最近のトラックバック

経済・政治・国際

2016年11月10日 (木)

米大統領選(トランプ勝利)について ― 政治ド素人の感想

べつにブログのアクセス数増加を狙っているわけではないが、ネットもおそらくテレビも(今日はまだテレビを見ていない)トランプ勝利で騒がしいだろうから、オレも一言、素人感想を書いておく。

今年は、一昨年、昨年と比べても仕事の調子がさらに悪く、事務所で悶々と過ごす時間が長かったので時間だけはたっぷりあり、米大統領選はネットのニュース番組でほぼ毎日、フォローしていた。フォローといっても、ど素人なので特段の目的を持っていたわけではない。あえて言えば英語のブラッシュアップだろうか。一番よく見ていたのは、FOX NEWSで、ほかに、CNNやTIME、Yahoo Newsなども動画を見たり、articleを読んだりしていた。FOXの明らかにトランプ寄りの報道と、CNNのヒラリー寄りの報道の仕方が印象的だった。

投票日の当日になってもヒラリー優勢のニュースが流れていたように、今回の選挙はまたしても、メディアや「専門家」と言われる人たちの“予測”が実はたいした根拠のない“予想”や“希望的観測”、あるいは、“夢想”に過ぎないことを明らかにするものとなった。そういえば、選挙ではないが、6月のBrexit(英国のEU離脱を問う国民投票)のときも、主要メディアやネット上では、残留の可能性が高い、というものだった。

トランプ支持者は白人労働者(白人のなかでの低い階層の人たち)が多いと言われるが、メディアや専門家はそういった層のトランプ支持の裏側にある体制(エスタブリッシュメント)に対する怒り・不満・反感を完全に見誤っていたのではなかろうか。

日本でもそうだが、大手テレビ局や新聞社で“偉そうに”報道やら解説をしているジャーナリストやそういったところから出演や執筆を依頼されて喜んでいる政治学者や評論家は、自ら自身が体制側にいることをしばしば忘れている。その結果、彼らの言動や予測に現実とのズレが生じ、今目の前で起こっている現象を見る目を曇らせるのだと思う。

とまあ、オレもなんだか偉そうなことを書いているなあ。ただ、今年の大統領選の諸々の報道を見聞きする限り、ヒラリーおよびクリントン一族、彼らに近寄る人々がエスタブリッシュメントの権化であり、言葉でなんといおうが、大衆レベルの人々とまったくちがった世界にいることは明らかだった。

ヒラリーのメール問題は彼女の政治家としての資質の欠如、欠陥を暴露したが、それに対して、司法長官を巻き込んだ訴追回避の策略は、権力とcorruptの究極の現れだったと言える。7月にFBIのComey長官がヒラリーの訴追なしを決めたときの説明や、そのあと、Senateでのhearingでの発言など、奇妙なものばかりだった。素人的にもなんじゃそれ、と思ったのは<ヒラリーはextremely carelessだったが、criminal actをしているというintentはなかったので訴追の必要なしとの結論にいたった>というようなComeyの説明だった。

政治だけでなく法律にもど素人のわたしだが、犯意がない過失でしかなくても、その行為が犯罪に該当すれば罪になる(過失傷害、過失致死、etc)ことくらいは知っている。したがって、罪の軽重はともかく、「意図はなかったから罪にならない」というのは噴飯ものでしかなかった。もっとも、Comeyは罪にならない、と言ったのではなく、訴追するほどの理由にならない(訴追をするほどには至らないという結論に達した)と言ったわけで、ようするに見逃したわけだ。

実際問題として、現役の国務長官である大統領候補を訴追した場合、大統領選に与える影響は予測もつかないほど大きいので、民主党陣営はあらゆる手をつくして訴追回避の働きかけを行ったはずだ。

Man of Integrityとして評価の高かったComey FBI長官が7月のヒラリー不訴追で男を下げたあと、投票約1カ月前の9月下旬~10月初旬頃には、トランプの女性蔑視発言の録音音声が次々に“発見”され、セクハラ被害者だという女性が日替わりのように現れ、メディアを賑わせた。どう考えても(クリントン側とかそれに協力するメディアからの)不自然な暴露・登場という印象を受けたが、これでトランプもいよいよダメかと思われた(実際、そのころ、支持率が相当下がった)。

