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日記・コラム・つぶやき

2018年5月24日 (木)

まるで北朝鮮だな - 本日発売の週刊文春(5/31号)『日大アメフト監督「14分の自供テープ」』を読んだ感想

前のエントリーを書いたときは、ネットの予告動画を見ただけだったのだが、コンビニで週刊文春を買い、首題の記事を読んでみた。日本大学という学校法人が恐ろしくなった。

今回の悪質タックル事件についての内田前監督の関わりについては、ネットなどから幅広い情報を得ていたので、この記事に書かれていることは予想の範囲だった。

私が恐ろしいと感じたのは、田中理事長を頭にする、まるで北朝鮮のような独裁体制だ。内田前監督はそのナンバー2なので、アメフト部だけでなく、日大の少なくとも運動部のすべてに絶大な影響力を持っており、やりたい放題やっていることがありありと描かれている。

田中理事長の奥さんが経営する料理屋のことや、内田前監督が監督辞任を表明した最初の囲み会見の日に、パチンコ屋で閉店まで3時間もパチンコをやっていた田中理事長への突撃取材と、それに対して「おれは何もしらないよ」と答えた田中理事長との会話など、今回の文春砲は称賛に値する素晴らしいものだと思う。(理事長が「なにも知らない」、ですまされるわけがないのが一般社会の常識だが、ここでも独裁者は常に一般社会の常識の枠外のようだ)。

今回の騒動は、一義的には内田前監督や井上コーチの指示による悪質タックル(傷害事件)の問題だが、対応のまずさが招いた今の状況は、

①日本大学という学校法人の闇

②アメリカンフットボールというスポーツとそれに関わる団体や指導者の問題

(日大の今回の反則プレーは絶対に許されるべきではないが、それとは別に、アメリカンフットボールにおけるこれまでのラフプレーや指導の在り方に反省すべき点はないか、の議論は必要だと思う。内田前監督の「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」という発言に、関学やその他の大学アメフト部はきちんと反論し、自分たちは日大とは全く違うということを証明しなければならない)

③(アメフト以外の)日本のスポーツ界が抱える問題(大学だけでなく、高校や中学の運動部も含めて、やたらと厳しい指導[しごき?]を重視するやり方や、子どもや生徒、学生を食い物にしているスポーツ界の上層部)。

など、いくつものパンドラの箱を開くきっかけになるかもしれない。

日大アメフト部の悪質タックル騒動 - 「よく言うよ。何年か前の関学が一番汚いでしょ」という内田前監督のコメントは重要かも

日大アメフト部の悪質タックル騒動は、一昨日の宮川選手、昨夜の内田監督・井上コーチの会見でひとつのピークを迎えた気がする。今後は、連盟や警察の捜査などが進むだろうが、世論は内田・井上、真っ黒で固まっていると思う。

アメリカンフットボールなど興味もなくルールも知らないのだが、今回の事件は出回った映像があまりにも衝撃的だったことと(アメフトのルールをまったく知らない素人でも、あのタックルは試合とはまったく関係ないものだと理解できる)、そのあと、内田監督が雲隠れしてしまったこと、その間にネットで大盛り上がりしたことで、わたしも相当時間をつぶしてしまった。

映像が流れた直後に、その後の展開が想像でき、すぐに内田監督が謝罪会見を開いて辞意を表明していれば、これほどの騒ぎにはなっていなかっただろう。いまや、アメフト部だけの問題でなく、日大という学校法人全体に対して不信感と胡散臭さを多くの人が感じ始めていると思う。わたしもその1人だ。(田中理事長というのが相撲部出身で、暴力団、山口組の司組長との2ショット写真が出回っているのも、イメージ的に最悪だろう。あの写真が本物なのか、あるいは、合成されたものかは知らないが。。。)

今回の内田監督や日大広報の対応はつっこみどころ満載すぎて、ネット住民の暇つぶしとしてエンドレスのネタを提供してくれているが、わたしが、事件当初から推測していたことは、内田監督は今回の宮川選手による反則をたいしたことだと思っていない、ということだ。

