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日記・コラム・つぶやき

2020年5月30日 (土)

オンラインばっかり:コロナはいったい何を残したのか

GW明けの5月7日に<非常事態宣言>が延長され(何が非常事態なんだろうね)、その後、首都圏もようやく解除されそうだが、2月27日の全校一斉休校要請以来の3か月は何だったのだろう。ここへきて、欧米と比べて100分の1近い日本の低い死亡率に対して欧米でもも称賛あるいは怨嗟の声があがっているという。それを「日本モデル」と呼ぶか、ノーベル賞学者の山中先生が呼ぶところの「ファクターX」というのか知らないが、そんなまどろっこしいことを言わなくても、全校一斉休校はムダだとオレはとっくの昔に書いている。

ロックダウンが結局、役に立たなかったという指摘も欧米では出始めている。それなのに、日本(首都圏)は来週からの学校再開もまだ「段階を踏んで慎重に」やるようだ。

ここ2カ月でZOOMを使ったオンラインミーティングを何度かやったし、来週からは、今年初めてといってもいいまとまった仕事(欧州リウマチ学会 2020)があるが、これもなんとオンラインのE-CNGRESSだ。

2~3日前に通常業務を再開した東武百貨店では1F入口にフェイスシールドをつけた店員が待機し、入店客一人一人の体温をチェックしている。

あー、嫌だいやだ。何がアフター・コロナだ。人間の生活じゃないよ。気が狂ってる。

2020年4月19日 (日)

空しい1か月半

前回のエントリー(3月8日)から40日が過ぎた。小中高の夏休みとほぼ同じ期間だ。非常事態宣言が出てもわたしの生活はあまり(よくも悪くも)変わっていない。新型コロナ対策としてのロックダウンや外出規制・学校休校やビジネスの休業については、欧米(特にアメリカ)ではそろそろ「こんなこといつまでも続けていられない」という雰囲気になってきているようだ。デモなども起こっているという。

コロナに関しては、①「ただの風邪のちょっと深刻なもの」「騒ぎすぎ」派から、⑩日本でも40万人以上がコロナで死ぬ。自粛生活は2年は続く。多くの仕事がテレワークに移行し、ライフスタイルががらりと変わる。などという「悲観」派まで、幅広い。わたしは病気そものものとしては、①に近いという感想を当初から抱いているし、今もあまり変わらないが、世の中の反応は想像を超えるほど大きいので、特に経済的打撃という意味では、かなり悲観的にならざるを得ない。わたし自身も、3月と6月のまとまった仕事が学会の中止・延期で飛んでしまい、その他の仕事も微々たるものなので、コロナで体調を崩すようなことは心配していないが、金が底をつくことで生活が崩壊するかもしれない。

一人あたり10万円の生活支援金はもちろんないよりはいいが(うちは4人家族なので40万円)、焼け石に水であることに変わりはない。それでも、14兆円くらいの金が必要だそうで、コロナがなくても借金だらけの日本で、さらに国債発行、日銀引き受けでマネタイズするのだから、コロナが収まってからの不況のほうが恐ろしい。もっとも、借金まみれは米国やEU諸国、英国も似たようなものだろう。

空しい1か月半だった。5月7日からもこれが続くのか。あるいは、多少は制限が解除されるのか。

2020年3月 8日 (日)

新型コロナがらみでイヤな言葉:不要不急な〇〇

新型コロナ感染に関してはもう書きたくないのだが、3月のエントリーとして1つだけ短く書いておこうと思う。PCR検査の費用が全額健康保険で払われることになり、さらに、保健所を通さずとも医師の判断で検査に出せることになったので、検査の数はこれから増えるだろう。数が増えれば(分母が増えるのだから)陽性判定の数も当然増え、しばらくはテレビを中心にウンザリするほど報道されると思う(短くても3月いっぱい。長引けば5月くらいまで) 。その弊害についてのコメントや記事は、ネットを検索すればいくらでも出てくる(その反面、PCR検査を軽症患者にして何がいいことがあるのか、わたしにはさっぱりわからない。疫学データとしての意義くらいか)。

