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2012年9月

2012年9月28日 (金)

学会取材予定―欧州糖尿病学会(EASD 2012),米国骨代謝学会(ASBMR 2012)

10月は欧州糖尿病学会(EASD 2012; 10月1日から)と米国骨代謝学会(ASBMR 2012;10月12日から)の2つの海外学会が続く。

どちらも速報取材なのでブログのページを埋めている時間はない可能性が高いが,気が向いたらツイッターでつぶやくつもりである。

ちなみに,前のエントリーで触れたチエノインダゾール誘導体の発表はわたしが取材したものである。ASBMRの取材は今回で5年連続。

EASDの取材はこれまで2回ほど行ったことがあるが(メキシコシティーとエルサレム),ずいぶん前の話だ。ベルリンは2回目。これもずいぶん以前なのでどんな街だったか,記憶が薄れている。最近,物忘れがひどい。

近況-雑感-ああもう9月も終わり

7~9月の3カ月は仕事量もそれほど多くなかったのに,終わってみれば何故かとてもバタバタ感があった。ま,仕事以外でいくつか時間を取られる私事・私用があったのは事実だが。以下,この3カ月の近況,雑感。

1)韓国ドラマ,スカーレットレター,83話,全編観賞。このテレビドラマにハマってしまったことは以前書いたが,夏の高校野球の期間,放送が中断になり,9月初めにやっと終了した。夏の高校野球の期間はそれまでにたまっていた録画を毎日みまくり,放送再開後のラスト10数話も続けてみた。なにしろ,1回1時間 X 83話だから83時間,このドラマの観賞に費やしたことになる。まったくもって,ご苦労様だ。

2)以前から痛くなっていた左膝がさらに悪くなってきた。効かないのはわかっているのにサメ軟骨(グルコサミン,コンドロイチン)の栄養補助食品をまとめ買いしてしまった。食品だから効能などは表示できないはずで,「1日10~15粒程度をおめしあがりください」と書いてあるが,それなのに何故買ってしまうのか。われながらこの心理は不思議だと思う。遺伝子組換え大豆や多少でも放射能が検出された食品は食べたくないという心理(こちらは,それで病気になるという心理)と共通点ある気がする。サメの軟骨成分を食べったって,それがそのまま膝の軟骨になるわけないのに。

ちなみに,軟骨は再生しないと言われているが,東大の矢野文子先生らの最近の研究で,チエノインダゾール誘導体(T-198946;TM)という化合物により再生の可能性が示唆されている。〔これは,2009年の米国骨代謝学会(ASBMR)の口演発表の記事〕。

また,自己の細胞から作る再生シートを用いた再生医療(東京女子医大の岡野光夫先生の開発した方法)でも,膝軟骨の治療は行われているようだ(ただし,かなりな重症例のみのはず。適応は限られる。オレのようにおそらく老化からくる膝の痛みや軽い変形性関節症などは再生シート治療の対象にならないはず)。

こういった最先端の医学・科学でやっと解決の糸口が見え始めたばかりの膝の痛み・膝軟骨の問題が,サメの軟骨成分摂取くらいで解決するわけないのに,それでもなんとなくプラセボ効果を期待してしまう。こまったもんだ。

3)新しい習い事を始めた。3日坊主になる可能性もあるので,これについては最低一年以上続いてからブログのネタにしよう。

2012年9月17日 (月)

嫌いな人間-いいとこ取りするやつ,あれもこれも欲しがるやつ-最近の諸問題(尖閣や竹島の問題)やそれに対する“著名人”の反応など

またわけのわからんタイトルを。尖閣,なんて言葉を入れてアクセス数増やそうとしているのか(笑)。ま,そういうスケベ根性もないではないが,自分のブログのアクセス増えてもわたしには何のメリットもない。広告で稼いでいるわけでもないし(稼げるほどのアクセスないし),仕事のための営業サイトでもない。

尖閣列島への中国人上陸と日本政府の尖閣購入決定以降,反日デモが中国全土でかなり広まっているようである。私の配偶者の姉の夫(つまり,私の義理の兄)も中国の某工場の責任者として単身赴任しているので心配している。

ツイッターでは宋文洲氏のツイート(石原都知事や猪瀬副知事に対する批判的つぶやき多い)や猪瀬氏の言い訳がましいツイート(そもそも~だ,なんてね)をおもしろく見ており,わたしもちゃちゃを入れるツイートを何度かつぶやいた。