<自分が現役の頃(内田氏も元アメフト選手)はもっとひどい反則はざらにあった> <強いチームはどこも多かれ少なかれああいう反則はやっている> <ケガをしたといっても全治3週間程度じゃないか> 内田氏は心の底ではこういうふうに思っているんじゃないかと考えていた。

たいしたことだと思っていない、つまり、悪いと思っていないから、謝罪の気持ちなど湧くわけもなく、SNSやネット上での非難轟轟はまさに「心外」だったのだろう。

そして、週刊文春デジタルが公開した「14分の自供テープ」が私の推測を確信にかえさせてくれた。

これは5月6日に行われた問題の試合直後のマスコミとの囲み取材の録音音声だ。週刊文春はこれを<悪質タックル指示の決定的証拠>としており、その通りだと思うのだが、内田監督、井上コーチが反則容認で悪質タックルを指示したことは、このテープがなくても、一連の会見や諸々の証言から誰も疑っていないはずだ。ただ、今後、刑事事件として起訴されるような場合、このテープが有力な証拠となるだろう。

しかし、わたしが一番気になったのは、このなかの次のようなやりとりである


記者 鳥内さん(鳥内秀晃 関学監督)は「あれで試合を壊された」と

内田氏「よく言うよ。何年か前の関学が一番汚いでしょ」(バックで笑い声)



内田氏の頭のなかには「何年か前の関学が一番汚い」という想いがあり<アメフトで強いチームを作るにはQBを「つぶす」ことが重要。今回はそのやり方が露骨すぎた、つまり、稚拙すぎ、しかも、映像に取られるという「不運」があった>。彼の思考回路のなかでは、そんなふうな想いがあったんじゃないかと思う。

今回の反則タックルが言い訳のできないひどいものであることは、アメフトを知らない素人でもわかるということは冒頭に書いた。

しかし、わらないのは、「何年か前の関学が一番汚い」という内田監督の発言の真実性だ。

大学でも社会人でもいいのだが、アメフトのほかの試合で、汚い反則はどの程度なのか。今回はあまりにも露骨かつ、「事件」後の日大の対応が笑ってしまうほどお粗末だったので、炎上騒ぎに発展しているが、今回の反則に似たような、あるいは、実際はもっと巧妙な見えないところでの危険な(あるいは、卑劣な)反則はないのか。


(ほかのところでもやっているから、自分たちもやっていい、という理屈はもちろん通らないし、わたしもそういうことを言いたのではない。ただ、内田氏はそういう気持ちだったし、たぶん今でも内心ではそうなのだろう。だから素直に謝罪できないのだろうと思う)。

日大を擁護するつもりはまったくないのだが、日大が今回の試合以前も、突出して、きたない(反則タックルの多い)チームだったのか?関学、あるいは、そのほかの大学アメフトチームは意図的な反則はほんとうにやらないのか? このあたりについては、アメフトに詳しい人なら知っているんじゃないだろうか。

今回の試合に話を戻すと、何度も映像が流されている宮川選手の後ろからのタックル(試合がとまった[笛がなった]あとに行うレイトタックルというそうだが)があったとき、なぜ、関学は試合を続行したのか。本来なら一発退場でもおかしくないような反則であったにもかかわらずだ。これについては、審判の問題でもあるだろう。

審判がその場で試合中止をさせるとか、関学側が試合放棄の行動をとらなかったのは、ひどい反則であることは間違いないが、どこかで容認、というと違うかもしれないが、仕方ないとする気持ちもあったのではないか。

内田監督の「よく言うよ。何年か前の関学が一番汚いでしょ」という発言は、アメリカンフットボールというスポーツの今後についてたくさんの food for thought (考え直すべき課題。反省材料)を提供していると思う。

2018年5月18日 (金)