ところが、ウィキリークスが入手した大量のメールから新たな疑惑が浮上したとして、Comey FBI長官が、投票日のわずか10日ほど前に、ヒラリーに対する再捜査を開始する、との手紙をHouseのcommitteeに送り、それがFOXで報道された。これで、ヒラリーがもし大統領選で当選しても、来年の就任前に訴追、あるいは、大統領就任後に弾劾、という可能性も否定できなくなり、また、トランプの勢いがましてきた。

しかし、そのComeyの“ヒラリー再捜査騒ぎ”も投票日の2日前に、<やっぱり再捜査なし。7月の訴追なしの結論は間違っていなかった>という結論をFBIが出し、これでやっぱりヒラリーが当選か、という雰囲気になった。そして、昨日(11/8)の投票日を迎えた。

アメリカでは期日前投票をする人がかなり多いらしく、実際には上記のごたごたの前、あるいは、その最中にすでに投票を済ませた人も相当な数にのぼったらしく、選挙3カ月前からのこのようなゴタゴタが、各有権者の実際の投票行動にどう影響したかは一概には言えないし、よくわからないはずだ。そのよくわからないことをわからないとしないで、もろもろの専門家が根拠なく予想したのが投票日の“クリントン優位”だった。

ま、ほかの国の大統領選挙で日本人のオレがそれほど熱くなることもないのだが、“しがないフリーランス”であるわたしは、どうしてもエスタブリッシュメントの象徴であるヒラリーを好きになれない。トランプもかなりヤバイ人間だが、偽善者よりは偽悪者のほうがマシと思ってしまうので、自分がアメリカ人だったらトランプに投票していたかもなあ、なんて思ってしまう。

政治家としての経歴・実績のないトランプがアメリカの大統領になることに対して不安や懸念を抱く声はおそらく世界中で聞かれるだろう。ただ、日本においてのたとえ話を考えてみると、先の東京都知事選でもし鳥越俊太郎が当選していたら、と考えてみるとよい。鳥越俊太郎が東京都知事をやることのリスク(というかそのバカバカしさ)に比べたら、トランプが米大統領になるほうがはるかにマシではないだろうか。

いつもながらのとりとめのない文章でうまい締めの言葉が見つからないが、今年の米大統領選は非常におもしろかった(to say the least.)。

2011年12月 5日 (月)

甘ちゃんばっかりのマスコミ、政治、官僚、日本国民と日本経済―そしてオレ:「犯す前に言うか」の前沖縄防衛局長、田中防衛氏の“オフレコ”発言を報じた琉球新報の記者を<同じ新聞人として恥ずかしい限りだ>と12月3日の産経抄←勝手に“身内”で反省してくれよ

またわけの分からんタイトルをつけてしまった。

仕事に対するヤル気がでない→仕事がはかどらない→締切に間に合わない→仕事と関係ない文章を読みたくなってくる→ネットで遊び、読書に逃げる→ブログに文字を埋める。完全に悪循環に入ってしまった。

米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の提出時期について、報道陣との“オフレコ会談”で「犯す前に言うか」と言ったとされる田中防衛局長が更迭された。政治家ではないが、防衛省の局長のこの発言は、内容は異なるもののリスク管理の甘さと言う点では、一連の政治家アホ発言同じで、もうコメントにも値しないという感じだ。

今回も“オフレコ”の席での発言だったらしいが、そのオフレコの場に招待されていなかった(?)らしい産経新聞は、産経抄(12月3日)で、<最低限の信義を守ってこそペンの力>と題してこんなことを書いている。

 <▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。

 ▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。

 ▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。

 ▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。

 ▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。>

これを読んでわたしは「まあ、そう力みなさんな」、という感想を持った。産経抄の上記の文章は普通に読むとまあ、納得できる意見のようにも感じられなくもない。マスコミにおける“オフレコ”約束の位置づけについてもいろいろ議論はあるようだ。これについては、同じ産経に、琉球新報「公益性」を強調 新聞協会「オフレコに道義的責任も」、という記事も載っている。

新聞協会にとっては“オフレコ”発言を報道したとかしないとかは大問題なのかもしれないが、上の産経抄に書かれている<人間としての最低限の信義>っていうのはこういうコンテキストで使われる言葉だろうか。わたしはもっと単純に、政治家や官僚のリスク管理の甘さ、あるいは、緊張感のなさ、と理解してよい問題だと思っている。

