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2014年5月18日 (日)

論理的に生きるということ

久しぶりのエントリー。前回が4月9日だからまた一カ月以上空いてしまった。この一カ月、特に目新しいことはなかったが、大きな決断としては、仕事場(事務所)の引っ越しを決めたこと。6月の初旬に移転を予定している。もっとも、今いるところから数分の場所なので電話やファックス番号は変わらない。

論理的に生きる、などというタイトルを書いたが、これを自分流にくだいて翻訳すると、「意味のない悩みや拘りを持たずに、やるべきことを淡々とこなしながら生きる」ということか。

作家の藤本義一氏のエッセイで読んだ記憶があるのだが(正確な文言は覚えていないが、藤本義一であったのは間違いないと思う)、論理的な生活を送る、ことが重要というようなことが書かれていたと思う。

内容的にこれと近い言葉で私の好きな言葉に「大人は困ることはあっても悩むことはない」というものがある。子供はいろんなことで悩むが大人は悩まない。いろんな困った状況に遭遇することはあるが、自分のいる状況下でできることを最大限やろうとするだけ、というふうな意味であろう。

この大人はもちろん、本当の大人、という意味であり、悩んでも仕方ないことをウジウジあーでもない、こーでもないと考え込んで時間を費やしているのは、年齢がいくら高くても子供である。

何を聞いても、見ても、読んでも<あたりまえなことばっかり>と感じてしまうのは自分の個人的な性格が大いに関係していると思うが、歳をとったこともその原因かもしれない。ただし、年齢を重ねることで、状況を論理的に把握し、対処することが身についてきたのだとすれば、そして、その結果として、何を聞いても、見ても、読んでも<あたりまえなことばっかり>と感じるのであれば、それはそれで成長なのだと思う。

このブログでもすでに同じようなことを何度も書いているが、いまの日本は非論理的な甘ちゃんが多すぎる気がする。もっとも、マスコミなどはそれをわかっているからこそ、情に訴える報道や情報提供をしているのだろうけど。

なお、論理的に生きるは、合理的に生きるとしてもほぼ同義だと思うが、合理的、と言う言葉には、功利的あるいは効率的というニュアンスもあるので誤解をまねくかもしれない(論理的に生きる、というのもその言葉だけを聞けば、こなれない、しっくりこない言葉ではあるが)。

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