後世に残る「危機管理学」の教材を提供?- 日大アメフト部の反則タックル騒動におもう

日本大学アメフト部(アメフット、という言い方のほうが正しいらしいが)の反則タックル事件が大きなニュースになっている。アメフトのことは全然知らないが、映像を見ると、ど素人でもあれはプレーとは何の関連もないアタック(攻撃)だとわかる。

露骨なあの反則プレーもさることながら、今回の騒動で一番不可解なのは、監督が「雲隠れ」してしまっていることだろう。しかも、昨日発表された関学への日大からの回答書には、<故意に反則しろという指導はしていない。選手と指導者との理解に「乖離」があった>というようなことが書かれていたらしい(あの文脈で乖離なんて言葉を使うこと自体、文章のセンスがないと感じるが。。。)。

笑ってしまうのは、日大には、日本大学危機管理学部という、学部があり、それを「売り」にしているらしいこと。

今回の騒動が始まってからの日大の対応は、「危機管理学」の教材(悪い見本)を提供しようという遠謀深慮に充ちた戦略なのか、と穿った見方をしている。


訃報: 歌手の西城秀樹さんが亡くなられた。享年63歳。48歳で1回目の脳梗塞を発症し、数年後、2回目の発作。療養とリハビリの15年間だったようだ。脳卒中は恐ろしい。合掌。

2018年4月25日 (水)

2018年、3分の1の総括的近況(?)- その2 : 野党議員とメディアには辟易

花粉症: 自分は花粉症には縁がないと思っていたのに、今年は咳や洟に苦しんだ(まだ、時々、辛い)。医者には行っていないので、本当のところはわからないが、子ども用に薬局で買ってきたアレルギー性鼻炎の薬を飲んだり、その後子どもが医者に診てもらって処方されたクラリチンを失敬して自分でも飲んでみると少しは楽になるので、やはり花粉にやられているのだろうと思う。死ぬような「病気」ではないが、花粉症の苦しさを実感した1カ月だった。

セクハラ騒動 : 財務省の福田前次官のセクハラ音源がネットで公開されたときは「なんてひどいヤツだ」と思ったが、その後の音声の継ぎはぎの指摘を読んだり(最初に聞いたときにその不自然さを感じる能力はわたしにはなかった)、被害者のテレ朝女性記者の“特定”(ネット上ではすでに出ている)、テレビ朝日の発表、そして、週刊誌(新潮)やテレビの報道のみに基づく、野党の国会での追及や重要法案の審議拒否、などを見て、正直、辟易している。

この騒動に関連するニュースをそれほど熱心に追っているわけではないが、テレビではデーブ・スペクター氏のコメントが私には一番納得できるし、元AV女優で元日経新聞記者の鈴木涼美氏によるこの記事<テレ朝記者「セクハラ告発」に舌打ちしたオンナ記者もきっといる>には大いに共感する。

その他の週刊誌ネタ: 新潟県の米山知事は出会い系サイトで知り合った「ガールフレンド」との“援助交際”が発覚して辞職した。“援助交際”の相手は複数いたらしいが、その1人は慶應大学の女子学生であり、その女子学生の本当の(?)ボーイフレンドである男子学生との共犯(ようするにに美人局)の可能性を示唆する書き込みをネットで見た。真相はわからないが、恐ろしや今の大学生である。

また、政治家ではないが、今日はTOKIOの山口達也の書類送検がニュースになっている(女子校生に強制的にキスをしたとかしなかったとか)。自宅(?)に呼んだ女子校生が相手だったらしいが、タレントの家に呼ばれる一般女子校生ってどんな存在なんだよ、と思う。

2018年、3分の1の総括的近況、をタイトルにして書き始めたが、私生活が低迷しているので書くことがなく、結局、テレビ・週刊誌ネタのコピペになってしまった。

本当は、藤井聡太六段の活躍で去年から盛り上がっている将棋のことについても書こうと思っていたのだが(今年はYouTubeで将棋の動画を見る回数が増えた)、疲れてきたのでここで終わりにする。

