢中だから,いれば近寄っては来るが,いなければいないで結構楽しんでいるようなので心配はしていないがチトさびしい。

9.11から10年で,今月は空港チェックが通常より厳しいかもしれない。面倒だ。直行便があればまだ少しは楽なのだが。。。。

2011年9月11日 (日)

鉢呂経済産業大臣の辞任 - 「またか」「ええかげんにしてくれよ」

鉢呂経済産業大臣が,「死の町」,「放射性物質がうつった」発言で辞任することになった。日本中のほとんどの人が「またか」とうんざりしているに違いない。

ただ,この「またか」には,①「(就任早々の大臣が)また,バカな発言をして」,②「(マスコミが)また,大臣の些細な言葉尻を捉えて騒いでいる」の2通りにの反応があると思う。

①は「辞任は当然」派,②は「こんなことくらいで辞める必要はない」派,だろうか。

もっとも,鉢呂氏が経済産業大臣になったこと事体に対する疑問の声も多い。社会党出身の「農水族」(?)でTPP反対の反原発派(?)らしいからだ。

しかし,自民党政権のときからそうだが,新しい内閣ができると,必ずといっていいほど「舌禍」を起こすやつが出てくるのはどうしてだろうか。まったく学習効果がないというか,基本的な考え方がおかしいんじゃないだろうか。

政治家に限らないが,社会では地位があがるほど,オフィシャルな時間,言い換えると,建前を要求される時間が長くなる。政治家などはそれの最たる商売で,その頂点である内閣総理大臣など,任期中にプライベートな時間(= 本音をそのまま口に出してもよいとき)などは一秒もないというのがわたしの考えだ。内閣のメンバーである閣僚はそれに準じるだろう。それがいやなら,最初から,引き受けなければいいのだ。

特に,政治家にとって,言葉はきわめて重要なものであり,一言一句がどのようなメッセージとなって伝わるか,伝えられるか,それを意識していなければならない。その,いわば,最初の段階でつまずいているのだから,鉢呂経済産業大臣はやはり大臣失格だ。

もっと言葉の選択に慎重であれ。腹のなかで何を考えていたっていい。しかし,それを「素直に」口にするなよ。まったく。

2011年9月 4日 (日)

iPadで電話(たぶんSkype経由だろう)しまくっている若者-いらつくが興味も湧く-実況中継

「貧乏人はラウンジに入って来るなよなあ」と,自分の貧乏を棚にあげてバックパッカーもどきが入ってきたと前のエントリーに書いたが(実はバックパッカーほどは汚らしくない),その若者の1人は,iPadを出して,そのうち,電話で話はじめた。相手の声はイヤホンで聞いているので外にもれていないが,本人は平気で大きな声でしゃべりまくっているのでうるさくて仕方ない。英語からアメリカ人に違いない。

しかし,iPadは電話機能はないはずだと思っていたが,これはskypeかなにか経由で話しているのだとわかった。しかも,テレビ電話のようだ。いま私の右斜め前で,仲間にこれが母親(電話の相手らしい)だと示して,なにやら大声でしゃべっている。近くにいる私と同年配くらいのおばさんのなかには,うるさそうに顔をしかめている人もいる。だが,これは(いまもまた,電話[iPhoneの目覚ましでわたしもよく使う,あのマリンバ?のサウンドだ])ひょっとしたら,これからの成功者とはこういう人間なのかもしれない,と思い始めた。断片的に聞こえてくる内容から,この若者はどうやら,わたしのような貧乏人でなく,ほんとうにビジネスクラスかファーストクラスに乗るようなことを言っている。

これはひょっとしたらアップル社の若きエグゼクティブか?次世代のスティーブジョブズか?などど妄想がうかんできた。あ,もう時間だ。アシアナのエコノミークラスの狭い席で11時間,「ぐっすり」眠る時間がやってきた。

ユナイテッドビジネスラウンジの受付女の露骨な見下し態度が頭にくる-ロンドン・ヒースロー空港から

今,ヒースロー空港第1ターミナルのスターアライアンスラウンジにいる。ロンドンに着いてもアシアナのチェックインカウンターがまだ受付を始めていかったので,ラウンジで4~5時間仕事をしようという目論見がはずれてしまった。

