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2011年12月

2011年12月16日 (金)

初めて経験の多かった今回のASHから昨日まで-④:垢すり初体験とタイ式マッサージ

昨日は午前8時前には自宅に戻っていたので,体調が良ければ普通に仕事に取り掛かれたのだが,(疲労と睡眠不足は蓄積されているはずなのに)飛行機のなかで思うように眠れず,肩こりが耐えられないので,近くのスーパー銭湯で半日休養。これまで迷いながらもやったことのなかった「韓国垢すり」をやってもらった。

タワシのようなもので全身を擦られるのは痛いのではと恐れていたが,それほどでもない。むしろ,かゆいところを掻いてもらっている感じで気持ちいい。そして,出るわ出るわ,垢のヤマ。確かに血行もよくなりそうでなかなか気持ちのよいものであった。

垢すりのあとは,タイ式マッサージ。これは,以前にもやってもらったことがあり,ストレッチを取り入れたマッサージとのミックスみたいなもので,身体の硬いわたしにはなかなかよく効く。ただ,強くされると痛いし不快なので,軽くやってもらっているうちに,眠くなってしまった。

しかし,いつものことではあるが,気持ちのいいのはマッサージされているときだけで,お昼を食べて自宅に戻ると疲れ具合はあまり変わりなし。ひと眠りしようとベッドに入るも眠れない。夕方から事務所に出て,少しだけ仕事をしたが,体は疲れでどんより,頭は眠気でボー,なのに神経は興奮ぎみで眠れない,という最悪の悪循環に入った感じだ。

仕事に集中できないので,ネットでニュースやブログ,ツイッタ―を久しぶりにのぞいていたら,また,政治がらみの頭にくるというか,アホらしいニュースが目についた。

初めて経験の多かった今回のASHから昨日まで-③

今回の初めて経験は,実は学会そのものと関係のないところでもいろいろあった。11日~12日はサンディエゴの天気が悪く,時々,雷を伴う激しい嵐のような雨が降った(らしい)。わたしは,両日とも朝から夕方まで,会場の外には出ていないので,“豪雨”には遭遇しなかったものの,晴天続きのイメージのあるサンディエゴにしてはめずらしい天気だと感じた(サンディエゴ訪問は通算,5~6回目だが,雨に降られたのは初めての経験だったと思う)。

帰りは予約が取れなかったということで,カールバッドというサンディエゴの北数十キロのところにある空港からロスまで飛行。飛行機自体はサンディエゴのコミューターターミナルからも飛んでいる小さなプロペラ機だったが,カールバッド空港を使うのは初めての経験だった。

ロスからのANA便は,成田行きではなく,羽田行き。羽田空港の国際線ターミナルを使うのも今回が初めての経験だった。家(埼玉県南部)に帰るには便利だが,到着が早朝5時過ぎというのはなんとかならないものか。

初めて経験の多かった今回のASHから昨日まで-②: ガラガラのLate-Breakingはなんとかならんか

前のエントリーに書いたような状況なので,今回のASHでは仕事に直接関係のない発表を聞く余裕は全くなかった。しいて言えば,4日目(13日)の7:30amから10:00過ぎまで,Hall A-B(Cも使っていたかも)というバカでかい会場で行われたLate-Breaking Abstarcts (LB-A)だけは聞いた。最後のLB-A-6を,「総括」下書き原稿,の参考にするつもりだったが,あとの発表は内容もバラバラ,こちらは睡眠不足でフラフラ,会場はガラガラで,まったくもって集中できなかった。

ちなみに LB-A-6は,低悪性度の濾胞性リンパ腫患者に対して,1次治療でリツキシマブを投与し,奏効例に対して,リツキシマブ維持療法(retuximub maintennce;RM)を行うか,経過観察(watchful waiting)を行いながら,再発した時点でリツキシマブによる再治療(repeat retuximub;RR)を行うかを比較した第III相試験( Results of Eastern Cooperative Oncology Group Protocol E4402 (RESORT): A Randomized Phase III Study Comparing Two Different Rituximab Dosing Strategies for Low Tumor Burden Follicular Lymphoma)

RRでは(再発の)不安におびえながら経過観察に来なければならないので,RMで再発を抑え続けておくほうが良い,という結果を試験のスポンサーは期待したのかもしれないが,<結果は両群とも同等。不安等のQOLに及ぼす影響も今回の試験で検討された範囲では差はなく,唯一,差の存在が示唆されたのは,RRではMRと比べて,細胞障害性(cytotoxicな)の化学療法を開始するに至るまでの時間が短い傾向にある>ということであった。また,薬剤費は,当然だが,RMのほうが高くなる。

米国血液学会(ASH)の取材は今回で4回目か5回目だが(フリーランスになってからは昨年に続いて2回目。そのほかは,10年近く前に医学新聞の社員だったときに2~3回),Late-Breaking セッションなんて,昔からあっただろうかと訝しい気持ちになった。

