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2013年1月29日 (火)

「経済成長っているの?」- こういう“庶民の心に訴える”的記事は大嫌いだ。心配すべきは成長の要不要ではなく経済水準の維持であり,あるいは,低下への覚悟だ。その覚悟があるならこういうふざけたことを言え。

朝,ネットのニュースを見ていて気になった記事があったので少し書いてみる。

リンクはすぐに外されると思うので,全文を以下に引用しておく。また,念のため書いておくと,わたしはこの記事で紹介されているバーのオーナー(引用では名前は○○としました)の生き方は素晴らしと思うし尊敬する。ただ,こういう記事の書き方(しらじらしいメッセージ)が嫌いなのだ。

<経済成長っているの? 30代で脱サラ 「減速」生活 2013年1月29日 07時06分
最低限のものだけ置き、店を営む=東京都豊島区池袋で

 東京・池袋のまち外れに「繁盛しないこと」が目標の小さなバーがある。一日五人の客があれば良いと、営業は夜の六時間だけ。しかも週に三日は休む。脱サラして店を始めた○○さん(42)の年収は半分近くに落ち込んだが、たっぷりの時間と安らかな毎日を手に入れた。

 車を減速するように、生き方も速度を落としてみる。「ダウンシフト(減速生活)」と呼ばれる生き方が先進国で静かに広がる。行きすぎた経済成長と拡大志向の反動だ。

 ○○さんも企業戦士だった。一九九四年、バブル崩壊後の就職難の時代に、大手百貨店の内定を勝ち取った。店の顔である一階の婦人雑貨担当を志願し、売りまくった。ハンカチを買いに来た客にエアコンの営業まで行う。同期百四十人中、トップで昇進した。

 だが、少しずつ心の中のわだかまりが大きくなる。右肩上がりの成長はとっくに終わっているのに、会社は「もっと売れ、もっと利益を」と求め続ける。ついにはノルマ達成のため、自腹を切って買い物をするようになった。欲しくもないのに買ったスーツは二十着、靴は十五足以上。封も切らずにほこりをかぶった。

 価格破壊が流行語になり、大量生産、大量消費の「使い捨て」に歯止めがかからなくなった時代。消費の最前線で確かに収入は増えた。でも息苦しかった。二〇〇〇年秋、三十歳の誕生日に辞表を出した。

 わずか六・六坪の店を四年後にオープンした。年収は六百万円から三百五十万円に下がったが、妻と息子の三人家族で暮らすのに十分だ。それ以上は求めない。思い描いたのは、昔からある八百屋や鮮魚店。「このやり方で、人生をやり直してみせる」という反骨心もあった。「使い捨て」時代の反省から、値は張っても上質なオーガニック食材にこだわる。口コミで少しずつ客が増えると、休日を増やした。田畑を借り、念願だった米や大豆作りを始めた。

 一〇年秋に自らの経験をつづった著書「減速して生きる」を出版した。今の働き方に疑問を持つ人たちが店を訪れたり、メールをくれたりするようになった。その中には、靴修理業を始めた人もいれば、離島で鍼灸(しんきゅう)師になった人も。減速生活のありようはさまざまだが「皆仕事をする時間が減った分、社会貢献をしている」。昨年から、地方議員らでつくる「緑の党」の共同代表も務める。

 社会全体では、まだ小さな変化かもしれない。「一輪の花は空から見ても分からないが、花畑になるためには一輪一輪が咲くことが大切」。池袋の小さなバーからその種まきが始まっている。 (東京新聞・森本智之)>(引用終わり)

  わたしは埼玉南部に住んでいるので池袋は近いし,“行きつけ”のバーもある。この記事に書かれている店にも行ってみたいと少し思った。また,このバーのオーナーの生き方は悪くはないと思うし(自分にはマネできないが),ある意味,すごいと思う。

ただ,この記事の見出し,「経済成長っているの?」をもう一度読み,最後の「一輪の花は空から見ても分からないが云々」を読んでどうも違和感を感じた。この記事を書いた記者にである。

この記事を読むと,池袋に6.6坪の店を持ち,年収350万円の暮らし(店は一日6時間しかオープンしない)が,それ以前の生活と比べてさも「つつましい生活」,のように印象づけられるかもしれないが,必ずしもそうではないと思う。

ようするにこの記事は「モーレツサラリーマンでがんがん仕事をしていたときに比べれば収入は半減したが,このバーのオーナーのような減速生活は,(経済的には)貧しいかもしれないが,心も時間も余裕のある豊かな生活」とでも言いたいのだろう。

このバーのオーナーに関してはそれは事実かもしれない。ただ,小さな店を8年間も続けていくことに伴うたいへんさには全く触れていない。それは,デパートのモーレツ社員とは違った種類の苦労かもしれないが,それはそれで決して楽ではないはずだ。

さらに,わたしがもっともひっかかったのは,年収350万円(三人家族)の生活なら「経済成長なし」でも可能と言わんばかりの書き方だ。

わたしは経済(学)のことはまったく素人だが,それでも,現在の日本の生活レベルが世界のほとんどの国と比べてはるかに高いことはわかっている。

わたしはアフリカのナイジェリアに2年住み,そのほか,長期で住んだことはないが,世界各国(たぶん30か国くらい)を訪れたことがあるが,目の前の現象を素直に見る目があれば,世界中の(日本よりはるかに)貧しい国々が,自らも豊かになろうと必死で生きていることがわかる。ようするにわれわれは恵まれているのだ。

たしかに今の日本がこれ以上,経済成長することは必要でないかもしれないし,また,容易でないだろう。だが,問題は,成長ではなく,維持することなのだ。現在のようにグローバル化した世界で,日本のように豊かになった国は,常に,競争にさらされており,それは,経済レベルの点でいうと,常に,下降圧力,がかかっているということだ。

大きくなった経済という重い荷物を国全体で支えているのであり,それを担っているのは国民なのだ(企業で働くサラリーマンはそのなかのコアな集団だ)。経済成長いるの?などとのんきなことを書いているこの記者は,生活レベルを維持するためだけにも,経済成長をめざさなければならないことにまったく気づいていないだろう。

こんな記事を読んで,みんなが“バラ色の”<減速生活>にあこがれて,気軽に脱サラなどしたら,年収350万円の維持すら容易でなくなるのは必定だ。

現状を維持するだけでも,常に,創意と工夫,努力が必要なのだ。

追記:このエントリーを書いたあと,少しググってみたら,2chにすでにこんなスレができていて驚いた。でも,オレに近い感じの意見多いなあ。

【キチガイ新聞】 経済成長なんか必要ないのではないか 必要なのは安らかな生活 つまり安倍は死ね

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