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2012年10月

2012年10月24日 (水)

想像力と覚悟のなさ―現代日本人の宿痾か―週刊朝日の橋下市長の記事,石原都知事の中国挑発発言,なんでもこれで説明してやる!―その②

今回の週刊朝日の記事に関しては,朝日編集部の対応など個人的にはあまり興味がない。それよりも,佐野眞一氏が(現時点では)はすごすごとおとなしくしているのが不可解というか失望というか残念だ。想像力と覚悟があったのであれば,週刊朝日での連載が止まることは<正確に予想できていた>はずだろうし,そのあと,ほかの出版社(ほかの雑誌)で発表するとか,自身でブログなどに掲載することもできたはずだ。

(ここからは週刊朝日の記事に関してだけでなく,話を脱線させていきます)。

現代日本人(あえてここでは日本人に限定します)の想像力の欠如と覚悟のなさは相当深刻なレベルにあると思う。もちろん自分も現代日本人であるのでその宿痾のリスクは強く持っていると思う。

昨年3.11東北大震災以降の民主党議員や閣僚の度重なる発言も,わたしにいわせれば根っこには共通のものがある。

石原都知事の中国に対する挑発発言もしかり。中国という国にいろんな問題があるのは事実だろう。また,日本人の「我欲」に対する石原氏の批判もまったく的外れではない。それでも,

「戦争も辞さない」などという石原都知事の発言は一時の注目を集めただけで,石原氏は今のような事態を予想していたわけではあるまい。ましてや「戦争する覚悟」など日本人にはないし(少なくともわたしはない),彼が日本人にそのような覚悟をもたせられるとも思わない。大体,彼本人にもそのような覚悟があるわけがない。戦争をする覚悟があるということは,自分の息子が戦死するのを受け入れるという覚悟であり,家族(娘や配偶者が)戦火で命を落とす可能性を想像し,受け入れるということだからだ。

話がはなはだ脱線しているが(いつものこと),現代日本の「ドタバタ」のほとんどは,想像力の欠如と覚悟のなさ(覚悟がないことの自覚のなさ,と言い換えてもよい)であるというのがわたしの理解であり,週刊朝日の橋下市長記事問題も,石原都知事に代表される安易な中国挑発(正面からの批判ではなく)問題も,政治家のくだらない失言(舌禍)問題も,すべての根本には「想像力の欠如と覚悟のなさ」があると思っている。

さらに解釈を広げれば(いや,むしろ卑近な問題なので小さい問題に適用すれば,というほうが正確か)いったん結婚してから「(独身時代と比べた)結婚生活の不自由さ」を嘆いて離婚に至ったり,いったん正社員として就職した後に「サラリーマン生活の不自由さや窮屈さ,退屈さ」を嘆いたり,その反対に,会社を辞め独立したあとで「(フリーランスの)収入の不安定さや社会的地位の低さ」に驚いたり。これらはいずれも,想像力の欠如と覚悟のなさの帰結だ。

やる前に考えろ。昨年の東北大震災のときに「想定外」という言葉をイヤになるほど聞かされ,それを批判したわれわれ日本人だが,本当にそのような批判を他者に対して向ける資格があるのか。自らの日々の生活,一挙手一投足を振り返れば,毎日,いかにたくさんの予想外のできごと(= 想像力の欠如)に見舞われ,あたふたと対応(= 覚悟のなさ)していることに気付くであろう。

最後に無理やり週刊朝日,橋下市長の記事に話を戻して,作家の佐野眞一氏に問いたい。橘玲氏がブログで書いたように,<もちろん佐野氏は、この記事によってどのような事態が起きるかも正確に予想していた>のが本当なら,そして,その事態に対する覚悟を持ってこの記事の連載に同意したのなら,堂々とテレビの前に出てきて釈明(反論)するなり,別の雑誌あるいは自身のブログ等で反論(あるいは,ハシシタ記事の継続)をしてほしい。

それができないのなら,結局,「想像力に欠け,覚悟もなかった」とわたしは判断する。

ただし,くどいが,「想像力に欠け覚悟がない」のは現代日本人に共通した宿痾(もちろんわたし自身もその宿痾から逃れられていない)だと思っているので,それに該当しない人がいれば強く尊敬するが,そうであっても自分と同じと思うだけで軽蔑はしない。

想像力と覚悟のなさ―現代日本人の宿痾か-週刊朝日の橋下市長の記事,石原都知事の中国挑発発言,なんでもこれで説明してやる!―その①

このブログのこれまでのエントリーで時々触れているが,わたしは現代人(それが日本人に特に強い特徴か,あるいは,先進国共通の特徴かについては判断できないが)の最大の欠点は「想像力と覚悟のなさ」だと思う。