2人目だったか3人目だったかの若い男性ドクターの発表(資料を調べれば名前とかタイトルがわかるのだが,面倒なので省略)は,細胞免疫療法による(たしか)骨髄腫治療の研究,だったような気がする。制御性T細胞(Treg)をmanageしてどうのこうの,という言葉がタイトルで見えたので,(細胞免疫療法の仕事を年に何回かやっているわたしとしては)興味を感じて,少しだけ集中して聞こうとしたが,開始10分もしないうちに睡魔に襲われてしまった。しかも,前半部分はラットを使った動物実験の紹介ばかりなので,「おいおい,Late Breakingでこれはないだろ」と心のなかで叫んでしまった。あとでもう一度か確認してみると,このセッションはLate-Breaking Clinical Abstractsとはどこにも書いてなく,ただ,Late-Breaking Abstarcts ー であった。つまり,ASCOのような臨床試験の最新発表,というわけでもなさそうだった。

それにしても,あのばかでかいホールのなかに,イスをいっぱいに敷きつめ,あのガラガラ聴衆はちょっとひどいのではないだろうか。もう少し,出席人数を事前に予測し,小さ目の会場でやってもよかったのではないか,という感想を持った。

初めて経験の多かった今回のASHから昨日まで-①

昨日(15日)の早朝,羽田着のANAで第53回米国血液学会(ASH)の取材から戻った。速報の仕事だったが,出発前の予想通り,個人的にはかなりきつい仕事だった。3日間(会議は4日間だが取材対象演題は3日間のみ)で10本(ポスター4本,オーラル6本) + 監修ドクターの「総括的印象記」の下書き,という仕事で,最後の「総括」下書きは満足いくものにはならなかった。

10数年前に,この業界における海外学会速報の仕事を「パイオニア的に広めた1人」という自負はあるものの,事前準備ができない状況(今回は現地で取材演題が決まったものが多かった)での1日3~4本執筆の場合,オーラル発表を例にあげると「本番での発表を1回聞いた段階で,原稿の内容/ストーリーをかなり明確に頭に描けている」ことが必要になる。発表が終わった時点でチンプンカンプンやそれに近い状態の場合,内容を理解するために調べたり,わからない英語を確認したりしているうちに1時間や2時間はすぐに過ぎてしまうからだ。ま,かなりヒヤヒヤものではあったが,最低限の仕事(100点ではむろんないが,合格点[60点以上]に達している)はできたのではないかと考えている。

2011年12月 9日 (金)

学会取材-第53回米国血液学会(ASH)

今日から第53回米国血液学会(American Society of Hematology;ASH)の取材でサンディエゴに行く。ASHは昨年も行ったので2年連続。サンディエゴは9月にASBMRで言ったばかりで、こちらも新鮮味なし。

今回も速報の仕事で、しかも原稿の本数が多いので、このブログに何か書くことはたぶんないだろう。

学会取材-第21回 日本耳科学会

先月取材した沖縄での学会というのは、実は日本耳科学会で(みみか、学会ではなく、じか、学会)、24日のお昼過ぎから開かれた福島孝徳先生の特別講演 「聴力保存のテクニック合併症の防止:聴神経腫瘍 1560例の総括」を聞いた。

福島先生と言えば、三井記念病院の脳外科部長から40代後半で米国に渡り(それ以前にもドイツその他で留学経験豊富)、鍵穴手術(Key hole surgery)で有名な先生で、テレビのドキュメンタリーなどにもたびたび取り上げられているのでご存じの方も多いであろう。現在は、デューク大学の教授のほか、米国の複数の大学の教授職を兼ね、さらに、日本でも福島孝則記念病院(塩田病院附属)というのもでき、自らの執刀だけでなく、後継者(人材育成)にも力を注がれているようだ。ちなみに、頭蓋底の方向から手術をする外科は、頭蓋底外科、と呼ばれる。

聴神経腫瘍は、正確には前庭神経鞘腫と呼ばれる。良性の腫瘍なので、手術、放射線値治療(ガンマナイフ)、経過観察、の治療選択が難しい(= 意見が分かれる)らしいが、良性とは言え、何もしないままで腫瘍の増大が進むと(自然に縮小するような例もあるようだが)、聴覚その他に支障が出る。

これまでもテレビなどで福島先生の手術の様子などは何度か見ているが、講演でもこれまでの手術の動画を見せながらの説明だった。もちろん、わたしなどが見ても「へえー、すごい」という程度の感想しか言えないのだが、「てにをは」と接続詞以外はすべて英語(カタカタ英語)のような講演で、そういう言葉がすべてはないがやはりよくわからん(ラテラールがどうたらこうたら、テンポラールにどうたらこうたら)

