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2012年5月

2012年5月28日 (月)

学会取材-第108回 日本精神神経学会

ツイッタ―でつぶやいたとおり,5/24~5/26まで札幌で開かれた日本精神神経学会を取材した。速報仕事だったので,仕事でカバーしなければならないセッション以外に入る時間はほとんどなかった(残りの時間を原稿を書く時間にあてなければいけないため)。

それでも,隙間時間にいくつかのシンポジウムや一般演題を聞いてはみたのだが,どうもあまりおもしろくない。もちろん,自分の知識不足や理解力不足が“おもしろくない”の原因の大半を占めているであろうとは思うが,それだけとも断定できないような気がする。

5月初めにAPAに行ったとき,学会で配られる公式デイリーニュースで,“Psychiatry is part of Medicine”ということを強調した会長のメッセ―ジが載っており,違和感を感じた。イヤ,笑ってしまった,というほうが正解かもしれない。

素人的にはPschiatryがMedicine(医学)の1部門であることは疑問の余地のないことに思えるのだが,これを強調しなければならないというところに,Psychiatryという専門領域のやっかいさがあるのだろう。

明日は朝,5時過ぎに出て成田空港にいかなければいけない。中途半端だがここでやめてもう家に帰ろう。

2012年5月21日 (月)

学会取材-第55回 日本糖尿病学会-①

17~19日まで,パシフィコ横浜で開かれた日本糖尿病学会を取材した。速報取材だったので20日までかかった。今日は朝から事務所に出て“通常業務”のつもりでいたが,疲れが溜まっていてまったく仕事が手につかない。

From Debate to Consensusセッション5「適正な食事中の糖質量は?」は,大盛況だったようだ。わたしは仕事で同時間帯のほかのセッションを聞かなければいけなかったので残念だった。

運動療法ガイドライン作成へ向けて,というテーマのセッション(これもFrom Debate to Consensusだったと思う)は聞いた。運動療法が糖尿病の予防・治療に良いとするエビデンスはすでに十分あり,運動の種類(有酸素運動,レジスタンス[筋肉]運動),運動量や運動強度,と効果(インスリン抵抗性改善だとか,血糖値低下だとか)に関してもさまざまなエビデンスが出てきているようだ。

しかし,実臨床での課題は,結局のところ,だれが,どのように実践していくか,ということだと思う。会場には理学療法士や運動指導士,その他,運動療法を日々やっている医療従事者の先生がたも多く,質疑応答ではそういう人からの発言が多かったが,そういう先生がたの質問は,荒っぽく要約すれば「自分たちの活躍範囲をいかに広くするか」という角度からの質問や(ガイドライン内容への)期待表明であった。

一方,これは座長の河盛先生1人が“反論”していた印象を抱いたが,誰に対して行うのか,本当に行うことができるのか,という議論が少なかったような気がする。たしかに,高齢になって足腰が弱くなっている人(そういう人では,骨粗鬆症などの合併も当然あるだろうし)に,「いまさら」運動療法,といってもなんか現実的でないだろうことは素人でも直感的にわかる。

もちろん,高齢者といっても身体機能に幅があるだろうから,60~70歳のおじいちゃん,おばあちゃんに運動療法は現実的でないと言いきってしまうのも,それこそ”現実的でない”とは思うが。

From Debate to Consensus,というセッションのわりには,Debateもなく,Consensusもない,どうも議論がかみ合っていないような印象のセッションだった。

ただし,2番目の講演では,委員会での議論を踏まえた,現時点でのコンセンサスが紹介されたのだが,それはコンセンサス,というより,有力なエビデンスの紹介,という感じであり,すでに決まっていること(反論余地なし)という印象であった。

学会の短いセッション(タイトルがディベートセッションであれ,コンセンサスセッションであれ)でかみ合った議論を実現させるためには,やはり,テーマをもっと絞って,しかも,エビデンスに基づいた議論をさせるのか(通常,学会で行われるディベートセッションはこういうものが多い),あるいは,価値観,を議論するセッションにするのか,はたまた,方法論(何かを実現させるためのハウツーを議論)について議論するのか,そのあたりを前もって決めて,座長もオーディエンスも共通認識を持ってやらないと,どうも,不完全燃焼感,不全感,不満感,の残るセッションになるのではないだろうか。