2018年、3分の1の総括的近況(?)- その1 : きくち和子講演会

4月もあと5日で終了。2018年も3分の1が終わる。あいかわらず仕事(収入)には回復の兆しが見られず、毎月の”給料日(= 配偶者に生活費を渡す日)”がやってくるスピードが加速度を増している。充実感を感じて過ごす時間は減る一方だが、徒労感を感じながらやる「仕事」や「作業」は増えている。

前回更新時からの近況。

きくち和子講演会: 3月29日(木)有楽町の朝日ホールで行われた「きくち和子」講演会を聞きに行った。去年知ったきくち体操の創始者、きくち和子さんの講演会だ。ブログに書いたのがもう1年以上も前か、と驚くが、この1年、時々サボることはあるが、朝の基本運動(20~30分)だけは続けている。実施打率でいうと7割5分から8割くらいか。

この講演会はハルメクという、50代以上の女性を主なターゲットとした通販会社の主催によるもので、女性が多いだろうなとは想像していたが、実際は99%が女性(その多くがaround後期高齢者)で、50代男性の自分は非常に落ち着かない気分であった。じゃあ、なぜ、そのような通販主催の講演会のことを知ったかというと、きくち体操のDVDというのをネットで見つけ、それを買ったからだ。アマゾン等を経由して買ったのではなく、ハルメクという会社の直販だった。購入後、通販カタログや講演会の案内が届くようになったのだ。

講演会の内容は、きくち和子さんの著書を2~3冊読んでいる人ならほぼ知っているようなことばかりで、特段新しい情報を得たわけではなかったが、84歳のきくち和子氏をけっこうな至近距離(前のほうの座席だった)で見て、その元気さにはやはり感心した。

わたしがきくち体操に魅かれた最大の理由は、その体操の有効性ではなく、きくち和子さんが、老いによる身体の衰えを不可避と認め、それを自分の力で抑制する必要性を力説されている点だ(継続さえできれば、きくち体操でも、ヨガでも、ラジオ体操でも、そのほかの「健康体操」であっても、まっとうなものである限り、どれもある程度は有効だと思う。問題は継続できるかどうか、つまり、モチベーションを維持できる理由を与えられるかどうかの問題で、そこに関しては、きくち体操にも特に優れたトリック(技)があるとは思わない。きくち和子さんの話に共感できるか否かで成果の度合は変わってくる。

脱線するが、継続させること、にサービスの重点を置いて大成功したのがダイエットのRIZAP[ライザップ]だ。この会社が英語の学校を始めたというのも、英語/英会話の勉強[訓練]を始めても成果が出るまで継続できない、という現象に着目したからだ。

きくち体操を始めた頃、自分の体操の意義を聞かれたきくち和子さんは「コロッと死ぬため」と話していたそうだ(彼女のある著書に書いてあったがうろ覚えで書いているので正確な引用ではありません)。

講演会でもわたしの心に一番響いたのは、必ずやってくる身体の衰えについて強調したあと、[きくち]体操の重要性を訴えて、「これはもう面倒とかそういうレベルの話ではないんです。やらないと必ず衰えてくるんです」と力説されたときだった。

84歳というのは2013年にわたしの母親が亡くなったときの年齢と同じだが、そのときの母の状態と比べて檀上で話しているきくち和子さんの元気さは驚異的と思えた。

2018年3月 5日 (月)

ようやく春か。暖かくなりそうなのは気温だけ。。。。。

3月にに入り、春一番のような風も吹き始め、気温も暖かくなってきた。1月と2月は事務所のエアコン2台をほぼ毎日つけっぱなしにしていたので電気代も目が飛び出るほどになってしまった(といってもたいした金額ではないが、今の私にとっては痛い出費だ)。そろそろ、気温だけでも暖かくなってほしい、懐は全然温かくならないが。。。。。。

以下、最近の感想。

前回のエントリーでオリンピックの「悪口」を書いたが、平昌オリンピックは日本人選手の活躍で大いに盛り上がった。わたしもネットのビデオクリックで見ることが多かったが、スケートの小平選手や高木姉妹(およびパシュートの佐藤選手、菊池選手)の力走には興奮した。男子スケートはメダルを取れなかったのが残念だったが。

