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2011年12月 5日 (月)

甘ちゃんばっかりのマスコミ、政治、官僚、日本国民と日本経済―そしてオレ:「犯す前に言うか」の前沖縄防衛局長、田中防衛氏の“オフレコ”発言を報じた琉球新報の記者を<同じ新聞人として恥ずかしい限りだ>と12月3日の産経抄←勝手に“身内”で反省してくれよ

またわけの分からんタイトルをつけてしまった。

仕事に対するヤル気がでない→仕事がはかどらない→締切に間に合わない→仕事と関係ない文章を読みたくなってくる→ネットで遊び、読書に逃げる→ブログに文字を埋める。完全に悪循環に入ってしまった。

米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の提出時期について、報道陣との“オフレコ会談”で「犯す前に言うか」と言ったとされる田中防衛局長が更迭された。政治家ではないが、防衛省の局長のこの発言は、内容は異なるもののリスク管理の甘さと言う点では、一連の政治家アホ発言同じで、もうコメントにも値しないという感じだ。

今回も“オフレコ”の席での発言だったらしいが、そのオフレコの場に招待されていなかった(?)らしい産経新聞は、産経抄(12月3日)で、<最低限の信義を守ってこそペンの力>と題してこんなことを書いている。

 <▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。

 ▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。

 ▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。

 ▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。

 ▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。>

これを読んでわたしは「まあ、そう力みなさんな」、という感想を持った。産経抄の上記の文章は普通に読むとまあ、納得できる意見のようにも感じられなくもない。マスコミにおける“オフレコ”約束の位置づけについてもいろいろ議論はあるようだ。これについては、同じ産経に、琉球新報「公益性」を強調 新聞協会「オフレコに道義的責任も」、という記事も載っている。

新聞協会にとっては“オフレコ”発言を報道したとかしないとかは大問題なのかもしれないが、上の産経抄に書かれている<人間としての最低限の信義>っていうのはこういうコンテキストで使われる言葉だろうか。わたしはもっと単純に、政治家や官僚のリスク管理の甘さ、あるいは、緊張感のなさ、と理解してよい問題だと思っている。

<小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて>とあるが、田中前沖縄防衛局長は、その10社の記者全員が、どんなことをしゃべってもオフレコ発言だから取り上げないという<最低限の信義>を守る人たちだと信頼していたのだろうか。それほどこの10人と親しくつきあっていたのだろうか。

これを、田中前沖縄防衛局長と出席していた10人の記者との人間関係という視点で捉えると、「当てにしていた人間」に「裏切られた」というだけのことじゃないのか。子どもじゃあるまいし、「裏切られた」ほうが甘ちゃんでバカなのである。<オフレコを報道しないのが信義>と言ったって、そんな信義よりも発言が重大と記者が判断し、その新聞が掲載することを決めれば、掲載される。それだけのことだ。

産経抄でおもしろいと思ったのは、<小社を除く約10社の記者>のところで、何故、産経はそのオフレコ会談に同席していなかったのかだ。ただ単に、記者が都合つかなかっただけなのか、あるいは、田中前沖縄防衛局長が「産経は要注意」と判断して呼ばなかったのか(まあ、産経だから、田中前沖縄防衛局長としては、要注意じゃなく、むしろ、安心していられる相手のはずだが。。。)。

まったくもって、この政治家にしてこの官僚、そして、このジャーナリストという感じの甘ちゃんばかりだが、仕事の調子があがらないと言っては、こんな駄文を書いているわたしは、さらに仕事から逃げるために、「2013年 大暴落後の日本経済」(中原圭介著、ダイヤモンド社) という本を一気に読んでしまった。読みやすい本だからそれほど時間はかからないのだが、仕事に追い込まれると、逃げの読書、のスピードは大幅アップする。

そこで、この本。ギリシャ問題に端を発した欧州の財政危機の本質を説明しながら、2012年中に何等かの解決策が形になれば、2013年から海外のヘッジファンドはいよいよ日本の国債を売り始めるだろう、と書いている。

日本の借金の状況が対GDP比率で言うと、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)諸国よりもまだひどい状況であることはよく知られている。なのに、日本の国債の金利が1%前後で維持されていたり、円高になっているのは素人的にはホントに不思議だが、1)国債の90%以上が国内で消化されいている(内国債。家計でいうと、お父さんの収入の少ないのを、子どもや奥さんがお父さんに貸し付けているだけ?)、2)経常黒字―の2点がPIIGS諸国と異なる点であり、この2点が維持されている限り、日本国債暴落はない―というのが一般的な見方のようだ。(さらに、日本の消費税5%は欧州諸国と比べるとはるかに低いので、まだまだ上げる余地はあり、財政再建の潜在余力は大きいという判断もあるようだ)。

この本に書かれている、OECD加盟国の所得代替率(現役世代のときの収入と比べて、どのくらい年金がもられるか)を見ると、ギリシャ 84.0%、スペイン 81.2%、イタリア 78.8%、ポルトガル 66.7%と、アイルランド(30.6%)を除いてPIIGS諸国はのきなみ高い。ユーロ危機、解決のカギであるドイツなどは45.8%だ(ちなみに、日本は50.3%だが、いまの調子だと、50%を維持できなくなるのは確実らしい)。海外から金を借りまくっていながら、リタイアしたひとたちに現役時代の70~80%の金を年金として払っていればそりゃあ、早晩、やりくりできなくなるでしょう。

ようするに、“収入以上の生活”をどの程度やっているか、足りない分をどこから借りているか、足りない分をどれだけ将来につけまわしているか、財政危機と呼ばれるものの本質はこれにつきる。そういう意味では、いわゆる「財政破綻」というものが日本におこるのかどうかはしらないが、どう考えても、少なくとも今後10~20年くらいは、厳しい状況が続くことは間違いないだろう。

ところで、財政破綻という言葉がよくつかわれるが、日本が財政破綻になる、とは、どういう状況を言うのだろうか。その定義はいったいどういうものなのか、専門家の間では常識なのかもしれないが、わたしにはイマイチよくわからない。この本では、早ければ2013年には、ヘッジファンドに日本国債は狙われる(売りを浴びせられる)と書いてあるが、その一方で、「日本が財政破綻することはない」と書かれている。

国債がデフォルトになれば、それは確実に財政破綻だろうが、そうなることはない、と言われたって、それは、「死ぬことはない」、あるいは、「日本という国がなくなることはない」と言われているだけで、日本の将来が暗いものであるという予測は変わらない。

こんな状況なのに、政治家も官僚も、マスコミも、そして何よりも、国民はなんて甘ちゃんなんだろうなと思う(そして、オレも)。自戒、自戒。

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