欧米の学会でのDebateセッションのなかには,最初からエンターテイメント,をめざしていると思われるようなものもあり,彼ら(西洋人)はそれが得意なのだが。。。。

2012年5月 9日 (水)

学会取材:米国精神医学会 (APA 2012) 取材- その③ 診断基準やガイドライン改訂時には必ずいろんな批判が出てくるが。。。。

学会取材、と書いていながらどうでもいいようなことばかりを書いているが、ま、それはこのブログ全体のテーマ(?)だから仕方ない。ブログを書く理由については、3年前にも書いたが、基本的な姿勢は変わっていない。まあ、そろそろ、マスターベーション的な個人ブログから離れて、営業ツールにもなるような、実名で書くブログなりホームページなりを作りたいとは思っているのだが、なかなか日々の生活に追われて具体的な準備にかかれない。

ところで、DSM-5のことを少し書いたが、診断基準の改訂や変更があるといろいろな批判やコメントが出るのは不可避だ。これは精神科だけでなく、ほかの領域でも同じ。そのときに、出る議論(批判)も、いろんな次元(ディメンションか?)のものがあるが、批判の軸を素人なりに上げると、

1)過剰診断←→過小診断

2)使いやすさ←→使いにくさ

3)正確性←→不正確性

4)利益相反多い←→利益相反少ない

あたりだろうか。もちろん、これらはお互いに独立した軸ではなく、それぞれが交互に混じりあう。

2)については、研究者のツールとして精度の高いものにしようと思えば、一般開業医(クリニック)での臨床には実用的でなくなる可能性が高くなる(そのために、臨床医向けの簡易版とか、患者向け、などが出ることもよくある)。

3)は、妥当性(validity)とか信頼性(reliability)の有無、それと、1)にも関係してくる。

4)は、ツイッターでもアメリカ人記者の記事を紹介したが、「作成委員が製薬会社と強いつながりある」というような批判の有無だ。

1)については、これも会場前であったAPA批判のデモ写真をツイッターにアップしたが、「過剰に病気を作っている」という類の批判だ。

こういう内容の批判は、ほかの領域でも時々聞かれるが(コレステロール値に関する日本脂質栄養学会の批判やそのまた批判などの泥試合的やりとりもあった)、精神科では、DSM普及後のうつ病診断数の多さ(特に日本?)や、米国で、小児の双極性障害の診断数が急増したという話もある。(なんでも、ある時期を境に30倍に増えたとかいう話も聞いた)。

これについては、その後、アメリカの大学の有名な先生が、「製薬会社との強い関係を指摘されて」批判にされされた、というエピソードが知られている〔医学書院発行の「双極性障害. 躁うつ病の分子病理と治療戦略(加藤忠史著)発行 1999年06月」にもそのことが触れられている〕

DSM-5では、“'Psychosis Risk Syndrome”(あるいは、今回の学会発表のスライドでは、Psychotic Risk Syndromeという表現も見た)という概念(“精神病リスク症候群”?)が、「過剰に病気を作る」(過剰診断)リスクが高いとしてウェブメディアを中心にいろんな批判がある。

一方、Autistic Disorder (AD;自閉性障害)、Asperger Syndrome (AS;アスペルガー症候群)、Pervasive Developmental Disorder - Not Otherwise Specified (PDD-NOS;特定不能の広汎性発達障害)がAutistic Spectrum Disorder(ASD;自閉症スペクトラム障害)に統合される予定で、これについては、現在であれば自閉症と診断される多くの人を締め出す(つまり「過小診断」になる)という批判がある

何が正しいのか。それぞれに「立場」や「利害関係」があるから、簡単な答えはないだろう。また、APA前の反対デモの人たちのように「APAは子どもを精神科の病人にして向精神薬づけにしている」といった、ある意味、単純な批判はわかりやすいが、こういう批判だけでは、意味のある答えは導き出されないだろう。

また、「DSM作成ワーキンググループの製薬会社との利益相反」批判も、的を得たものであれば意味があるが、「医者と製薬会社がつるんで」、といったステレオタイプな批判も(個別には批判されるような例はあるかもしれないが)、建設的な結果をもたらすとも思えない。

ところで、今回のDSM-5の改訂で、Social Anxiety Disorder〔SAD;社会不安障害(日本では、「社交不安障害」という名前に変わったが)〕の1つとして、olfactory reference syndrome(体臭恐怖)が、Appendix(付属書)の中かもしれないが、記載されるようである。

