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2014年7月

2014年7月24日 (木)

近況-雑感-広島お好み焼はうまかった

7月も残すはあと一週間。先週は広島のうつ病学会へ速報の仕事で行っていた。思い起こせば広島へは中学生くらいのときに(たぶん初めての)一人旅で行って以来で、仕事で広島を訪れるのは今回が初めてだった。国際会議場が原爆記念公園のなか(原爆資料館のとなり)にあるので、原爆ドームを眺めながら毎日“通勤”した。毎日といっても18、19の2日間だけだったけど。

広島風お好み焼きを3回(=毎日)食べ、体重も3kg増えてしまったが、うまかった。もっとも、店によってやはり差はあり、それほどでない店もあったが、宿泊したホテルのそばのカウンターの店は粉ものにうるさい大阪人としてもかなりのレベルであった。

お好み焼以外に広島はもちろん牡蠣が有名だが、これもホテルの近くで偶然入った居酒屋のような店(チェーン店ではない)の肴はすべてうまかった。広島は食べ物がうまい土地という印象を持って帰ってきた。

明日から骨代謝学会の原稿仕事が月末まであるが、今日は谷間で暇なので久しぶりに家で夕食を食べるつもりだ。もっとも、広島から20日の朝に帰ってから、息子の空手の大会に直行したり、野球観戦に連れて行ったり(楽天-西武戦、西武ドーム、21日)と、子どもサービス、家族サービスはかなりしているつもりだ。残念ながら家族(配偶者含む)は、フリーランスで収入状況が明るくない今のオレにとって、なんでもない家族サービスがかなりの負担であることをまったくappreciateしていないけど。おっと、愚痴りはじめた。

9月以降、仕事の状況が好転したら、年末は豪華家族食事会でもやりたいなあ、とふと思い(今のところ明るい見通しはないが)、子どもが鮨好きなので回転寿司でない、いわゆる有名寿司店をググってみた。銀座久兵衛で検索したら、こんなブログ記事に遭遇したのだが、

銀座久兵衛が教えてくれたこと ~「おもてなし」はコスト不要の差別化だ! - 榊 裕葵

この人、本当に「おもてなし」がコスト不要だと思っているのかねえ。まあ、知らない人のブログの揚げ足取る暇があったら仕事の資料でも読めよ、と自分に対して一人つっこみ入れているが、<コストをかけずにお客様に対する「おもてなし」の心を従業員にどれだけ持たせられるか>って、そんなことできるわけないと思う。

回転寿司屋と銀座久兵衛の値段の差は、材料(寿司ネタ)やハード(店)の差だけではあるまい。一流の「おもてなし」を教え込むのにどれほどのコストがかかっているか。ま、ただ高いだけのぼったくり高級店みたいな店(寿司屋に限らず)があるのも事実だが。。。

いつも通り、まったくどうでもいいことばかり書いている自分がいやになるが、どうでもいいことついでにもう1つ。

6月に事務所の引っ越しをしたが(一番の理由は家賃を下げるため)、自宅からの距離が前の事務所とまったく同じにもかかわらず、方角が違うので徒歩での行動範囲に変化が生まれ、結果、これまで気づかなかった店(おもに食べ物屋)を何件も見つけて楽しんでいる。今の自宅にはもう10年住んでおり、独立して、徒歩10分前後の場所に事務所を借りてからも7年になるにもかかわらず、少しエリアを変えただけでこうも見え方が違うものかと新鮮な気分だ。今日も、駅からの帰りに、店らしい構えがないのに昼食メニューらしきものを控えめに出してある店をみつけた。神楽坂の細い道を歩いていると、店か普通の家かわからないようなある意味、入りにくい店があるが、そんな感じ。明日、そこで昼飯を食べようかな。

2014年7月 6日 (日)

学会取材-国際神経精神薬理学会(CINP)と日本精神神経学会

順番が逆になってしまったが,先週取材したCINPと日本精神神経学会のことを少し書いておこう。といっても,もう1週間経っているので記憶は薄れている。精神神経は最終日の28日の午後だけだったのであまり全体的な感想はないのだが,CINPについてはそもそも現地(バンクーバー)にいるときに何も書かなかったのだから今さら何か書く必要もないのだが。。。

CINPを取材するのは今回が初めてだった。バンクーバーも初めてで,街の中心部は縦横の道路で区切られたわかり易い造り。コンベンションセンターはウォーターフロントにあり,トロントのそれと似ていた。きれいと言えばきれいな街だが,住むには退屈かもしれない。Irish Pubをはじめとするバー(飲み屋)が街の中心(Granville通り)にはたくさんあり,レストランや食べ物屋も多数あり,居心地は悪くなかった。

学会は6/23~25の3日間のみ出席し,26日にバンクーバーを出発。27日の夜,羽田について28日に横浜の精神神経を覗いた。

CINPで仕事と関連しないセッションとしては,“DSM-5:Death of Neuropsychopharmcology”というのを聞いた。プログラムではDebateとなっていたように記憶しているが,実際は座長1人,演者1人のシンポジウムで,講演後の質疑応答に結構長い時間を取っていた。手元にプログラムがないので座長や演者の名前も書けないが,オーストラリア人の座長は「自分は座長を引き受けたが,タイトルは聞いていなかったので,見た時はびっくりした」というような言葉から冒頭の挨拶を始め,米国精神医学会(APA)の発展とそれと反比例するかのように減少し続けるCINPの出席者数について説明していた。CINPの登録者数のピークは数年前のフランスかどこかで開かれたときで,約6000千人だったらしい。ところが,今年のCINPの事前登録数はわずか1500人。この学会は日本人の出席者が結構多いのだが,全体がそんな感じなので日本人が多い印象を受けた。