外科手術はすべてそうなのだろうが、、頭蓋底手術などは、きわめて厳密な解剖学の知識と手先の器用さが要求される。見ていてこれはもう、完全に職人芸だなと思った。

実は沖縄へ行く数日前、古くからつきあいのあるフリーのカメラマンと食事の席で雑談をしていて、たまたま福島先生のことを口にしたら、「彼はおれの小学校の同級生だ。よく一緒にザリガニ取りをした」とそのカメラマンが言うので驚いた。そんなこともあって、講演のあと、檀上におりてきたら話しかけようかな、などと思っていたが、多忙な先生はこのあと上海に行くとかで、すぐに檀上から消えてしまった。

2011年12月 5日 (月)

甘ちゃんばっかりのマスコミ、政治、官僚、日本国民と日本経済―そしてオレ:「犯す前に言うか」の前沖縄防衛局長、田中防衛氏の“オフレコ”発言を報じた琉球新報の記者を<同じ新聞人として恥ずかしい限りだ>と12月3日の産経抄←勝手に“身内”で反省してくれよ

またわけの分からんタイトルをつけてしまった。

仕事に対するヤル気がでない→仕事がはかどらない→締切に間に合わない→仕事と関係ない文章を読みたくなってくる→ネットで遊び、読書に逃げる→ブログに文字を埋める。完全に悪循環に入ってしまった。

米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の提出時期について、報道陣との“オフレコ会談”で「犯す前に言うか」と言ったとされる田中防衛局長が更迭された。政治家ではないが、防衛省の局長のこの発言は、内容は異なるもののリスク管理の甘さと言う点では、一連の政治家アホ発言同じで、もうコメントにも値しないという感じだ。

今回も“オフレコ”の席での発言だったらしいが、そのオフレコの場に招待されていなかった(?)らしい産経新聞は、産経抄(12月3日)で、<最低限の信義を守ってこそペンの力>と題してこんなことを書いている。

 <▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。

 ▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。

 ▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。

 ▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。

 ▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。>

これを読んでわたしは「まあ、そう力みなさんな」、という感想を持った。産経抄の上記の文章は普通に読むとまあ、納得できる意見のようにも感じられなくもない。マスコミにおける“オフレコ”約束の位置づけについてもいろいろ議論はあるようだ。これについては、同じ産経に、琉球新報「公益性」を強調 新聞協会「オフレコに道義的責任も」、という記事も載っている。

新聞協会にとっては“オフレコ”発言を報道したとかしないとかは大問題なのかもしれないが、上の産経抄に書かれている<人間としての最低限の信義>っていうのはこういうコンテキストで使われる言葉だろうか。わたしはもっと単純に、政治家や官僚のリスク管理の甘さ、あるいは、緊張感のなさ、と理解してよい問題だと思っている。

<小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて>とあるが、田中前沖縄防衛局長は、その10社の記者全員が、どんなことをしゃべってもオフレコ発言だから取り上げないという<最低限の信義>を守る人たちだと信頼していたのだろうか。それほどこの10人と親しくつきあっていたのだろうか。

これを、田中前沖縄防衛局長と出席していた10人の記者との人間関係という視点で捉えると、「当てにしていた人間」に「裏切られた」というだけのことじゃないのか。子どもじゃあるまいし、「裏切られた」ほうが甘ちゃんでバカなのである。<オフレコを報道しないのが信義>と言ったって、そんな信義よりも発言が重大と記者が判断し、その新聞が掲載することを決めれば、掲載される。それだけのことだ。

産経抄でおもしろいと思ったのは、<小社を除く約10社の記者>のところで、何故、産経はそのオフレコ会談に同席していなかったのかだ。ただ単に、記者が都合つかなかっただけなのか、あるいは、田中前沖縄防衛局長が「産経は要注意」と判断して呼ばなかったのか(まあ、産経だから、田中前沖縄防衛局長としては、要注意じゃなく、むしろ、安心していられる相手のはずだが。。。)。

まったくもって、この政治家にしてこの官僚、そして、このジャーナリストという感じの甘ちゃんばかりだが、仕事の調子があがらないと言っては、こんな駄文を書いているわたしは、さらに仕事から逃げるために、「2013年 大暴落後の日本経済」(中原圭介著、ダイヤモンド社) という本を一気に読んでしまった。読みやすい本だからそれほど時間はかからないのだが、仕事に追い込まれると、逃げの読書、のスピードは大幅アップする。

そこで、この本。ギリシャ問題に端を発した欧州の財政危機の本質を説明しながら、2012年中に何等かの解決策が形になれば、2013年から海外のヘッジファンドはいよいよ日本の国債を売り始めるだろう、と書いている。