それと橋下市長の週刊朝日記事と何の関係があるかって(これからこじつけます)。週刊朝日に載った「ハシシタ」記事では,橋下市長の出自(いわゆる部落と呼ばれる地域の出身であること)から彼のDNAを問題にし,差別文章オンパレードで問題となった。これについては,橋下市長のツイッタ―やテレビ等のニュースで広く流れているのでここでは繰り返し書かない。週刊朝日が「謝罪文」を掲載したことも知られている。現時点では勝敗は,朝日および佐野眞一氏側の完全敗北だ。

この件に関しては作家の橘玲氏が<週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった>という文章を自身のブログに書いている。

わたしもツイッターでこの橘氏のこのブログをRTしたし,ツイートもしている。橘氏のこの文章は読みようによっては週刊朝日や佐野氏に対して非常に好意的だ。

例えばこのブログの記事で橘氏は<もちろん佐野氏は、この記事によってどのような事態が起きるかも正確に予想していた。>と書いているが本当にそうか。わたしはこの見解に対しては強い疑問を抱いている。

もし橘氏の言うように,佐野氏(あるいは週刊朝日編集部も含めて)らが,<どのような事態が起きるかも正確に予想していた>のなら,謝罪文を掲載するところまで正確に予想していたのだろうか。事実は,“想定外”の展開にあたふたして,佐野氏に対しては<取材には応じないように>と釘をさし(←これも橘氏のブログ記事に「報道によれば」という伝聞で書かれている),それに対して(少なくとも現時点では)佐野氏が素直に従っているだけ,なのではないだろうか。

つまり,佐野氏および週刊朝日編集部は今回の記事を載せることによって<どのような事態が起きるか>をまったく予想できていなかったし,さらに予想できていなかったから当然といえば当然だが,掲載後の状況に対して敢然と対応する「覚悟」がまったくなかった,ということだろう。

やっとタイトルの「想像力と覚悟のなさ」にたどり着いた(*^_^*)。

2012年10月17日 (水)

学会取材-米国骨代謝学会(ASBMR 2012)

ミネアポリスで10月12日から15日まで開かれた米国骨代謝学会(ASBMR 2012)の仕事も無事終了。仕事の依頼主からの要請で滞在を1日延ばし,今朝(17日)の便で帰る。あと1時間ちょっとでホテル出発だ。

Photo


ミネアポリス滞在は今回が初めて。最初はショボイ街だと思ったが,中心部には高いビルや店が集まり,買い物や食事にも困らない。中華や日本食の店がない(探せばあるのかもしれないが,ちょっと歩いた範囲では目にしなかった)のは残念だったが,来る前に想像していたより快適だった。

肝心の学会のほうだが,今回はアサイメントは少なかったのに仕事以外の発表をあまり一生懸命に聞けなかった。ツイッターで少しつぶやいたが,あれがほぼすべて。今年に入って,膝が痛むのでいよいよ老化の膝痛かと,変形性関節症(Osteoarthritis)のセッションに入ったが,睡魔に襲われ夢をみていただけだった(ー_ー)!!。

全体的な印象としては,糖尿病の学会に比べて勢いが落ちてきていると感じた。学会開催期間が昨年までの5日から4日間に減ったのは5日目の無駄をなくすためだと思うが(5日目はすでに帰る人が多く,聴衆も少ない),参加者そのものが減っているような印象を受けた。日本からの参加者も昨年までと比べて少なかった気がする。

骨粗鬆症に薬では,ビスフォスフォネートの新薬はもう出そうにないので,新しいものとしてはすでに使われているPTH製剤とRANKL抗体(デノスマブ),まだどこの国でも承認されていない(たぶん)カテプシンK阻害薬(オダナカチブ)などの発表が目立った。スクレロスチン抗体の第II相試験結果も発表され,すぐれた骨密度(BMD)改善効果が発表されたが,スクレロスチンの阻害については,有害な影響もあるようで,そのような発表もあった。

さて,荷造りしてシャワーを浴びよう。18日の午後成田について,そのまま宇都宮(第22回日本臨床精神神経薬理学会 と第42回日本神経精神薬理学会の合同年会)へ直行だ。

2012年10月 5日 (金)

欧州糖尿病学会(EASD 2012)- 会場写真だけ

EASD、最終日。今日も取材と原稿書き、3本ある。とても、ブログに文字を埋めている時間はないので会場となったメッセの写真だけでも貼り付けておこう。本当に来ているという証拠写真だ。

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