今回の騒ぎで、不要不急な外出は控えましょう、とか、不要不急のイベントは自粛しましょう、など、不要不急という言葉が抵抗なく使われているが、わたしはこの言葉が嫌いだ。辞書によると不要不急とは<無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要、無くてもよいこと、またそのさまを表す語で、不急は差し迫っていないこと、またそのさまを表す語>。

今の状況では(新型コロナウイルス)感染リスクを高める可能性のある外出・イベントがほぼすべて不要不急とされている。こういう姿勢を無反省に進めていくと、その先にあるのは、病気や生命に対するリスクを少しでも高くするものをすべて不要不急とする考えだ。


スポーツを含めた、広い意味での「文化」などすべて不要不急だし、ビジネス上のサービスの多くも不要不急だ。だれもが、新型コロナが収まるまでの一時的な措置と考えているのだろうが、今のこういう雰囲気の中には無批判・無思考の根が潜んでいて、非常に危険な気がする。

わたしは正気を保っていたいので、仕事もないのに毎日都内の事務所に「出社」しているが、これなど不要不急の最たるものだ(-_-;)。

 

2020年2月29日 (土)

コロナ騒ぎをめぐる雰囲気に日本人(日本国)のイヤな面を感じる―4年に1度の2月29日記念エントリー(笑)

特に書きたいこともないのだが、せっかくの2月29日なので、とりあえず何か書いて残しておこうと思った。

新型コロナウイルス騒ぎについては、前回のエントリーでも書いたが、一昨日(2月27日)の安倍首相の「全国の小中高臨時休校要請」には驚いた。最初ネットで見たときは、対象が国公立の学校だけかと思ったのだが、私立の学校も含めてすべてのようだ。わたしには公立中学に通う娘と私立高校(埼玉県)に通う息子がおり、両方ともやはり3月2日から春休みが始まるまで(3月24日まで)休校。そこから春休みなので、結局、夏休みよりも長い「春休み」になってしまう。

今回の対応については賛否があるが、わたし自身はまったく気にいらない。反対だ。都道府県・市町村でも、「遺憾」の意を表明した知事や市長はいるが、結局は首相の「要請」に応じるようだ。すぐには休校にしないと表明しているのは、石川県の金沢市や島根県(県全体)くらいか(ほかにもあるのかもしれません)。島根県は現時点で感染者の報告がゼロで、感染例が出たらすぐに休校とネットニュースで見た。

しかし、安倍首相の「要請」にどんな法的根拠があるのか。法的根拠がないから「要請」で、命令・強制ではないということなんだろうが、実際には金沢市や島根県のように「要請」に従わないのはかなり勇気のいることだろう。実質的には命令であり、従わない場合は行政指導その他を使って、今後、いろいろと嫌がらせをされるのではないか。

わたしなど、今回の「要請」は法的根拠のなさもさることながら、メリットとデメリット、あるいは、薬のアナロジーを使うとすれば、リスク(副作用)とベネフィット(効果)を勘案して、リスク(副作用)のほうが大きいとしか思えない。すでにいろいろと言われているが、小学生以下の小さいお子さんがいる共働き夫婦などの大変さは想像以上だと思う。それでも、勤め先が大企業であれば、なんらかの対応処置(その1つは在宅勤務)で助けは得られるだろうが、中小企業ではそうもいくまい。

新型コロナはそもそも若い人では無症状か症状が出ても軽い。重症化しやすいのは基本、高齢者やリスク[喫煙者、糖尿病、高血圧、呼吸器系の疾患、などなど]のある人なので、小中高生だけにターゲットを絞って学校を休ませても意味ないと思う(もちろん、祖父や祖母と同居している人もなかにはいるだろうから、そういう家族にとっては孫が感染すると[祖母や祖父に]危険ということはあるだろうが)。