フィギュアスケートは前にも書いたとおり、順位を争う競技としての興味は全然感じないのだが、女子の上位数人の選手の演技は見ていて楽しかった。個人的には6位に終わった(5位だったかな?)坂本選手のフリーでのパフォーマンスが一番気にいった。

次は先週行われたボクシング(山中 vs ネリ)。前日の計量でオーバーしたネリがチャンピオンを剥奪されての変則的なマッチ(勝てば山中が王者、負ければチャンピオンは空位)だったが、試合はネリの圧倒的な「勝利」と言えよう(これはテレビでリアルタイムに見た)。

ネットのコメントなどでは「2階級上の選手」と戦った山中に同情的な声が多かった気がする。もちろん、チャンピオンが十分体重を落としてこなかった(しかもグラム単位ではなく2kgもオーバー)というのはボクシングの世界では考えられないほどの落ち度ということは理解できるが、ボクシング素人(でも試合を見るのは好き)のわたしは、2kgのオーバーウェイトが2階級も上になるということを知らなかった。

それでも、ネリの計量オーバーが山中にもたらした「精神的な動揺 + 体重差」 だけが、あの試合の結果を左右したとはどうしても思えない。やはり、ネリのほうが圧倒的に強かったと思う。そして、結果的には、後味の悪い山中の引退試合となってしまった。

伊調馨が栄和人強化本部長からパワハラを受け続けてきた、という今週の「文春砲」も話題になっているが、こういったパワハラは十分にありうることだと思う。「自分としてはパワハラをしたという認識はない」みたいは栄氏の言葉(正確な引用ではありません)がネット上で紹介されていたが、自分としては~のつもりはない(つもりはなかった)、というのはパワハラ、セクハラで訴えられた側の常套句だ。

もっとも、スポーツ(武道も含む)、それもオリンピックレベルのスポーツの世界の利害・権力・既得権に絡むどろどろを考えれば、伊調馨選手のほうにも賢明とは言えない動き方があったのかもしれない(指導コーチを変えたり、練習拠点を変えたりしたことなど)。あるいは、いまや絶大な権力を握っているであろう栄本部長のことをおもしろく思わない一派(?)がパワハラ騒動を作り上げた(文春にネタを売った?)のかもしれない。

そのあたりの真相はわからないし、ことの真実などわたしは興味はないが、子どものサッカーや野球、空手などにおいてさえも、強いチームの監督は優秀な選手の移籍を嫌がったり、許さなかったり、露骨に邪魔をしたりする。結局は、子ども(たち)を自分(たち)の所有物のように扱い、既得権益化しているだけなのだが。

わたしはこういう「大人の世界」を嫌悪する。

2018年2月11日 (日)

平昌オリンピックが始まった

平昌オリンピックが始まったが、競技時間が早朝だったり、夜遅くだったりと、不自然な時間帯が多いようだ。ネットなどを見ると、欧米諸国でのテレビ視聴に適した時間にするために競技時間を強引に調整したようなことが書かれている。真偽のほどはわからないが、ありえる話だと思う。

昨夜のジャンプ男子ノーマルヒルはテレビでは見ていなかったが、深夜遅い時間まで競技をやっていたらしい。すべての選手が同じ時間なので平等といえば平等なのかもしれないが(風の影響など自然の変化については運不運があるがこれは競技の性質上、ある程度は仕方ないだろう)、スポンサーからの金のための極端な競技時間設定は、オリンピックという大会の卑しさをもろに表している。

わたしはオリンピックなどは(夏も冬も)もうやめにしてもいいという考えだ。開催地の招致熱は下がってきているらしいが(夏季大会が2024年のパリと2028年のロサンゼルスに同時決定したのも、招致を希望する都市が少ないからだと聞いた)、巨大な利権が絡むだけに自分が生きている間にはなくならないだろう。