正直なところよくわからない。今後の展開がどうなるのか(近く,尖閣の日本海域で大量の中国漁船に漁をさせる計画,なんてのも読んだ)。

ただ,1つだけ確信したのは,いわゆる著名人たちがいかに無責任かつうわついた気持ちでいろいろつぶやいているかということだ。

ちょっと話がそれるが(←いつものこと。でも,根っこでは関係あるつもりです),わたしは自分も含めてだが,日本人のモラトリアム人間的な国民性は国際社会で生きていくうえで大きな欠点だし,それがここ数十年でますます強まっていると感じている。このブログでも以前少し書いたが,日本人全体がとモラトリアム人間になってきている。

国が豊かになるにつれ,モラトリアム人間が増えるのはほかの先進国でも共通しているだろうが(そもそもこの言葉はアメリカのエリクソンが提唱したものだし,そのモデルとなったのもアメリカのサリンジャーの小説だ),日本はそれがもう国民性のようになってしまっているのではないか。

わたしなりにモラトリアム人間をパラフレイズ(違う言葉で言い換え)してみると,モラトリアム人間とは,いいとこ取りをしようとするやつ(国民)である。

責任あるポジションと気楽さ,有名と自由気まま,正社員と面倒な人間関係からの解放,家族を持つことと子育ての苦労を免れること,自由気ままに腹いっぱい食べたいものを食べることと適正体重を維持すること,などなど,その他例をあげればいくらでもあるが,この世においてあれもこれも手に入れられることはなく,毎日,毎時間,毎分,毎秒の生活のなかで人は優先順位をつけ取捨選択に迫られていることくらい,ある程度成長すれば,誰でもわかるようにならなければならない。

このわかるは,頭で理解するという意味ではなく(そんなことは中学生でもできる),それを心から理解し,行動に反映されるようになるということだ。

それなのに,子どもみたいなウダウダを言っている大人が日本には多すぎる。それが,尖閣や竹島問題となんの関係があるのかって?まあ直接は関係ないんだけど(なんじゃ!)。

いや,尖閣や竹島問題をあまりにも無責任に論評する著名人が多く,それが大きく間違っていても,誤りを認めようともせず,反省の弁もなく,ただ言い訳や言い逃ればかりをつぶやく。それは,まさにあれも(自分の意見を自由に述べ),これも(例えそれが間違っていることが明らかになっても,自分の立場を以前と同じように維持できる)が可能だと思っている証拠だ(かなり無理くりにまとめた)。

2012年9月12日 (水)

石原幹事長の揚げ足取るだけでは不毛①―尊厳死や終末期医療,延命治療の議論をもっとすべきだ

今日(もう昨夜か)の報道ステーションで谷垣総裁を“裏切って”自民党総裁選に出る石原伸晃幹事長が,増大し続ける社会保障費をどうするかという話のなかで,「生活保護」と「尊厳死」に触れたことがツイッタ―で話題になっている。

話題になっているというか,「社会保障費抑制の文脈で触れることがそもそもけしからん」という“反発派”と「尊厳死を医療費抑制政策として言ったわけじゃなく,全く別の文脈で触れたのだから誤解だ」という石原擁護派(?)のツイート合戦という感じか。ま,どちらの“陣営”も眠れぬ夜のツイッタ―の肴にしているだけで,別に深刻に考える必要もないけど。

まずは,くだんの動画が見られるURLを貼り付けておく。http://dai.ly/RDnHf8

これを見て,尊厳死推進⇒終末期医療(費)抑制⇒医療費削減⇒人の命を粗末にする,と批判しているのが“反発派”,そういう意図で言ったんじゃないというのが石原幹事長“擁護派”か。

最後に古館キャスターも擁護するようなコメントを入れているが,この動画を見る限り,「そういう意図で言ったのではない」と解釈するのが素直な見方ではないだろうか。

しかし,自民党総裁選(いまの状況では,次期衆院選挙後,総理大臣になる可能性少なくない)に出ようという政治家の発言としてはいかにも軽率な気はする。あの流れで,いくら「誤解を招くかもしれないが」とか,予防線を張っても,誤解される可能性は予見できたはずだ。一言で言うと「脇が甘い」。

私は石原伸晃など嫌いだし,父親の石原慎太郎も(一部評価するところはあるが)実態以上に大物扱いされていると思っている。

したがって,石原幹事長を擁護したい気などはさらさらないが,それでも,東日本大震災直後に出たアホ大臣たちの数々の失言よりはまだマシ(軽率度が低い)だと思うし,この発言から<尊厳死を推進して医療費を抑制する気か?>との批判は的外れだと思う。