シンポジウムの発表でも、日本の古くからの研究として、“Taijin-kyofu (対人恐怖)というものがある、と何度が言及されるのを聞いた。日本人としてはなんとなく誇らしく思ったが、アメリカ人の発音で“Taijin-kyofu(タイジンキョーフ)と言われると、疾患名というよりも、何かのキャッチフレーズでも連呼されているようで、妙な気分になった。

ただし、個人的には、極度の赤面恐怖症や体臭恐怖、顔面恐怖症の人をSADとして治療対象とすることはともかく、「あがり性」を「あがり症」として、すべて薬物療法の対象とするような傾向には抵抗を感じる。

以上、とりとめのないメモ書きでした。

学会取材:米国精神医学会 (APA 2012) 取材- その② メラトニンは時差解消に役立つんだか役立たないんだか。

5年ぶりのAPA取材も残すところあと1日。速報とはいえ、今回は仕事として書かなければいけない本数はそれほど多くないので、直接仕事と関係のないセッションをたくさん聴ける(聴こう)と思っていたのに、実際はあまり出席できていない。明日の取材は午前のセッションだけなので、その原稿を午後までに仕上げて、2:00pmからのシンポジウムに入ろうかとも思っているが、どうなることやら。眠くなるような気がする。

眠くなる、といえば、海外出張では毎回、時差ボケに悩まされるので、今回はホテルそばのドラッグストアでメラトニンを買い、試してみた。睡眠ホルモンとして知られるメラトニンは、体内時計の調節(内的同調の調整)に効果あり、とも言われているが。。。。はたしてその効果は。。。

3日の午後4時頃にホテルにチェックインし、1時間ほど散歩し、夕食のあと、10時頃にメラトニンを服用し、20~30分してからベッドに入った。これまで、アメリカに来た初日は、どんなに睡眠不足や疲れていても、たいてい夜中の2時、3時には目が覚め、そのあとは寝付けないのだが、今回はなんと6時前まで目を覚ますことなく連続睡眠できた。寝覚めもよく、メラトニンはやっぱりいい!とよろこんだのが。。。。

到着2日目(5月4日)の昼間は時差ボケのときによくある昼間の眠気にあまり襲われなかったのだが、2日目のよるは結局、短いこま切れ睡眠に戻ってしまった。2日目もメラトニンを飲んだのに、である。

結局、3日目から昼間の眠気が強くなり、これまでに何度もお経験した時差ボケ症状が出てきてしまった。

そのあとは、もう、眠いときにはとにかく仮眠、といういつものやり方で、睡眠リズムはボロボロ。いまも、午前2時半で、このあと、寝ようか寝まいか、迷っている。

もっとも、今回は成田出発の前日がほとんど寝ていなかったので、時差に関係なく、旅の初日から睡眠不足状態で、これがいけなかったのかもしれない。初日にメラトニンの効果(プラセボ効果かもしれないが)を実感したので、来月、アメリカに来るとき(また、フィラデルフィア)は、睡眠が満ち足りた状態で成田を出て、もう1度、メラトニンを試してみようと思っている。

2012年5月 7日 (月)

学会取材:米国精神医学会 (APA 2012) 取材- その①

昨日(5月5日)から始まった米国精神医学会(APA)の取材でフィラデルフィアに来ている。原稿の締め切りがあるので、ブログなんぞ書いている場合じゃないのだが(ツイッターでは結構、ひとりごと書いている)、ツイッターは120文字で切れてしまうので、ブログにさっさとメモ書きとして書いておきたい。

DSM-5は2012年の8月にFINAL DRAFTができ、2013年5月に正式に発刊されるようだ。本学会でもDSM-5のfield trialsの予備結果を報告したシンポジウムや、現時点での診断基準の改定内容(proposed changesとかproposed modificationsとか呼ばれている)を解説するシンポジウムがありそれぞれ聴講した。

なお、DSM-5のドラフトはすでにWeb上に公開されていて、現在は、3回目のフィードバック(パブリックコメント)募集期間である。フィラデルフィアに来るまでそのことも知らなかった(恥ずかしい。。。。)

DSM-5は従来と比べてかなり変わるようだ。

気になったのは、

dimension measurements
cross-cutting
specifier
NEC(Not Elsewhere Classified)(←これまでのNOSにとって代わる)