大会があれば日本人選手をやはり応援するが、それは前記のことと矛盾しているとは思わない。

私の好きな競技は、夏の大会などでもそうだが、結果に曖昧さの残らない競技だ。冬のオリンピックであれば、スピードスケートなど。ジャンプも好きだが、風の影響を強く受けるし(これは仕方ないのだが)、一番気に入らないのはテレマークや飛形点などという採点部分だ。着地のときに転倒さえしなければ、あとは飛行距離だけでいいじゃないか。

フィギュアスケートも順位を争う競技としては全然興味はない。見るのは楽しいし、見ていればそれなりに自分でも評価しているが(もちろん日本人を応援する)、採点の曖昧さが耐えられない。

もっとも、フィギュアスケートはそれなりに競技の歴史があるので、素人が見てわからないだけで、専門家が見ればある程度は客観的な採点がなされているのかもしれない(と期待したい)。

わたしが今、もっとも懸念しているのが、2020年の東京オリンピックから正式競技に採用される空手だ。形競技だけでなく、組手競技も審判(採点)の標準化が全然されていないと思う。もっとも、柔道もそうだが、武道がスポーツになった時点ですでに多くのものを失っているというのがわたしの考えだ。

それから、オリンピックが始まると、メダルの数ばかり気にするのはおかしいとか、メダルが取れる、取れないばかりを重視するのはどうとか、などという意見が必ず出てくるが、これはおかしい。もちろん、テレビなどの報道の仕方に問題がないとは言わないが、競技なのだから結果に焦点が行くのは当然だし、目標がてっぺんであることは間違いないからだ。

選手にプレッシャーを与えるななどという人もいるが、選手が一番メダルを(できれば金メダル)をほしがっているだろう。オリンピックに出るような選手は競技が仕事なのであり(アマチュアスポーツとかアマチュア精神などという臭い言葉を信じている人がまだいるようだが)、メダルを取るかどうかは選手の今後の人生の選択肢に大きな影響を与えるだろう。テレビ局にとってもメダルを取る選手がたくさん出てスタジオなどに引っ張り出せば視聴率もあがる。最初からそういう大会(ビジネス)なのだから、メダルが期待できる選手の報道が過熱するのは仕方ない。

まあ、あんまりごちゃごちゃしたことは考えずに、見ておもしろい競技を楽しむことにしよう。

追記:今日(2/12)このようなヤフー記事を見た。宮原知子の得点は「盗まれた」? まさかの「68.95点」に海外から疑問の声続々  これだから採点競技は好きになれない。

2018年1月27日 (土)

仕事がはかどらないので暇つぶしの感想: ― 「反米保守」の袋小路 - 池田信夫

月曜日納品の原稿が全然進まなくて困っている。おもしろくない。暇つぶしにネットで遊んでいたら池田信夫氏のこんなYouTube動画に行きついた。

反米保守の袋小路

最近亡くなられた(自殺)西部邁氏について語ったもので、その内容についてどうのこうのというつもりはない(わたしは概ね、池田氏の言っていることに納得するが)。西部邁氏といえば、わたしも昔は朝まで生テレビでよく見ていた。

池田氏のこの動画でわたしが気になったのが「マーケット」とか、「飯のタネ」という言葉だ。そういう観点で西部邁氏の『(評論)活動』を解説するとそのとおりなのだろう。しかし、、「飯のタネ」が最大の動機になっていない人間がどれほどいるだろうか。

いわゆる「知識人」「評論家」「思想家」と言われる人ほどその矛盾が出てきやすい(矛盾が目立つ)が、言っていることのほんとうの動機が「飯のタネ」でない人間がこの世にどれほどの割合でいるのか(この矛盾がもっとも露骨かつミエミエなのが政治家で、特に最近の野党は小学生でもわかるようなバカな振る舞いをしている[ま、自民や公明も似たようなものだが])。