<小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて>とあるが、田中前沖縄防衛局長は、その10社の記者全員が、どんなことをしゃべってもオフレコ発言だから取り上げないという<最低限の信義>を守る人たちだと信頼していたのだろうか。それほどこの10人と親しくつきあっていたのだろうか。

これを、田中前沖縄防衛局長と出席していた10人の記者との人間関係という視点で捉えると、「当てにしていた人間」に「裏切られた」というだけのことじゃないのか。子どもじゃあるまいし、「裏切られた」ほうが甘ちゃんでバカなのである。<オフレコを報道しないのが信義>と言ったって、そんな信義よりも発言が重大と記者が判断し、その新聞が掲載することを決めれば、掲載される。それだけのことだ。

産経抄でおもしろいと思ったのは、<小社を除く約10社の記者>のところで、何故、産経はそのオフレコ会談に同席していなかったのかだ。ただ単に、記者が都合つかなかっただけなのか、あるいは、田中前沖縄防衛局長が「産経は要注意」と判断して呼ばなかったのか(まあ、産経だから、田中前沖縄防衛局長としては、要注意じゃなく、むしろ、安心していられる相手のはずだが。。。)。

まったくもって、この政治家にしてこの官僚、そして、このジャーナリストという感じの甘ちゃんばかりだが、仕事の調子があがらないと言っては、こんな駄文を書いているわたしは、さらに仕事から逃げるために、「2013年 大暴落後の日本経済」(中原圭介著、ダイヤモンド社) という本を一気に読んでしまった。読みやすい本だからそれほど時間はかからないのだが、仕事に追い込まれると、逃げの読書、のスピードは大幅アップする。

そこで、この本。ギリシャ問題に端を発した欧州の財政危機の本質を説明しながら、2012年中に何等かの解決策が形になれば、2013年から海外のヘッジファンドはいよいよ日本の国債を売り始めるだろう、と書いている。

日本の借金の状況が対GDP比率で言うと、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)諸国よりもまだひどい状況であることはよく知られている。なのに、日本の国債の金利が1%前後で維持されていたり、円高になっているのは素人的にはホントに不思議だが、1)国債の90%以上が国内で消化されいている(内国債。家計でいうと、お父さんの収入の少ないのを、子どもや奥さんがお父さんに貸し付けているだけ?)、2)経常黒字―の2点がPIIGS諸国と異なる点であり、この2点が維持されている限り、日本国債暴落はない―というのが一般的な見方のようだ。(さらに、日本の消費税5%は欧州諸国と比べるとはるかに低いので、まだまだ上げる余地はあり、財政再建の潜在余力は大きいという判断もあるようだ)。

この本に書かれている、OECD加盟国の所得代替率(現役世代のときの収入と比べて、どのくらい年金がもられるか)を見ると、ギリシャ 84.0%、スペイン 81.2%、イタリア 78.8%、ポルトガル 66.7%と、アイルランド(30.6%)を除いてPIIGS諸国はのきなみ高い。ユーロ危機、解決のカギであるドイツなどは45.8%だ(ちなみに、日本は50.3%だが、いまの調子だと、50%を維持できなくなるのは確実らしい)。海外から金を借りまくっていながら、リタイアしたひとたちに現役時代の70~80%の金を年金として払っていればそりゃあ、早晩、やりくりできなくなるでしょう。

ようするに、“収入以上の生活”をどの程度やっているか、足りない分をどこから借りているか、足りない分をどれだけ将来につけまわしているか、財政危機と呼ばれるものの本質はこれにつきる。そういう意味では、いわゆる「財政破綻」というものが日本におこるのかどうかはしらないが、どう考えても、少なくとも今後10~20年くらいは、厳しい状況が続くことは間違いないだろう。

ところで、財政破綻という言葉がよくつかわれるが、日本が財政破綻になる、とは、どういう状況を言うのだろうか。その定義はいったいどういうものなのか、専門家の間では常識なのかもしれないが、わたしにはイマイチよくわからない。この本では、早ければ2013年には、ヘッジファンドに日本国債は狙われる(売りを浴びせられる)と書いてあるが、その一方で、「日本が財政破綻することはない」と書かれている。

国債がデフォルトになれば、それは確実に財政破綻だろうが、そうなることはない、と言われたって、それは、「死ぬことはない」、あるいは、「日本という国がなくなることはない」と言われているだけで、日本の将来が暗いものであるという予測は変わらない。