わたしの感覚ではなんでそこまでしてと思うのだが、ネットのコメントなどを見ると、今回の休校措置を積極的ではないにしても、「妥当だ」「仕方がない」という意見が多く、驚いている。

もっとも、今回の新型コロナで騒いでいるのは、日本だけでなく、他国も、特にマスコミの報道はどこも似たようなものだと思う。私は英語ニュースしかわからないが、数日まえFOXを見ていたら、「わが国(アメリカ)では、インフルエンザの猛威のほうが重大だと主張していた人もいるが、新型コロナウイルスによる現在の状況はパンデミック寸前だ
」みたいなことをキャスターのCarlson Tuckerが言っていた。感染者数や死亡者数を見れたインフルエンザのほうが深刻に決まっているだろ。

PCR検査を希望者全員にせよという医者がいたり、厚労省の出す医者にかかる基準
(37.5℃の発熱が4日以上続くか、体調が非常に悪い場合を除き、すぐに医者に行かずに自宅療養)に文句を言う人、手洗いや体調管理を強調する助言に「そんな当たり前なことで感染が防げるか。マスクを出せマスクを」のように政府を非難する声など、ネットニュースやコメントを見ていると、冷静な判断というものがどうしてこれほど簡単に失われてしまうのかと情けなく思ってしまう。

だいたいPCRで陽性が確認され、それで感染が確定されたとして、それの何がいいのだろうか。なぜそれほどまでにPCR検査をしてほしいのだろう。安心?でも、新型コロナウイルスに対する根本的な治療薬はないんですよ。(アビガンや抗HIV薬が効くかもしれないということで急遽、試験はやっているそうだが)。さらに、PCRの精度(感度・特異度・陽性的中率、陰性的中率)の問題もある。これについては、このブログや、その他、ネットで検索すれば、いろいろと記事や解説がアップされている)。

笑ってしまうのは、今まで体調が悪くなって医者に行き「風邪ですね」って言われたら何の疑問もなくそうですかといって薬をもらって安心していたことに何の疑問ももたないのに、新型コロナウイルスに関してだけPCRだPCRだと騒いでいること。インフルエンザの場合は迅速キットがあるが(もっともそれも、感度・特異度が100%なわけではない。そのようなテストはそもそも存在しない)があるが、ただの風邪、というのは何が原因かはわからず臨床診断しているだけ。もちろん、経験豊富な医者であればそれで致命的な間違いは犯さないのかもしれないが、風邪ならば原因はウイルスなのに、抗生物質を出され、それに対して疑問を抱くどころか、あまつさえ、抗生物質を出さない医者には不満をいただく。根本的な治療薬がないのは、普通の風邪も新型コロナウイルスも同じなのに。。。。

また、インフルエンザには治療薬があると思っている人がいるが、現在ある薬は、例えば、タミフルにしろ、リレンザにしろ、イナビルにしろ、これらはノイラミニダーゼ阻害薬であり、新しいゾフルーザはキャップ依存性エンドヌクレアーゼ
害薬と言われるものだが(あと、M2蛋白阻害薬のアマンタジンもあるが)、いずれも症状を改善したり治癒までの日数を少し短くするだけで、根本的な治療薬ではない(その薬だけで完治しているわけではない【ヘマグルチニン(HA)と呼ばれる蛋白質を阻害する薬ができれば本当の治療薬になるかもしれないが】。風邪にしろ、インフルエンザにしろ、そして、新型コロナウイルスにしろ(そもそもコロナウイルスは風邪の原因になるウイルスの1つ)、安静、栄養、睡眠、に気をつけて免疫力を高めるしかない。

最後に、タレントの神田うのがスキー旅行の写真をインスタに挙げ、それがこういう時期に不謹慎だといって批判が殺到したそうだが、これなど全く理解できない。東日本大震災のときや、さかのぼれば、昭和天皇崩御のときなどもそうだったが、日本人は、こういうとき、普通の庶民はがまんしているのだから、ほかの人間も自粛せよ、という反応が多い。こういうメンタリティーというか国民性は、わたしが一番嫌いなところだ。何がいけないのかと思う。

