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2018年1月

2018年1月27日 (土)

仕事がはかどらないので暇つぶしの感想: ― 「反米保守」の袋小路 - 池田信夫

月曜日納品の原稿が全然進まなくて困っている。おもしろくない。暇つぶしにネットで遊んでいたら池田信夫氏のこんなYouTube動画に行きついた。

反米保守の袋小路

最近亡くなられた(自殺)西部邁氏について語ったもので、その内容についてどうのこうのというつもりはない(わたしは概ね、池田氏の言っていることに納得するが)。西部邁氏といえば、わたしも昔は朝まで生テレビでよく見ていた。

池田氏のこの動画でわたしが気になったのが「マーケット」とか、「飯のタネ」という言葉だ。そういう観点で西部邁氏の『(評論)活動』を解説するとそのとおりなのだろう。しかし、、「飯のタネ」が最大の動機になっていない人間がどれほどいるだろうか。

いわゆる「知識人」「評論家」「思想家」と言われる人ほどその矛盾が出てきやすい(矛盾が目立つ)が、言っていることのほんとうの動機が「飯のタネ」でない人間がこの世にどれほどの割合でいるのか(この矛盾がもっとも露骨かつミエミエなのが政治家で、特に最近の野党は小学生でもわかるようなバカな振る舞いをしている[ま、自民や公明も似たようなものだが])。

うがった見方、あるいは、卑近な解釈(下種の勘繰り)と言われるかもしれないが、結局、(ほとんどの)人は多かれ少なかれ、「飯のタネ」に影響され、生き方を選んでいるのではないだろうか。

西部邁氏の自殺のニュースが出たとき、ネットで「病院で死ぬのは嫌だと言っていた」とか「先になくなられた奥様の闘病のときのような(介護の)経験を自分のこどもたちにさせたくない」というようなことが自殺の動機であったというような記事を目にした。たぶん、本当なのだろう。それはそれで理解できるし、共感もできる。

しかし、そういった気持ちは「保守」とか「思想」とかとは何の関係もないだろう。わたしがいいたいのは、いわゆる「言論人」がなにか立派なことを言っても、その動機は(すべてとは言わないが大半の場合)そういった卑小な(という言葉が失礼であれば、一般人でも理解・共感できるごく普通の庶民感情・感覚)ものにつき動かされているのではないかということだ。

池田氏の上記の動画ははからずもそのことを明らかにしており、池田氏がこの動画で言及した「マーケット」とか、「飯のタネ」という言葉はそのまま池田氏にも跳ね返ってくることになる。

わたしはいったい何を言いたいのか。

「存在が意識を規定する」(マルクス)、「衣食足りて礼節を知る」

礼節を失わない程度の「衣食」(= 収入)は維持したいが、そのために自分がどの程度のウソ(やりたくないこと)をがまんしているかの意識はもっていたい。

換言すると<やりたくないこと(仕事)>をしているとき、その仕事を無理やり好きになろうなどとはわたしはしたくない。

<自分はいま、やりたくないけど食うために仕方なくいまこの仕事(作業)をしているのだ>と明確に意識していたい。

そのような姿勢で仕事をするのはけっして自慢できることでも褒められることでもないが、好きになれない作業(仕事)を無理やり好きになろうとすること、自分のなかで受け入れらない考え(思想)を無理やり受入れよう、とするよりも害は少ないと思う。

さて、気乗りのしない仕事に戻ろう。

2018年1月 3日 (水)

謹賀新年-今年の初詣は湯島天神

新年あけましておめでとうございます。

P_20180102_125123また新しい年を迎えた。今年の初詣は2日に湯島天神へ行ってきた。4月から中学3年になる息子の高校受験のお願いを兼ねたお参りだったが、参拝までの行列の長さに驚いた。混むとは聞いていたが、これほどとは思ってもいなかった。1時間半以上はかかっただろうか。幸い天気はよく寒さもそれほどではなかったので、耐え難いほどの行列ではなかった。

これまで初詣の日は観劇や演芸(お笑い)などとセットにしていたが、今年はそういったイベントもやめにした。食事だけは<年に一度>の豪華メシ(?)ということで、フランス料理を予約。と言ってもランチなのでたいしたことはない。

去年のお正月もいい天気で啄木の歌を思い出したが、今年は同じくらい良い天気だったにもかかわらず「なんとなく、今年はよいことあるごとし」という気分にはなれない。

2018年は “year of reckoning” になりそうな気がする。

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