こんな状況なのに、政治家も官僚も、マスコミも、そして何よりも、国民はなんて甘ちゃんなんだろうなと思う(そして、オレも)。自戒、自戒。

2011年10月19日 (水)

バカは一体,誰か?-「逃げなかったばかもいる」平野大臣発言をニュースにする「バカなマスコミ」,それを攻撃材料にする「バカな自民党」,うんざりとツイートする「バカな評論家たち」,そして,匿名ブログに仕事もしないで書いている「バカなブロガー(←オレ)」

(仕事がいっぱい溜まっていてアップアップ状態。こういうときは身体[頭]が動かない。そして,ブログに逃げたくなってくる。ちょうどよいタイミングでまたバカな発言をしてくれる大臣が現れた)。

「平野達男復興対策担当相(57)が18日、福島県二本松市で開かれた民主党の研修会で講演した際、津波被害に関連し、亡くなった友人の話を引き合いに「私の高校の同級生みたいに、逃げなかったばかなやつがいる」と、発言した。同日夜、「個人的な思いが入ってしまった」と謝罪した。平野氏は堅実な仕事ぶりで定評があるが、被災地へのどう喝発言で辞任した前任者の松本龍衆院議員に続く、担当大臣による不用意発言となってしまった」(日刊スポーツ)

テレ朝のビデオクリップもある。

こんな発言をまたいちいちとりあげるマスコミがバカなのか?自民党の大島副総裁は,国会で追及すると言っている。

経済評論家の山崎元氏は,ツイッターで<平野大臣の言葉は少々乱暴だが、文脈から「気持ち」は分かるし、他の犠牲者に向けた言葉でないことは明らか。言葉尻を捉えた批判には「文脈盲」のきらいがあり、うんざりだ。おっと、「盲」という言葉は危ないなァ…。言葉だけではなく、文脈で判断したい。>とつぶやいている。

また,編集者/テレビコメンテーターの竹田圭吾氏は<今回に限らないが、だいたい自分が目の前で前後を含めて聞いたわけでもない(つまりニュアンスや文脈を完全には確認してない)断片的な発言を取り上げて、発言者の職能的適格性や人格を否定するような批判をすること自体が理解できない。そういう人のほうがよほど馬さん鹿さんではないかと思う>,<こういうこと書くとまた民主党に甘いとか言うバカが湧き出てくるが、発言したのが自民党だろうが公明党だろうが共産党だろうが共和党だろうが海賊党だろうが緑の党だろうがサラリーマン新党だろうが幸福実現党だろうが同じことをつぶやきます。復興相とか閣僚という立場も関係ないと思う。>とつぶやいている。

山崎元氏も竹田章吾氏も「発言の文脈」を考慮しない,言葉尻だけを捉えた「批判」を批判しているが,文脈,つまり,コンテキストを言うのであれば,大臣という立場の文脈をどうとらえているのであろうか。

コンテキスト(context)を英語の辞書で引くと,“the set of circumstances or facts that surround a particular event, situation, etc.”という定義が出ている。3.11の大震災から7カ月しかたっていない日本の大臣がおかれている文脈はどうお考えなのだろうか。

まあ,「うんざり」,と言う気持ちは誰もが同じだろうが,わたしの感想はやはり以前,松本復興相の放言のときや,「死の町」「放射性物質つけちゃうぞ」発言で辞任した鉢呂経済産業大臣のときと同じだ。

「私の高校の同級生みたいに、逃げなかったばかなやつがいる」をなぜ,「私の高校の同級生みたいに、逃げなかった人がいる」とか,「逃げなかった人もいる」と言えなかったのか。

大臣の発言にはオフレコなどはないんですよ。日本のマスコミも日本国民も「バカ」かもしれませんが,そんな「バカ」な人たちの反応を予測できずにうっかり発言をしてしまうことが,そもそも緊張感のなさの現れですよ。

まあ,やるべき仕事もしないでこんなブログを書いているバカもここにいるが。。。。

ほんとうにバカなのは一体誰か?