第二次世界大戦のときに、町内会のおばさんやおじさんらが、近所を見回って、ちょっと「ぜいたく」な暮らしをしている人をつかまえては非国民とののしるようなシーンをドラマなどでときどき見ることがあるが(朝ドラなどに多い)、ああいう雰囲気を感じてイヤになる。

たかが新型コロナウイルスくらいで、日常生活をこれほどまでに制限してしまう日本人、おかしいと思う。

追記: 安倍首相も、全国の小中高に臨時休校を「要請」(と言う名の強制)するくらいなら、3月いっぱいは満員の通勤電車を運行しないよう全国の鉄道会社に「要請」すべきだったと思う(例えば、座席に座れる人数しか電車に乗せてはいけないとか) 。そのほうが、コロナ感染拡大を抑制する効果は大きいはずだ。そこまではやる勇気も肚もないのだろう。

2020年2月16日 (日)

新型コロナウイルスの大騒ぎ

新型コロナウイルス(このウイルスによる病気は、COVID-19とWHOによって名づけられたらしい)が話題になっている。テレビ(ワイドショー)や新聞・雑誌はお騒ぎだ。マスクが売り切れ、高値での転売なども発生しているという。特にここ数日は、日本の対策に問題ありという海外の報道などがSNSなどで紹介され、東京オリンピック開催も危ういのではないかという意見まである。

新型インフルエンザの騒ぎ(2009年だったかな)やSARS(2003年)のときもそうだったが、人間というものは分からないことが多いと恐怖が増大されるようだ。そのこと自体は理解できなくはないのだが、わかっていることとわかっていないことを精査して冷静に対処するということがなかなかできない。専門家ですらまだ情報不足の段階で素人がいろいろコメントするのはいかがなものかとテレビなどを見ていて思う。


このウイルスによる病気の症状の特徴は徐々に明らかになってきている(初期症状は軽い。無症状の期間=潜伏期間も比較的長い。⇒ この期間にほかの人にうつしやすい。特に小児の症状は軽い傾向がある、など)ようだが、こういった呼吸器感染症予防の基本は、①手洗い、②うがい、③マスク(咳エチケットとして)だと思う。重要度もこの順番だとわたしは理解している。お昼に食堂/レストランなどに入って、手を洗いに行かずに注文した料理を平気で食べている人が多いのには驚く。ましてや、その人がマスクなどしていたら、なおさらだ。今時、どこのお店でも手洗い場所には石鹸をおいているし、アルコールも置いているところが多い。マスクをすることにこだわる一方て、手洗いが不十分(回数、洗い方)な人が少なくないのではなかろうか。

追記:新型コロナウイルスで大騒ぎし、中国からの入国を(場所を問わず)一切禁止にせよという意見まであるが(アメリカはそうしているらしく、それに比べて日本政府は。。。という意見)、そういう人は、この記事についてどういうリアクションをするのだろうか。<米、インフル症状に新型ウイルス検査へ 対策を大幅強化>。<死者1万人超、アメリカで「インフル猛威」のなぜー2年前はなんと6万人以上が亡くなっていた>米国の今シーズのインフルエンザの罹患者数は合計で2200万人。死者は1万2000人なのに、米国からの入国にはなんの制限もしていないし、新型コロナウイルスに比べて大騒ぎになっていない(少なくとも日本では)。不思議としかいいようがない。



 

2020年1月31日 (金)

2020年、もう1か月終わりかよ

謹賀新年、と書こうと思っていたらアッと言う間に1月も終わり。Where does the time go?