もっとも,そういう「脇の甘さ」は政治家の資質としては重大な欠陥とも言えるので,このインタビューはそういった面での石原幹事長の「実力(のなさ)」が改めて暴露されたと言えるかもしれない。

石原幹事長の揚げ足取るだけでは不毛②―尊厳死や終末期医療,延命治療の議論をもっとすべきだ

石原幹事長のことなどどうでもいいのだが,「尊厳死や終末期医療についてもっと議論すべき」という彼の“動議”は重要だと思う。

最近,大野竜三氏の「やすらかな死を迎えるためにしておくべきこと リビング・ウィルのすすめ」という本を読んだ。大野氏は血液癌の専門家で愛知県がんセンターの総長を勤められた偉い先生だ。

この本の第一章は「ピン・ピン・コロリ」となる(寝たきりにならず,死ぬ直前まで元気なまま死ぬこと)ための養生訓で,特に目新しい情報はない。

この本の重要なのは第二章から。第二章で日本の現在の医療環境で多くの人が迎える可能性の高い死とはどういうものか,生命維持装置の説明を中心に説明されている。第三章ではピン・ピン・コロリと死ぬことが現在の医療環境でいかに難しいかが説明されている。

第四章では延命治療の中止をめぐるいくつかの事件が紹介され,第五章でリビング・ウィルとはどういうものか,その説明と必要性が書かれている。第六章はリビング・ウィルの書き方とフォーマットの説明だ。

石原幹事長の今回の”失言”で私がこの本を紹介したくなったのは,今の日本で平均年齢前後まで生き延びたあと死ぬことが,どれほどたいへんなことか。それがわかっていない日本人が多すぎると思うからだ。

尊厳死や終末期医療を社会保障費(医療費)抑制の文脈で議論することに対する反発は心情としては理解できるが,だからといって,目隠してしていてもは,問題が解決されないどころかますます大きくなるだけだ。

日本人が理解しなければならないのは,

1)人は必ず死ぬ(そんなこと知ってるって?でも,死なないような気持ちで毎日生きてるのがほとんどの人じゃないですか?),

2)平均寿命前後まで生きた人が死ぬまでの最後の10年くらいは今の日本(および先進国)の医療環境ではかなりしんどい(楽には死なせてくれないし,ましてや,健康でピンピン生きるまでには回復させてくれない)。つまり,ピンピン・コロリは理想だが実現は難しい。

3)終末期医療にかかる医療費は膨大な金額である―ということ。

まず,社会保障費や医療費の問題とは切り離して,今の日本で死ぬということはどういうことかを理解し,その実態を知ったうえで,尊厳死やリビング・ウィルについて,議論し,明確な意思を持つことが必要だ。

一方,<国民1人が一生に使う医療費の約半分が,死の直前2カ月に使われる>などとも言われており,終末期医療にかかる医療費が大きな負担になっていることも事実だ。

大野氏は著書のなかで「無駄な延命治療」という言葉を何度も使っておられる。あまり頻繁に出てくるので,途中から「無駄」って言い過ぎじゃないか?と感じられるほどである。

「無駄な延命治療」というときの無駄には,1)改善する見込みもなくQOLが改善される可能性もないのに「無駄に」生き延びさせれれている,という意味の「無駄」と,2)その無駄な治療に使われている「使い方を間違っている」医療費(医療資源)―の2つの意味があるのだろう。

石原幹事長も「海外では(尊厳死について)もっと議論している」というようなことを言っていたが,日本人は何故,これほどまで死について語ることを嫌がるようになったのだろうか。これは昔からの日本人の特徴なのか,それとも,戦後,経済が成長して経済大国になっていく過程で(医療も進み)そういうふうになっていったのか。

核家族化で身内の死に直面する機会がなく成人し,高齢になっていく人が増えたことの影響は大きいと思うが。

このブログやツイッタ―でも何度か触れた(つぶやいた)が,日本は胃ろう(胃瘻)造設が世界のなかで圧倒的に多い。胃ろうは本来,一時的に口から食事を取れなくなった人が,治療やリハビリ(嚥下訓練)によって経口摂取できるようになるまでのつなぎ手段としての経管栄養であったはずだ。それが,現在では,ある程度高齢になって,誤嚥性肺炎等で入院して一定期間口から食事がとれないと,すぐに胃ろう造設を提案してくる医師や病院がある。