2011年9月11日 (日)

鉢呂経済産業大臣の辞任 - 「またか」「ええかげんにしてくれよ」

鉢呂経済産業大臣が,「死の町」,「放射性物質がうつった」発言で辞任することになった。日本中のほとんどの人が「またか」とうんざりしているに違いない。

ただ,この「またか」には,①「(就任早々の大臣が)また,バカな発言をして」,②「(マスコミが)また,大臣の些細な言葉尻を捉えて騒いでいる」の2通りにの反応があると思う。

①は「辞任は当然」派,②は「こんなことくらいで辞める必要はない」派,だろうか。

もっとも,鉢呂氏が経済産業大臣になったこと事体に対する疑問の声も多い。社会党出身の「農水族」(?)でTPP反対の反原発派(?)らしいからだ。

しかし,自民党政権のときからそうだが,新しい内閣ができると,必ずといっていいほど「舌禍」を起こすやつが出てくるのはどうしてだろうか。まったく学習効果がないというか,基本的な考え方がおかしいんじゃないだろうか。

政治家に限らないが,社会では地位があがるほど,オフィシャルな時間,言い換えると,建前を要求される時間が長くなる。政治家などはそれの最たる商売で,その頂点である内閣総理大臣など,任期中にプライベートな時間(= 本音をそのまま口に出してもよいとき)などは一秒もないというのがわたしの考えだ。内閣のメンバーである閣僚はそれに準じるだろう。それがいやなら,最初から,引き受けなければいいのだ。

特に,政治家にとって,言葉はきわめて重要なものであり,一言一句がどのようなメッセージとなって伝わるか,伝えられるか,それを意識していなければならない。その,いわば,最初の段階でつまずいているのだから,鉢呂経済産業大臣はやはり大臣失格だ。

もっと言葉の選択に慎重であれ。腹のなかで何を考えていたっていい。しかし,それを「素直に」口にするなよ。まったく。

2011年8月16日 (火)

民主党の劣化は想像以上だ ― 「誤解しないでください 『子ども手当』 存続します」 だと? アホか,お前ら。

管直人,「 退陣表明で大量造反回避」→「管内閣不信任案を否決」→ 「辞めるなんて言ってません」

民主党,「子ども手当廃止を了承」→「第2次補正予算」と「公債特例法案」可決→「子ども手当廃止するなんて言ってません」

民主党は次の選挙で消滅するんじゃないだろうか。いや,してほしい。前の総選挙で一票を投じてしまった自分が情けない。

少し冷静な頭を持っている人間なら,子ども手当が長期間続くなどとは誰も思っていなかったはずだ。少なくともわたしは,あてにできるものでないと思っていた

管首相が思いつきで脱原発だとか再生エネルギーだとか言っても,(どうせ,首相の地位を維持・延命したいだけだろ?)と誰もその真摯さを信じなかったように,民主党のやることなすこと,もう誰も素直に受け入れないのではないだろうか。

これはいったいなんなんだ

おぼれかけているときには,もがけばもがくほどよけい沈んで行くことを民主党は知るべきだ。そして,自分(個々の議員)は捨石になるつもりで,少しでも全体(党)の存続を考えた判断と行動を取るべきだと思う。でないと,次の総選挙では,本当に限りなく全滅に近い結果になるんじゃないだろうか。

追記:<子ども手当存続ビラ配布で謝罪 民主・安住氏、自民・逢沢氏に>,だって(8月18日,産経)。

これは<「子ども手当廃止するなんて言ってません」って言ってすいませんでした。子ども手当はやっぱり廃止と認めます>ということなのか。ええかげんにせえよ。

2011年7月 9日 (土)

管直人は精神に異常をきたしているんじゃないだろうか―管直人が新党結成-ダジャレでも言うしかない

またまた管直人お得意の思いつき政策。いきなり原発のストレステスト指示で日本中にストレスを与えている。海江田経産相は辞意を示唆,というニュースを読んだが,本当に辞めるのか。玄海原発(佐賀・玄海町)の件で梯子をはずされたんだから,ここで辞めなきゃ最低だよ。願わくは,管直人を道連れに辞めてくれるといいのだが。

管直人の精神はすでに異常をきたしているんじゃないだろうか。震災復興するにはまず何よりも金が必要なのに,特別公債法案のメドもたっていない。

デーブスペクター氏がツイッタ―にながしている秀逸なダジャレにはいつも感心するが,ここまで政治や電力会社があほらしいことを続けると,わたしもダジャレでも言うしかない気分になってくる(九州電力のやらせ投稿依頼の件もひどい。この時期にああいう依頼をして,大事にならない[=誰かに告発されない]とでも思っていたのだろうか)。