などという聞きなれない言葉。

dimension measurements は、すでに、ディメンション(あるいは、ディメンジョン)評価、という言葉が使われているが、

cross-cutting
specifier
NEC

も、それぞれ、クロスカッティング、スペシファイアー、ネック(?)or エヌ・イー・シー(?)(←パソコンメーカーか!)など、カタカナで導入されるようでは、DSM-5など、ますます言葉遊びになってしまうと思う。

実際、アメリカ人(の精神科医)だって、どれだけこのような言葉がしっくりきているのか、かなり疑問に思う。

とにかく、今日のシンポジウムなど、3時間もごちゃごちゃやっていたが、抽象的な言葉遊びをしているように感じてしまうのは、ど素人だからだろうか(しかし、実際の臨床で役立つには、最後はど素人にわかりやすく説明できるように、用語を咀嚼し、わかりやすい言葉で言えるまで概念をしっくりいくまで理解できていなければいけないはずだと思う)。

2012年5月 3日 (木)

学会取材-日本泌尿器科学会-ロボット支援手術で前立腺全摘が保険適応になったが。。。。

前のエントリーであたりまえなことばっかり-その①,と書いてしまったので,その②も書きたいのだが,もう書きあぐねている。

そういえば,すでに5月なのに,今年に入ってから「学会取材」をタイトルの頭につけたエントリーがほとんど(まったく?)ないことに気付いた。実際,国内学会の取材仕事は今年,かなり少ない。それはそれで困ったことだが,それを補うほかの仕事がそれなりにあったので,とりあえず4月までは収入的にはまあ「順調」だった。

4月21日から横浜で開かれた第100回日本泌尿器科学会は,ちょっとした取材仕事があり,1日だけだが取材に行った。その取材原稿はもう書き終えたので,聴講したセッションのなかで「あたりまえなことばっかり」と感じたことを無理やり書いてみるとするか。

da Vinci という手術用ロボット(正確には手術支援ロボット)は欧米では2000年くらいから普及し,いまでは,さまざまな領域の手術に使用されている(2011年末時点での世界での導入台数は2132台)。

泌尿器科はそのなかでも,ロボット手術が最も多くおこなわれている科であり,米国では前立腺全摘除術の85%以上はda Vinciを使ったものだという(2009年時点で)。

ロボット支援による前立腺全摘術は,RALP(robot-assisted laparoscopic prostatectomy;ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘除術)と略され,「ラルプ」と呼ばれているが,今回,ロボット支援手術のシンポジウムに入ってアレ?っと思ったのは,RARPという略語も使われていたこと。この場合は,RARP(robot-assisted radical prostatectomy;ロボット支援根治的前立腺摘除術)だろうか。ロボット手術をたくさんやっている東京医大の先生は,RARPを使ったいたような気がする。

『あたりまえなことばっかり』がなかなか出てこない。。。<(^ー^ι)

ロボット支援手術のシンポで各演者の講演が終わり,パネルディスカッションになったときにいくつかの質問や問題提議があったが,座長からの質問の1つに「日本でも前立腺全摘はロボット手術に置き換わっていくと思うか」という質問があった(日本でもこの4月から,RALPは保険適応となった)。

それに対して,パネルの1人は「ほとんどがロボットに置き換わっていくであろう」という答え。残りの3人は「RALPでは対応できない開放手術や腹腔鏡下手術は残るであろう」というような答えだったように記憶している。

そのとき,わたしは内心「あたりまえなことばっかり」っと自分に向かったつぶやいた(やっと出てきた ゜。(^▽^*)ヾ)。いや、このときは「あたりまえなことばっかり」と思ったというよりも、「4人とも同じ答えじゃないか」と思ったということ。

もう1つ。da Vinci システムの急速な普及が医療費増加に拍車をかけているのでは,というNew York Timesかどこかの新聞記事(da Vinci の製造メーカーはシステムをoversellしているのではないか,というような見出し)が紹介され,それについてパネルの意見を求めるというような質問もあった。このときのパネルの答えがどういうものであったか,覚えていないのだが,da Vinci を作っているメーカーがそれを oversell するのは「あたりまえだろう」とわたしなどは思ってしまった。そもそも,メーカーはoversellなどとは考えていないはずだ。

あと1つおもしろいと思ったのは「RALPを使いこなせるようになるには,そのまえに腹腔鏡下手術の訓練と経験を十分積んでいる必要があるか」というようなフロアからの質問(da Vinciの導入を検討している地方の病院の先生からの質問だったと思う)。