欧米では口から食事がとれなくなり(訓練等による)回復の見込みがなくなったときは)死期が近いと判断され,生き延びさせるためだけの胃ろう造設は少ないと聞く。

一方,胃ろう造設は,医療者・介護側にとって,もっとも手間のかからない延命管理方法,であることは忘れてはいけない。大野氏の著書でも,さまざまな栄養方法が紹介されており,それらのうちのどれが,管理が簡単(大変)であるか,医療者・病院にとって楽で経営的に有利なもの(収益をもたらしてくれるもの)はどれかが説明されている。

延命処置や終末期に関連した医療はもちろん胃ろうだけではないが,こういった実態をまったく理解しようともせず,目を覆っているだけで,「尊厳死の議論は患者の見殺しにつながる」といった内容の“脊髄反射”的コメントやツイートを発信する“著名人”や“評論家”や“オピニオンリーダー”が多すぎる。

石原幹事長の報ステの発言は政治家として不用意であったことはたしかで,完全なチョンボだが,終末期医療や延命治療の議論は重要だし,それに関連してリビング・ウィルや尊厳死も国民全員が自分の問題として考えるべき課題だと思う。

原発をいつまでにどのくらい削減するかなどよりはるかに重要な問題なんだよ。

2012年9月 3日 (月)

はじめに結論ありき―すべては性格かはたまた感性か。でも「悩む力」なんて恥ずかしくて言いたくない

バンジャマン・コンスタンの『アドルフ』は,優柔不断なアドルフという男がエレノールという年増女に近づいて恋愛のまねごとを何度かくりかえし,最後は破滅に至るという悲劇だが,この小説は「性格がすべて」という記述もあるとおり,人間の性格というもののどうしようもなさ,変えようのなさを描いた小説である。自分のやっかいな性格に圧倒されそうになり,苦悶していた十代の頃読み,ひどく感動した覚えがある。心理小説に分類されるフランス文学の名作だ。

それから数十年。持てあますようなやっかいな性格は基本的に変わりはしないものの,それなりの人生経験を経て,なんとか飼いならしながら生き延びている。

ところで最近,世の中の議論というもののほとんどは,はじめに結論ありき,だなとつくづく感じる。何が言いたいかというと,ある事象に対して人はまず,自分の好き嫌いや感性(= 広い意味での性格)で賛成とか反対の意見を持ち,もっともらしい理屈(論理)はすべてそれらを正当化するためのものではないかと思うのだ。もちろん,ある事象に対してどのような意見や立場をとるかは,利害関係も大きく作用するが,利害に対する態度も各人の感情や感性(=広い意味での性格)に影響される。

したがって,やはり「性格がすべて」なのである。

ブログやツイッターを始めて,さまざまな人の書いたものやツイートを一定期間続けて読んでいると,「同じことばっかり」という印象を持つようになってくることはないだろうか。もちろん,ネットでなくても,例えば同じ作家のエッセイなどでもいい。

同じ筆者(作家)の書いた文章や作品であるならば「同じことばっかり」と感じるのは当たり前ではないか,と言われるかもしれない。そのとおりなのだが,わたしが言いたいのは,われわれは,ほとんどの場合,先に結論や判断を出していて,それの正当化や説明のために(例えばツイッタなどで)ごちゃごちゃ議論らしきものをしているだけではないのか,ということだ。

スポーツ選手でも実業家でも,芸術家でも,サラリーマンでもいいのだが,大体,大成する人,大きな成功を収める人は,悩んだり迷ったりしていない。いろいろ理屈をこねくり回している人は,いくら頭がよくて論理展開が明快な人でも,「単純明快」,「猪突猛進」の人ほど大きな成功者になっていない気がする。ましてや,頭のあまりよろしくない人が「根本から問題を考える」,「白紙に戻して議論する」「ゼロベースで計画を立てる」といっても,すでに自分(や自分の組織)の選好や感性,好き嫌い,利害関係などから,かなりの部分まで結論が決められているので,そのあとの理屈は,正当化でしかなくなる。

「悩む力」などという気色の悪いタイトルの本がかなり前に出版され,ベストセラーになったそうだが,私は「悩む力」などより,悩まないで即行動に移せる力を重視したい。そういう能力が自分には欠けている(少なくとも十分でない)ことは承知しているが,「悩む力」を持ってます,などという恥ずかしいことだけは言わないようにしたい。