しかも,スターアライアンスラウンジの受付にいる白人女の露骨な見下し態度に頭にきている。まあ,多少は冗談で書いているのだが,それにしても,入るときにマイレージカード(ゴールドメンバーのカードを出せ)を要求して(それがなくても,ボーディングカードにちゃんと表示されている),しかも,長々となにやらチェックしたり,無線LAN接続のパスワードをこちらか要求するまで提示しなかったり(実際はパスワードはいらない。要求したら,接続ポイント名を教える紙を手渡された),ANAやアシアナのオリジナル・ラウンジでは決して経験することのないような嫌味な感じを受けた。

まあ,エコノミーの(しかも格安)チケットでビジネスラウンジを使っているこっちは確かに貧乏人だし,貧乏旅行で世界中を飛び回っている若者などで,ビジネスラウンジをホテル&レストラン代わり(?)に使う人がいるのかもしれないが,無礼は無礼でももう少し慇懃無礼にやれないものかと思う。

ここから話は完全に脱線するが(しかし,内容的には結構的をついていると自分では思っている),アメリカでもヨーロッパでも,(経済的な)中流からそれ以下の人間のなかに,時々,とてもいやなやつらがいる。東洋人に対する差別意識(自分たちの優越意識)と自分たちの経済的苦しさがからみあって,とても嫌な態度を取られることがある。

話変わって,今回の出張の1か月ほど前に,出張用のノートパソコン(LenovoのThinkPad T420s)を買ったが,なかなか使いやすい。ノートパソコンはパッドがどうもなれないので,これまではワイヤレスのマウスを持ち歩いていたが,マウスが不可欠になるとちょっとしたところで使うのが面倒になるので,トラックポイントのついているThinkPadにした。昔,まだIBMのころのThinkPadを2~3台使ったことがあり,トラックポイントがあれば,マウスなしでも使えていたので,今回,久しぶりにThinkPadに買い替えた。メモリも8Gといっぱい装着し,けっこうなハイスペックにしたので,4~5年は使えるのではと期待している。

追伸:ここまで書いてエントリーをアップしてすぐに,ほんとにバックパッカーみたいな若い外人(白人)3人組が入ってきて,わたしのとなりでパソコン(やっぱりMacだ)を出して,カチャカチャやり始めた。「もうぉ,貧乏人は入って来るなよ」(受付女の気持ちが少しわかった)。

2011年9月 3日 (土)

学会取材-国際禁制学会(ICS)2011

国際禁制学会(International Continence Society;ICS)2011 の取材で英国・スコットランドのグラスゴーにきている。8月29日~9月2日までの会期で,仕事は終了。あと30分でホテルを出て,丸一日の帰国の途につく。

なぜ丸一日かというと,今回はグラスゴー → ロンドン(BA),ロンドン → ソウル(アシアナ航空),ソウル → 成田(アシアナ航空),というきわめて効率の悪いフライトを選んだからだ。ヒースローで約5時間,インチョン(ソウル)で約3時間の乗継待ち時間があり,成田につくのはなんと4日夜の9時過ぎ。もっとも,今年はANAのダイアモンドメンバー(= スターアライアンスのゴールドメンバー)のカードがあるので,ロンドンとインチョンではラウンジが使える。仕事がたまっているのでなんとかこなしたいと思っている。

ICSのほうは毎年やっている取材(材料とり)仕事だった。特に大きなトラブルはなく無事終了。学会も例年通り盛況だったが,ポスターディスカッションの会場変更がアナウンスなしに突然行われたり,ボードに番号が貼ってなかったり(あるいは会場変更前の番号が貼ってあったり)と,運営会社の手際の悪さに少しいらだった。

本来の目的で会議に出席しているドクターにとってはそれほど気にならない程度の不手際だったのかもしれないが,わたしの場合,ポスターの写真を撮ったり,演者に許諾をとったりが目的なので,こういう変更は仕事に支障が出て困る。

グラスゴーは15年前に国際高血圧学会(ISH)の取材できて以来だった。そのときは,ホテルが取れずに空港そばのホリデイインに泊まって,毎日,市内までタクシーで通ったので街を歩いた記憶がほとんどない(学会場の黒い建物は記憶に残っていたが)。今回,到着の翌日と翌々日に少し街を歩いたが,曇っている時間がほとんどなので,きれいな写真はほとんどとれなかった。大聖堂(カテドラル)もマッキントッシュによるグラスゴー芸術学校の建物も,修理中で,足場がたっていて,外観がよくなかった。

帰国後も国内出張やら海外出張〔米国骨代謝学会(ASBMR,サンディエゴ)〕が続く。10月以降の仕事の目処がほとんどたっていないので,忙しい9月中にせっせと仕事しておかなければ。

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