「自分は開放手術の経験は豊富にあるが,腹腔鏡はやっていない(腹腔鏡の経験は少ない,だったかな)。その場合,まず,腹腔鏡手術の経験を積んでからRALPに進まなければならないか?」というような質問だったと思う。

これについても,RARPをたくさんやっている東京医大の先生は,「解剖の知識が十分あり,開放手術の経験も豊富にあれば,腹腔鏡手術の経験は必ずしも必要ない。むしろ,スキル的には,腹腔鏡手術の技と da Vinciを操作するスキルは別もの」というような答えだったのに対し,ほかのパネルの先生は,(通常の)腹腔鏡の経験→RALPというコースを支持していたように思う。

明日は6時に家を出て成田空港にいかなきゃいけないんだった。もう帰って寝よう。

2012年5月 2日 (水)

糖質制限食の成果-7 kg 減量に成功したけれど―あたりまえなことばっかり-その①

もう5月か。今年の新年の誓いとしてダイエットを始めたことは以前書いた。方法は<糖質制限食>だ。実際には昨年の12月に江部康二先生の本を読み,そのときからすでにやる気になっていた。2か月くらいでお腹まわりがあきらかに軽くなり,頬の肉も減り始めた。顔は台形から逆三角形に近づきつつある(もちろん,江部先生の本はいわゆる「ダイエット本」でないことは承知している。糖尿病やメタボリックシンドロームに対抗する食事療法としての糖質制限食だ。ただ,結果的には糖質を制限すれば体重が落ちるのは確かだ)。

実際は一見して分かるほどスリムになったわけではないが,最高74kgあった体重が66kgをコンスタントに維持できるようになった(身長は171cm)。ただ,ここ一カ月くらいは,ダイエット疲れが出て,発作的にお菓子や炭水化物を(しかも)夜中に食べてしまうことが時々ある。

ところで,サブタイトルとデザインを変更したときにも書いたが,仕事においてもプライベートな生活においても,あらゆる場面で「あたりまえなことばっかり」と感じてしまうことが最近,とみに増えてきた。

前にも書いたが,このような反応のくせは,「何もかもつまらない」とか,「すべてくだらん」と感じることにつながるので,建設的な結果をもたらさないことはわかっている。にもかかわらず,そう感じてしまう。

これが糖質制限食(糖質制限ダイエット)と何の関係があるのか?といぶかるむきもあるかもしれない。(実はわたしもいま,どうつなげようか,書きながら考え中である)。

うまくつながらないので,強引に「あたりまえなことばっかり」に結び付けると,糖質ダイエットでもそのほかのダイエットでも,あるいは,夜中のテレビショッピングなどで毎日手を変え品を変え宣伝している運動器具とかプログラム(何年か前には軍隊式のなんとかブートキャンプという体操が流行っていたな)などでも,「続けるのは容易でない」ということだ。

糖質制限食(糖質制限ダイエット)は,カロリー制限に重点を置いた食事法ではないので,継続しやすい,というようなことが言われるし,江部先生の本にも表現は違うかもしれないが,それに似たようなことが書かれていた(と思う)。お酒もウイスキーや焼酎など,糖類がゼロの(あるいは限りなくゼロに近い)ものは普通に飲んでいいし,肉や脂は制限不要ということになっている。

しかし,糖質制限,というくらいだから,糖質が食えない。でんぷんや炭水化物。粉もの。具体的には,米,うどん,そば,寿司,カレーライス。お菓子やケーキはもちろんNG。肉,魚,チキンはいいが,てんぷらや揚げ物にした場合,(油はよくても),衣は要注意。チキンは糖質制限食として理想的だが,焼き鳥のタレは甘いのでよくない(わたしは,半年近く,焼き鳥は塩ばかり)。

もちろん,糖質をまったく取らないというのは不可能であるし,だからこそ「糖質制限」なのだが,相当強い動機(モチベーション)と意思の強さがないと続かないだろう。

そして,このことはあらゆるダイエットにもあてはまるし,ダイエットから離れて,習い事や稽古事でもそうだろう。

動機づけの部分は,いくら本を読んでも人に聞いても役にたたない。したがって,(例えばダイエットが)成功するかどうかにおいて,方法論の締める重要性はきわめて小さい。まあ,10%くらいだろう。

あたりまえなことばっかり書いてしまった。

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