講演のほうは,DSMが出来た背景や特にDSM-IIIからの内容の変化,問題点などを解説した内容で,わかりやすい発表であった(ような印象が残っている)。過剰なmedicalization(通常の精神反応まで“病気”にしてしまう)の批判の部分など,正直,知っていることばかりだったので目新しさは感じなかったが。。

DSM-III,DSM-IV,DSM-5と進むにつれて,新しく作られた障害やなくなった障害,統合された障害もあるが,そもそも,DSMがつくられた動機の1つである精神障害の診断の信頼性(reliability)がDSM-5でむしろ低下(特に,大うつ病性障害[= うつ病]や双極性障害など)した点(発表前のフィールド試験の結果)などもすでに指摘されきた点だが,米国立精神保健研究所(NIMH)が研究用としてDSMを使用しないことを発表したことなど,DSMの役割は今後変わっていくだろう,という懸念というか予想をみな,共有しているような感じだった。

質疑応答は結構長時間あり,そちらの方がおもしろかったが,細かいことは忘れてしまった(本当は覚えている部分もあるが,もう書くのが面倒になってきた)。

精神神経学会では,28日のお昼からあった北山修の教育講演を少し聞いてみたが,少し遅れて会場に行ったら,すでに立ち見がいっぱいの盛況ぶり。決して狭い会場ではなかったが,さすが元芸能人(!)の著名精神分析医の先生。集客力は抜群で,話も時々笑いをとって上手であった。とはいっても,内容はまあ「あたりまえなことばっかり」という気がしないでもなかったが。。。。

精神分析で無意識に抑圧されている葛藤が行動に現れることを“Acting out(行動化)”というが,これはドイツ語から英語への翻訳で,もともとのドイツ語(忘れた)のニュアンスと違って,否定的なニュアンスで広まり,それがその後の精神分析(の発展)にマイナスの影響を与えたそうだ。最近では,“Acting in”とか,“Enactment”という言葉が使われるらしい。患者と治療者の関係を芝居の役者(出演者)同士の関係と捉え,acting outあるいはacting inは患者からのメッセージ(セリフ)であるので,治療者はそれに適切なセリフでもって応えることが必要で,そういうやりとり,関係(性)のなかで患者の無意識に閉じ込められた葛藤が開放され,治療につながっていく。とまあ,こんな感じだったかな。最後までいなかったので終わりの講演の終わりのほうがどういう締めくくりだったのかは聞いていない。

2014年7月 5日 (土)

今頃話題になっているらしいが。。。<サッカーW杯敗退 「自分たちのサッカー」って何? ネットで“ネタ化”…>

6月は神戸の透析学会に続いて,バンクーバーでの国際精神神経薬理学会(CINP),横浜での日本精神神経学会と速報取材が続いて久しぶりに多忙な月だった。このくらいのパフォーマンス(稼ぎ)の月が1年のうち5~6カ月あれば生活も楽になるのだが,今年は前半で唯一忙しかったのが6月という危機的状況。じゃあ,暇でゆっくりしているかというと,そういう「暇感」とか,「ゆったり感」はまったくない。「不安感」はいっぱいあるが。

2014年も後半戦。ワールドカップも後半戦で,わたしは日ごろサッカーは見ないが4年に1度なので少しは見ている。ところで,さきほどネットのニュースを見ていたら,こういう見出しと記事が目にとまった。

サッカーW杯敗退 「自分たちのサッカー」って何? ネットで“ネタ化”…>。日本が初戦のコートジボアールに敗れた際,この言葉を聞いてわたしも違和感を感じ,ツイッターでもつぶやいた。

しかし,そもそも,<自分たちの>とか<自分らしさ>,さらには<その人らしさ>や<自分探し>などと言った言葉の無意味さ,アホらしさをわたしはずいぶん以前から指摘している。

“その人らしい人生”っていったいなんなんだ?!

以前,俳優の役所広司さんも<自分探し>という言葉が嫌いとたしか,NHKのあさいちのインタビューで言っていた気がする。

<本当の自分>とか<真の自己>とかもそうだが,日本人はどうもこういう具体性のない言葉に弱いと言うか,そういう言葉を使うことで,その先が思考停止になってしまう傾向があるような気がする。それとサッカー日本代表の「自分たちのサッカー」を結びつけるのは牽強付会と思われるかもしれないが,わたしはこういう言葉を安易に使う人には共通したものがあると思う。

コートジボワール戦のあと選手たちから発せられた「自分たちのサッカー云々」にフン!と鼻をならしたくなったのは,具体的な言葉での敗因分析が全然なかったことだ。

あるいは,敗戦直後でそういう冷静な分析の言葉を選手から出てくるのを期待するのは無理なのかもしれないが,そうであっても,悔しさ,不甲斐なさ,残念さ,恥ずかしさ,怒り,そういった,強い感情を伴った言葉が選手の口から出ていればもう少し印象は違った気がする。<自分たちのサッカー>というわかったようなわからないような言葉で納得している(納得させようとしている)ところが空しく響いた気がした。

サッカーど素人の私が書くのは気が引けるが,日本代表選手たちの言っていた<自分たちのサッカー>を言いかえると,「素早いパスでつないで空きスペースを作って,積極的に攻撃していく攻めのサッカー」というような感じだろうか。ザックジャパンで培ってきたサッカースタイル(?)のことか。しかし,そんなもの,勝つためには積極的に点を取りにいかなければならないのは,どんなスポーツでも同じで,サッカースタイル云々の話ではないのではないだろうか。

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