最近のトラックバック

« 論理的に生きるということ | トップページ | <戦争カメラマンの一番の望みは、失業することだ>-ロバート・キャパの言葉らしいが。。。 »

2014年5月18日 (日)

前の続き-同義反復-トートロジーに敏感になること

相変わらず「どうでもええことばっかり」書いているが、前のエントリー(論理的に生きる)を書こうと思ったのは、実は、こういう見出しを見たからだ。

運動しすぎは健康に悪い=英研究2件 「毎日運動」に警鐘

これは英国の研究を紹介した記事で、読むにあたいすると思えないので原著は検索していない。

私がひっかっかたのはこの見出しの前半部分だ。しすぎ、という言葉は過剰という意味であり、その言葉のなかに価値判断(正常より逸脱している)が含まれているから、運動し過ぎは健康に悪い、は、悪いものは悪い、と言っているのに近い。もっとも、見出しの後半に「毎日運動」に警鐘、とあるので、毎日運動は運動しすぎ、という意味だろうとはわかる(もちろん、論文ではもっと詳しい情報があるのだろうが)。

わたしが言いたいのは、新聞や雑誌、テレビ、ラジオ、日常生活で、これに近い表現というのをわれわれは結構使っているが、こういう言葉に敏感になり、不用意に使わないことも「論理的に生きる(=大人になる)」ことにつながるのではないかということだ。

海外の医学会のディベートセッションでも、proposition(命題)に “Too much ~ is bad for your health”というようなものがあり、こういう命題を見ると、論理的なディベートにならないと思ってしまう。もっとも、学会のディベートはエンターテイメント的要素を重要視しており(特に海外のは)、純粋なディベートとしての競技ではないので、あまり拘るのも野暮かもしれない。

ただ、日常で~過ぎは〇〇によくない、という表現は深い考えもなくよく使用されていると思う。いわく、食べ過ぎは身体によくない、寝すぎは身体によくない、ビタミンの取り過ぎはよくない、塩分のとりすぎはよくない、などなど。

まあ、わかりきった話なのだが、これらはいずれも、正常と異常(過剰)の基準はいくつか、つまり、~過ぎの過ぎがどこからか、というふうに問い直すべきなのだ。

話が脱線して恐縮だが(いつものことです)、最近、話題になっている、人間ドック学会が出した健康の新基準値、と、それに反発している専門学会側の議論には、「平均基準」と「価値基準」の混乱もあると思う。ま、この話題をまじめに議論するには、きちんとした準備と労力が必要なので、「徒然なるままに」書いているこのブログの守備範囲ではない。

« 論理的に生きるということ | トップページ | <戦争カメラマンの一番の望みは、失業することだ>-ロバート・キャパの言葉らしいが。。。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/520869/56236394

この記事へのトラックバック一覧です: 前の続き-同義反復-トートロジーに敏感になること:

« 論理的に生きるということ | トップページ | <戦争カメラマンの一番の望みは、失業することだ>-ロバート・キャパの言葉らしいが。。。 »