うがった見方、あるいは、卑近な解釈(下種の勘繰り)と言われるかもしれないが、結局、(ほとんどの)人は多かれ少なかれ、「飯のタネ」に影響され、生き方を選んでいるのではないだろうか。

西部邁氏の自殺のニュースが出たとき、ネットで「病院で死ぬのは嫌だと言っていた」とか「先になくなられた奥様の闘病のときのような(介護の)経験を自分のこどもたちにさせたくない」というようなことが自殺の動機であったというような記事を目にした。たぶん、本当なのだろう。それはそれで理解できるし、共感もできる。

しかし、そういった気持ちは「保守」とか「思想」とかとは何の関係もないだろう。わたしがいいたいのは、いわゆる「言論人」がなにか立派なことを言っても、その動機は(すべてとは言わないが大半の場合)そういった卑小な(という言葉が失礼であれば、一般人でも理解・共感できるごく普通の庶民感情・感覚)ものにつき動かされているのではないかということだ。

池田氏の上記の動画ははからずもそのことを明らかにしており、池田氏がこの動画で言及した「マーケット」とか、「飯のタネ」という言葉はそのまま池田氏にも跳ね返ってくることになる。

わたしはいったい何を言いたいのか。

「存在が意識を規定する」(マルクス)、「衣食足りて礼節を知る」

礼節を失わない程度の「衣食」(= 収入)は維持したいが、そのために自分がどの程度のウソ(やりたくないこと)をがまんしているかの意識はもっていたい。

換言すると<やりたくないこと(仕事)>をしているとき、その仕事を無理やり好きになろうなどとはわたしはしたくない。

<自分はいま、やりたくないけど食うために仕方なくいまこの仕事(作業)をしているのだ>と明確に意識していたい。

そのような姿勢で仕事をするのはけっして自慢できることでも褒められることでもないが、好きになれない作業(仕事)を無理やり好きになろうとすること、自分のなかで受け入れらない考え(思想)を無理やり受入れよう、とするよりも害は少ないと思う。

さて、気乗りのしない仕事に戻ろう。

2018年1月 3日 (水)

謹賀新年-今年の初詣は湯島天神

新年あけましておめでとうございます。

P_20180102_125123また新しい年を迎えた。今年の初詣は2日に湯島天神へ行ってきた。4月から中学3年になる息子の高校受験のお願いを兼ねたお参りだったが、参拝までの行列の長さに驚いた。混むとは聞いていたが、これほどとは思ってもいなかった。1時間半以上はかかっただろうか。幸い天気はよく寒さもそれほどではなかったので、耐え難いほどの行列ではなかった。

これまで初詣の日は観劇や演芸(お笑い)などとセットにしていたが、今年はそういったイベントもやめにした。食事だけは<年に一度>の豪華メシ(?)ということで、フランス料理を予約。と言ってもランチなのでたいしたことはない。

去年のお正月もいい天気で啄木の歌を思い出したが、今年は同じくらい良い天気だったにもかかわらず「なんとなく、今年はよいことあるごとし」という気分にはなれない。

2018年は “year of reckoning” になりそうな気がする。

2017年12月28日 (木)

今年最後の投稿-フリーランス生活10年終了

2008年1月1日に自営業者(フリーランス)として開業し、あと3日で満10年経過となる。このブログも10年間とりあえず書き続けてきた。書き続けてきた、と言っても過去4年間は月に1度程度しか投稿していないが。。。。。

仕事の状況は今年も厳しく、いまだ暗いトンネルから抜け出せないでいる。ただ、暗い場所に長くいると目が慣れて、最初は真っ暗で何も見えなくても少しずつ「視力」が回復してくるように、改善しない状況のなかでも、3~4年前に比べると「お先真っ暗感」はない。底打ち感もないが、落下(悪化)スピードが遅くなっているのかもしれない。

来年はどんな年になるだろうか。まったく読めないが、フリーを10年もやっているとその日暮らしにも慣れてきてしまった。

アントニオ猪木の元気が一番、元気があれば何でもできる!は蓋し名言だ。

来年も元気に行こう。

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