この冬は暖かいのがありがたい。明日から2月なのであと2週間もがまんすれば春の気配が感じられるようになるのではないかと思う。正月から1月31日まで、なんでこんなに早く過ぎたのだろうと思う。仕事の状況や家庭の雰囲気、気が滅入ることばかりだ。なにか明るいこと、楽しいことはないかと思案しているが、何も出てこない。

健康(体調)管理に関しては今年も、①きくち体操、②毎朝起床後すぐコップ一杯の水を飲む、③毎日りんご1個食べる(皮ごと丸かじり)の3つをpillarsにするつもりだ。加えて、5kgほど体重を減らしたい。数年前、糖質制限ダイエットにはまったときは、瞬間風速で15kgが減少でき、その後もしばらくはピーク時から-7~-8kgを維持できていたが、近ごろは全然ダメになった。油断していると、過去最高体重(79kg)に戻ってしまいそうだ。今のところ73-74kgで安定しているが、あと5kgは減らして68-69kgで安定させたい。炭水化物を制限すれば5kgすぐに落とせるのだが、空腹を感じないように炭水化物(糖質)を制限しようとすると、食費が増えて仕方ない(不足分 = 腹が減る分、を肉や魚で補わなければならないので)。糖質制限ダイエットは金がないと 続かないことは、以前の経験で知っている。貧乏人ほど肥満が多いのは安い食べ物が炭水化物中心だからだ(飢餓に苦しんでいるような国は別の話。そのような国の人々は食べ物がなくて痩せ細っている)。

毎日りんご1個丸かじりは、もう1年以上続いているが、これまでは、近所のスーパーなどで1回4~5個ずつ買っていた。しかし先週、訳ありリンゴ(青森のサンふじ) 5kgというのを楽天で目にし、試しに買ってみた。普段も多少きず(わけ)ありのをスーパーで買うのでまとめて買ったほうが安いならそのほうがお得かもと思って注文してみたのだが、箱をあけてびっくり。大玉のりんごばかりが14個入っていて、毎日1個を丸かじりするのはかなりきつい。キズの具合は想定の範囲内で問題はなかったが、2つに切って、毎日半個ずつというのは気が進まないし、面倒だ。仕方がないので昨日から大玉りんごを1個/日ずつ食べている。あと12個食べなきゃいけないが、次からはやはり近所のスーパーで1回、3~4個ずつ、バラで買うことに決めた。

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2019年12月27日 (金)

映画「家族を想うとき」感想 :身につまされた

たいしてやることもないのに年末というだけでなんとなく慌ただしいこの頃。東洋経済オンラインで紹介されていた映画、「家族を想うとき」(原題:Sorry We Missed You)を新宿武蔵野館で観てきた。作品の紹サイトはこちら

フランチャイズの宅配ドライバーとして「独立」した<個人事業主>、リッキーとその家族の物語。わたしとの共通点はもちろん<個人事業主>の部分。「独立」と言えば聞こえはいいが、所詮は下請けの個人事業主。生活の不安定さや社会的な地位(居場所)のなさはよく理解できる。ここ数年の仕事の不調から、この映画をわが身に引き付けて観てしまった。

たまたまだが、家族構成も私のと同じ。子どもの年齢と性別まで同じ(16歳の男の子と14歳の女の子)で驚いた。過酷な現実を描いた物語だが、ターナー家はいい家族だ。奥さん(アビー)は聡明だし、グレかけた息子(セブ)も本当は頭がよく、
 妹のライザは素直で可愛い。家族の静止を振り切り、リッキーが自分の車で仕事に出かけるラストシーンが泣ける。

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話は変わるが、右の写真は何かいいことがあったときに飲もうと思って3~4年前に買ったウシュクベ・ブルーフラゴン・アンアルドリというスコッチウイスキー。ウシュクベというのはウイスキーの語源だそうだ。

届いた段ボール箱に入れたままにしていたが、届いて以来、大きな災厄はないもののいいことも起こらないので、このお正月に開けることにした。アルコール度数が57.1度とかなり強いので飲み過ぎないようにしなければ。

来年こそは、復活の年になりますように。

2019年7月22日 (月)

