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2012年9月12日 (水)

石原幹事長の揚げ足取るだけでは不毛②―尊厳死や終末期医療,延命治療の議論をもっとすべきだ

石原幹事長のことなどどうでもいいのだが,「尊厳死や終末期医療についてもっと議論すべき」という彼の“動議”は重要だと思う。

最近,大野竜三氏の「やすらかな死を迎えるためにしておくべきこと リビング・ウィルのすすめ」という本を読んだ。大野氏は血液癌の専門家で愛知県がんセンターの総長を勤められた偉い先生だ。

この本の第一章は「ピン・ピン・コロリ」となる(寝たきりにならず,死ぬ直前まで元気なまま死ぬこと)ための養生訓で,特に目新しい情報はない。

この本の重要なのは第二章から。第二章で日本の現在の医療環境で多くの人が迎える可能性の高い死とはどういうものか,生命維持装置の説明を中心に説明されている。第三章ではピン・ピン・コロリと死ぬことが現在の医療環境でいかに難しいかが説明されている。

第四章では延命治療の中止をめぐるいくつかの事件が紹介され,第五章でリビング・ウィルとはどういうものか,その説明と必要性が書かれている。第六章はリビング・ウィルの書き方とフォーマットの説明だ。

石原幹事長の今回の”失言”で私がこの本を紹介したくなったのは,今の日本で平均年齢前後まで生き延びたあと死ぬことが,どれほどたいへんなことか。それがわかっていない日本人が多すぎると思うからだ。

尊厳死や終末期医療を社会保障費(医療費)抑制の文脈で議論することに対する反発は心情としては理解できるが,だからといって,目隠してしていてもは,問題が解決されないどころかますます大きくなるだけだ。

日本人が理解しなければならないのは,

1)人は必ず死ぬ(そんなこと知ってるって?でも,死なないような気持ちで毎日生きてるのがほとんどの人じゃないですか?),

2)平均寿命前後まで生きた人が死ぬまでの最後の10年くらいは今の日本(および先進国)の医療環境ではかなりしんどい(楽には死なせてくれないし,ましてや,健康でピンピン生きるまでには回復させてくれない)。つまり,ピンピン・コロリは理想だが実現は難しい。

3)終末期医療にかかる医療費は膨大な金額である―ということ。

まず,社会保障費や医療費の問題とは切り離して,今の日本で死ぬということはどういうことかを理解し,その実態を知ったうえで,尊厳死やリビング・ウィルについて,議論し,明確な意思を持つことが必要だ。

一方,<国民1人が一生に使う医療費の約半分が,死の直前2カ月に使われる>などとも言われており,終末期医療にかかる医療費が大きな負担になっていることも事実だ。

大野氏は著書のなかで「無駄な延命治療」という言葉を何度も使っておられる。あまり頻繁に出てくるので,途中から「無駄」って言い過ぎじゃないか?と感じられるほどである。

「無駄な延命治療」というときの無駄には,1)改善する見込みもなくQOLが改善される可能性もないのに「無駄に」生き延びさせれれている,という意味の「無駄」と,2)その無駄な治療に使われている「使い方を間違っている」医療費(医療資源)―の2つの意味があるのだろう。

石原幹事長も「海外では(尊厳死について)もっと議論している」というようなことを言っていたが,日本人は何故,これほどまで死について語ることを嫌がるようになったのだろうか。これは昔からの日本人の特徴なのか,それとも,戦後,経済が成長して経済大国になっていく過程で(医療も進み)そういうふうになっていったのか。

核家族化で身内の死に直面する機会がなく成人し,高齢になっていく人が増えたことの影響は大きいと思うが。

このブログやツイッタ―でも何度か触れた(つぶやいた)が,日本は胃ろう(胃瘻)造設が世界のなかで圧倒的に多い。胃ろうは本来,一時的に口から食事を取れなくなった人が,治療やリハビリ(嚥下訓練)によって経口摂取できるようになるまでのつなぎ手段としての経管栄養であったはずだ。それが,現在では,ある程度高齢になって,誤嚥性肺炎等で入院して一定期間口から食事がとれないと,すぐに胃ろう造設を提案してくる医師や病院がある。

欧米では口から食事がとれなくなり(訓練等による)回復の見込みがなくなったときは)死期が近いと判断され,生き延びさせるためだけの胃ろう造設は少ないと聞く。

一方,胃ろう造設は,医療者・介護側にとって,もっとも手間のかからない延命管理方法,であることは忘れてはいけない。大野氏の著書でも,さまざまな栄養方法が紹介されており,それらのうちのどれが,管理が簡単(大変)であるか,医療者・病院にとって楽で経営的に有利なもの(収益をもたらしてくれるもの)はどれかが説明されている。

延命処置や終末期に関連した医療はもちろん胃ろうだけではないが,こういった実態をまったく理解しようともせず,目を覆っているだけで,「尊厳死の議論は患者の見殺しにつながる」といった内容の“脊髄反射”的コメントやツイートを発信する“著名人”や“評論家”や“オピニオンリーダー”が多すぎる。

石原幹事長の報ステの発言は政治家として不用意であったことはたしかで,完全なチョンボだが,終末期医療や延命治療の議論は重要だし,それに関連してリビング・ウィルや尊厳死も国民全員が自分の問題として考えるべき課題だと思う。

原発をいつまでにどのくらい削減するかなどよりはるかに重要な問題なんだよ。

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