〔もっとも,私はこの本は読んでいないので,ここで私が書いていることとは違う次元での「悩む力」なのだろうとは思っている。著者の姜尚中氏に対してもテレビで見かけたことがあるくらいで,政治学者であることは知っているが,好き嫌いの感情はない。ただ,この本のタイトル(書籍のタイトルは出版社や編集者が決めることが多い)は,以前から気持ち悪いと感じていた〕。

今さらですが。。。夏休みの家族サービスは,1)スパワールド(2回目),2)ポケモン映画,3)東京ポケモンセンターと東京タワー,4)森林公園

子供の夏休み中,今年はまず,「スパワールド世界の大温泉」に行った。昨年の春休みにも行ったが,相変わらず子供は大喜び。帰省旅行を兼ねてだったが,今回は夜10:00以降にプールのアトラクションが無料になるチケットをもらったので小学3年の息子と夜中まで「うずうずバーン」や「ぞくぞくバーン」を楽しんだ。滞在中(2泊3日)は,ラーメン,たこ焼き,うどん,そしてもちろん,新世界の串カツ(二度づけ禁止やで!)など,「糖質制限ダイエット」は無視してなんでも食べたが,戻って体重を測ると増えていないどころかさらに1kgほど減って,61kg台に突入したのには驚いた。子連れ旅行はそれだけ身体を動かしているということだろう。体重はここ最近は炭水化物に対する渇望が強くなり(昨夜も夜中にポテトチップスを1袋,食べてしまった),64kg台にまで増えてきてしまった。これでも最も重かったとき(74kg)から比べればマイナス10kgだが。

Img_3319_3ポケモンの映画(「劇場版ポケットモンスターベストウイッシュ キュレムVS 聖剣士ケルディオ」)にも連れて行き,別の日には浜松町にあるポケモンセンタートウキョウにも連れていった。ポケモンセンターに行った日は,同じ浜松町なので東京タワーにも行ったがこれは大正解。今はスカイツリーバブルなので東京タワーはガラガラだった。それでも,天気がよい日の東京タワーとその周辺の景色は悪くない。

夏休み最後の8月31日(金)は森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)だ。ここも,アスレチックコース(1番から24番まで)ができ,水遊び場もあったので(以前あった大きなプールは死亡事故があった関係で2006年に閉鎖)楽しかった。ヘトヘトになったけど。

今さらですが。。。ロンドンオリンピック雑感―インタビュアーの質問なんとかしろよ

8月はこのブログを始めて以来,初めて一度も更新しなかった。できなかった,というよりはしなかった,書く気が起きなかった,というのが本当のところ。

9月に入っても残暑は厳しいが,夜中に事務所から自宅へ歩いて帰るときの風にはすでに秋の気配が漂っている(ちょっと文学的な表現使ったちゃったな。へへ)。

パラリンピックが始まり,その前のロンドンオリンピック雑感など,いまさらだが少しだけ。その前に,パラリンピックは結果をニュースで見るだけだが,オリンピックのような放送は全くないのだろうか。生中継や長時間放送は無理にしても,日本人選手を中心にまとめたハイライト番組でもあればいいのに。わたしが放送時間を知らないだけかもしれないが。

ロンドンオリンピックは7月の開始前,テレビの生放映をたくさん見てやる,と意気込んでいたのに,生放送の時間(日本時間の夕方から夜中にかけて)は結局,ほとんど事務所にいた。仕事に集中していたのならそれでもいいのだが,パソコンで試合やゲームの結果を頻繁にチェックしていたのだから自分でも呆れる。

個々の競技のことはさておき,テレビで競技後のアナウンサーやキャスターのインタビュー質問聞いていると「もうちょっと工夫した質問できんか」と腹がたってきた。短い時間でのインタビューが簡単なものでないことは理解しているつもりだ。また,政治家への質問ならいざしらず,するどく突っ込めばよい,というものでもないだろう。それにしても,「今のお気持ちはどうですか」,「最後に日本で応援して下さっているみなさんに一言」以外にもなんか聞くことあるだろう。

要するに準備不足なのだ。オリンピックでは報道番組やバラエティ番組でメインキャスターをやっていたり,当該番組を長くやっているアナウンサーなどがロンドンに行って取材する,という局が多かった気がする。オリンピック取材はご褒美取材だったのだろうか。

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