参院選が終わった

投票率が50%にも達しない参院選が終わった。わたしは熱心に選挙報道を追っていたわけではないが(投票には行った)、虚しさが募るばかりだった。特に、立憲民主、国民民主、共産党などの「野党共闘」とはいったい何なのか。

偶然、ネットで次の記事を見つけた。ここに私の考えていることのすべてがつまっている。悔しいがわたしにはとてもこのように的確な解説を短くまとめることはできない。残しておきたいので、以下にコピペさせていただく(以下、引用)。

 

悪夢そのものだった民主党政権 政党名を変えても「過ち」は消えない
2019.7.13 20:26

日本の選択

 民主党という政党の誤りの第一歩は、自らの政党名を弊履(へいり=破れた履物)のごとく捨て去ったことだった。民主党では国民のイメージが悪すぎるということで、中身を改めることなく政党名を「民進党」に変更し、小池百合子都知事が一大ブームを起こすと、この人気にあやかろうと「希望の党」に大挙して押し寄せた。

 参加を希望しながらも、安全保障政策などに問題があるとされ排除された政治家たちは「立憲民主党」を立ち上げ、希望の党に蝟集(いしゅう=群がること)した政治家たちも、「小池ブームが去った」と判断した後には複雑な手続きを経て「国民民主党」へと至る。

 現時点では、立憲民主党と国民民主党との2つの政党の差異がどこにあるのか、私にはさっぱり見えてこない。

 国民民主党は、立憲民主党よりも現実的な政策を主張しているようにも思えるが、参院選では「野党共闘」へとかじを切り、社民党、共産党とともに空疎な安倍晋三政権への批判を繰り返している。結局、立憲民主党であれ、国民民主党であれ、「元・民主党の政治家たちの集まりだ」というのが一般的な理解だろう。

 「朝日新聞デジタル」によれば、安倍首相が立憲民主党の枝野幸男代表を「民主党の枝野さん」と言い間違え、その後、「毎回、党が変わるから覚えられない」といった冗談を演説に挿入し、聴衆の笑いを誘おうとしたという。その後、別の記事では、枝野氏の「日本の総理大臣でもあり、情けない」との批判の声も紹介している。

 だが、情けないのは民主党と言い間違えられると激怒する野党の側だ。自分が民主党にいたことを指摘されるのが嫌なのだろうか。

 そういえば、「民主党とは何か」「政治家の責任とは何か」を、久々に考え直す機会があった。
加戸守行(かと・もりゆき)前愛媛県知事(84)が先日、ある候補者の応援に駆け付け、魂の叫びとも呼ぶべき熱弁を振るった。知事時代に自然災害に備えてダムの改造工事を予定していた。だが、民主党政権が誕生すると「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、知事に何の相談もないままに工事が凍結されてしまった。

 昨年の豪雨によって、5人の尊い命が失われてしまった。仮に工事が凍結されず、予定通り、3年前にダム改造が完成していれば、このような被害は防げていたのではないかと疑問を投げかけ、加戸氏は次のように政治家の責任を説く。

 「意見は誰が言ってもいいのです。ただ、政治判断・政治決定をするときの最高責任者は反省し、責任を負って、贖罪(しょくざい)をして、償いをしてから、再び政治の道を歩むべきである」

 政治は結果責任である。政党名を変更すれば、過去の判断の過ちが曖昧になるわけではない。空疎な政権批判を繰り返す前に、民主党政権に所属していた政治家は自らの政治家としての責任に向き合うべきだろう。


■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。拓殖大学客員研究員等を経て、現在、大和大学政治経済学部政治行政学科専任講師。専攻は政治哲学。著書に『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)、『「リベラル」という病』(彩図社)、『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』(イースト・プレス)など。

 

(引用終わり)