日本の借金の状況が対GDP比率で言うと、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)諸国よりもまだひどい状況であることはよく知られている。なのに、日本の国債の金利が1%前後で維持されていたり、円高になっているのは素人的にはホントに不思議だが、1)国債の90%以上が国内で消化されいている(内国債。家計でいうと、お父さんの収入の少ないのを、子どもや奥さんがお父さんに貸し付けているだけ?)、2)経常黒字―の2点がPIIGS諸国と異なる点であり、この2点が維持されている限り、日本国債暴落はない―というのが一般的な見方のようだ。(さらに、日本の消費税5%は欧州諸国と比べるとはるかに低いので、まだまだ上げる余地はあり、財政再建の潜在余力は大きいという判断もあるようだ)。

この本に書かれている、OECD加盟国の所得代替率(現役世代のときの収入と比べて、どのくらい年金がもられるか)を見ると、ギリシャ 84.0%、スペイン 81.2%、イタリア 78.8%、ポルトガル 66.7%と、アイルランド(30.6%)を除いてPIIGS諸国はのきなみ高い。ユーロ危機、解決のカギであるドイツなどは45.8%だ(ちなみに、日本は50.3%だが、いまの調子だと、50%を維持できなくなるのは確実らしい)。海外から金を借りまくっていながら、リタイアしたひとたちに現役時代の70~80%の金を年金として払っていればそりゃあ、早晩、やりくりできなくなるでしょう。

ようするに、“収入以上の生活”をどの程度やっているか、足りない分をどこから借りているか、足りない分をどれだけ将来につけまわしているか、財政危機と呼ばれるものの本質はこれにつきる。そういう意味では、いわゆる「財政破綻」というものが日本におこるのかどうかはしらないが、どう考えても、少なくとも今後10~20年くらいは、厳しい状況が続くことは間違いないだろう。

ところで、財政破綻という言葉がよくつかわれるが、日本が財政破綻になる、とは、どういう状況を言うのだろうか。その定義はいったいどういうものなのか、専門家の間では常識なのかもしれないが、わたしにはイマイチよくわからない。この本では、早ければ2013年には、ヘッジファンドに日本国債は狙われる(売りを浴びせられる)と書いてあるが、その一方で、「日本が財政破綻することはない」と書かれている。

国債がデフォルトになれば、それは確実に財政破綻だろうが、そうなることはない、と言われたって、それは、「死ぬことはない」、あるいは、「日本という国がなくなることはない」と言われているだけで、日本の将来が暗いものであるという予測は変わらない。

こんな状況なのに、政治家も官僚も、マスコミも、そして何よりも、国民はなんて甘ちゃんなんだろうなと思う(そして、オレも)。自戒、自戒。

2011年12月 4日 (日)

本当にバタバタな師走だ - 2011年のラストスパート

あっというまに12月。昨年末時点で、2011年は仕事面で苦戦する気がしていたが、年前半はその予想が的中。不安が増大したが、幸い、夏以降は多忙が続き、陳腐な言い方だが「嬉しい悲鳴」というか、かなりアップアップ状態が続いてる。

「今年の1年は長くなりそう」という予感もその通りになり、こちらの予感は、多忙な年後半もそのまま続いている。普通は、仕事に追われているとアッと言う間に時間が過ぎ、短く感じるものだが、8月以降は昨年の同時期と同じくらいの忙しさであるにもかかわらず、長く感じる度合は、今年のほうが強い。これはいったい何故だろうか。残念だが、自分の仕事の処理能力が落ちたのが一因ではないかと思う。

実は6月の誕生日で満50歳になった。「人生50年」の昔ならもうこの世とおさらばしてもおかしくない年齢だ。しかし、小学2年生と幼稚園年長の子どもをかかえた身としては、まだまだ楽隠居などさせてもらえない。メメント・モリ(Memento mori)といくらつぶやいたところで、想うのは死よりも来年、再来年をどう乗り越えるか、どう住宅ローンを完済するか、子どもの教育費をどう捻出するか、老後の生活費はどうするか、など、目前の生活のことばかり。

12月だけに限れば、今年は去年以上に仕事がつまっていて、相当、厳しい状況だ。と言っても、たいした仕事量でないのだが、このあたりは、1人仕事の限界をやはり感じる。まあ、フリーランスで仕事をしている人は誰でも同じようなことを言うが。。

大量の仕事、大きな仕事をこなすには、やはり会社を作って、「現場仕事」はほかの人にやってもらわけなければならないのだろう。といって、いまさら「経営者」にはなれそうもない。来年以降も、個人事業主(フリーランス)を続けるしかないと考えているが(ただし、個人事業主でも「経営マインド」は必要)、来年はいよいよ5年目に突入するので、少しは仕事のやり方や方向性を考えなおして、新しい戦略を立てたいと思っている。

と書いたものの、25日くらいまではバタバタ師走でそんな時間はなさそう。昨日やっと、年賀状印刷の注文をしてきたばかり。2011年のラストスパートだ。

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