>結局、立憲民主党であれ、国民民主党であれ、「元・民主党の政治家たちの集まりだ」というのが一般的な理解だろう。

まさにその通り。今回、立憲民主が議席を増やしたのがわたしには不思議でしょうがない。どう考えても、わたしには立憲民主と国民民主に入れる気にはならない。<だが、情けないのは民主党と言い間違えられると激怒する野党の側だ。自分が民主党にいたことを指摘されるのが嫌なのだろうか。> この指摘は的確で、激怒するのは自分の恥部に触れられたからだろう。

2019年7月 8日 (月)

松岡修造の「本気で生きていますか」― 笑ってしまったが本当は大切なメッセージ

YouTubeで遊んでいたら、松岡修造のこの動画に偶然たどり着いた。最初は爆笑してしまったが、参院選が始まり、本気さのかけらもない各党の<公約>を見聞きするにつれ、笑えなくなってしまった。政治活動に限らず、われわれの日常のすべてにおいて、<本気>でない目標をかかげることのなんと多いことか。

他人(ひと)のことはどうでもよい。わが身に引き付けて、いろんなことに本気で取り組んでいるだろうか、と自問してみた。しかし、このCMは笑える。

 

 

 

 

2019年6月28日 (金)

2019年の折り返し点 ― 近況と今年前半の感想

ゴールデンウィーク明けに実行した仕事場(事務所)の移転は大きなトラブルもなくスムーズに終わった。埼玉南部の自宅近くの仕事場から都内へ引っ越したので、10数年ぶりに定期券を買って「電車通勤」を始めた。ラッシュアワーのピークは避けたいので、かなり早めの「出勤」を続けているが、身体も慣れてきた。新しい仕事場は非常に快適だ。古いマンション(築40年超)だが、管理は悪い方ではなく(自宅近くだった以前の仕事場も築50年という骨董品だったが手入れはピカ一で極端な古さは感じなかった)、何よりも駅から近いのが便利だ。

都心のターミナル駅の1つなので、JRに加えて複数の私鉄、地下鉄が乗り入れている。大きな駅では不動産屋の「〇〇駅徒歩△分」の起点がどこかを確認し、引っ越し後の「動線」に注意しないと実際に要する時間に大きなズレが生じてしまう。新しい仕事場として借りたマンションは「〇〇駅徒歩3分」と書いてあったが、自分が使う私鉄の最前車両を降りてすぐの改札が使えることがわかったので、契約を決める前にその改札から2~3回歩いてみた。実際には徒歩3分はやはり無理だが、5分あれば確実につける。しかも、そのうちの1分くらいは駅建物の中の移動なので、大雨や雪でもない限り、駅←→事務所の移動がとても楽に感じられる。数えきれないほどある飲食店や酒場にはすぐに歩いていける。

というわけで、仕事場(事務所)移転には満足しているが、そのことで仕事にいい影響が出ているかというとそういうことはない。もっとも、今月(6月)は多忙で、昨年同様、稼ぎの多い月ではあった。5月までがボロボロだったので、30対0で負けている試合で、短期間に5点、得点できたくらいの感じしかないが。

プライベートでは、長男の高校受験の結果が不本意なものに終わり、4月から一番希望順位の低い学校に通い始めたのが気がかりだったが、半ば私のそそのかしで入ったラグビー部の活動がいい雰囲気のようで、楽しそうに通っているのでホッとしている。

ラグビーといえば、今年9月に日本で開催されるワールドカップのチケットを申し込んだがいずれも抽選にもれ残念だった。しかし、ワールドカップ前に行われる「リポビタンDチャレンジカップ パシフィックネーションズ2019日本ラウンド」 の日本 VS トンガ戦(8月3日、東大阪・花園ラグビー場)が取れたので、息子と見にいくことにした。ワールドカップの前哨戦として、7月に釜石(vs フィジー)、8月に花園(vs トンガ)、そして9月8日に熊谷(vs 南アフリカ)で開かれる。私自身、ラグビーのルールすらまだよくわかっていないのだが、日本代表チームの試合を生で見るのを楽しみにしている。花園ラグビー場はなんといっても高校ラグビーの聖地だ(野球の甲子園のようなもの) 。

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