ここまできたら,民主党の国会議員の大半が離党して,自分たちこそ<本家 民主党だ>と名乗って,管直人を孤立させるしかないんじゃないか。

そうなれば,管直人が新党結成!マニフェストは<いったん任命されたポストは任期満了まで絶対投げ出しません。どんな批判にされされてもポジションにしがみつきます> - 管直党

2011年7月 5日 (火)

松本復興相の放言を「弁護する」人たちの奇妙なツイート

松本復興大臣は辞任するつもりはないようだが、まあ、管内閣そのものがあと2か月もすれば終わっているだろうから、松本復興相の“任期”もそれほど長いものではあるまい(そう願いたい)。

日本という国には本当に幻滅しか感じられない。「もう少し若ければ。。。」、「扶養家族がいなければ。。。。。」、「こんな国を出て。。。。」などと妄想が浮かぶ。

もうこの問題について書きたくはないのだが、松本復興相の放言に対して、奇妙な「弁護」をいくつかのツイッタ―で見たので、最後に少し書いておきたい。

①例えば、.ジャーナリストで民主党参議院議員の有田芳生氏は「物事にはすべて背景がある。松本龍復興大臣発言。昨夏『これまでの体質を変えてください』と未知の議員から声をかけられた。あとで松本議員だと知った。予算委員会でもずっと丁寧な対応。べらんめえの物言いと内容は区別すべき。宮城県知事にはこんな問題も。http://goo.gl/zvnfm」というツイートをアップしている。

②また、編集者(ジャーナリスト?)の 竹田圭吾氏は「宮城県知事が主張する漁業権集約問題(特区構想)について、松本大臣は『県でコンセンサスを得るべきだ。そうしないと我々は何もしない』と言った。『地元漁協の理解を得ないかぎり国は認めない』というニュアンスに読めるが、地元無視と知事を批判する立場からは、これは評価されるべきではないのか」、などとツイートしている。

まあ、ツイッタ―なので前後のコンテキストを無視して「引用」するのはよろしくないのかもしれないが、これら2つの発言は、松本復興相の放言とはなんの関係もないことだ。

復興の受け入れ態勢について、宮城県側(知事側)にもいろいろと問題があるのはそうかもしれない。また、県でコンセンサスを得るべき、という松本大臣の発言も、“評価されるべき”内容があるのかもしれない。

それから、いちいち挙げないが、宮城県側の「復興支援をたかろとする」姿勢、を批判しているようなツイートも目にした。

しかし、今問題になっているのは、昨日のような公の場で、復興大臣があのように「感情に流されて」、「ウサ晴らし」のようなことを口走ったということなのだ。

今回、宮城県知事が「大臣を出迎えず、遅れて部屋に入ってきたこと」がどれほどの問題であるのか、どれほど失礼なことなのか。それについてもいろいろ意見はあるだろう。しかし、もし、宮城県知事の「遅刻」が失礼なものであったとしても、それは、会談の後でしかるべきルートを通じて注意なり、窘めの言葉を伝えればいいだけで、昨日の映像は、松本復興相がようするに自分が腹をたてて、その感情をぶちまけただけであろう。

その程度の感情をコントロールできないような人間に、今回の大震災の復興担当大臣という、利害関係、利害対立が錯綜するにきまっている役割のリーダーが務まるだろうか。今、問題とされているのは、そういう点なのである。

それなのに、①とか②、その他もろもろの、今回の件とは関係のない問題を出してきて、「ものごとには背景がある」とか、「これこれについては、評価できるのではないか」などと言っている人は、自分ではそのつもりでないのかもしれないが、松本復興相を「弁護」しているだけに過ぎないことに気づかないのだろうか。このようなツイートを流す人たちは、もう一度、冷静に考えてみてはどうか(もっとも、有田氏は、民主党員という立場上、意図的に「弁護」しているふしもあるが)。

復興担当相の一番の任務はなにか。最も弱い立場にいて被災した人たち(子供、病人、老人、障害のある人、などなど)を中心に、生活を支援し、被災地の復興をできるだけ早くスムーズに進めることであろう。利害関係がからむことから、一筋縄で行く仕事ではない。すべての人を100%満足させるような復興は誰がやっても無理だろう。しかし、そのなかでも、できるだけ利害を調整し、将来のことを踏まえて、しかし、スピード感を持って復興を進めるのが復興担当大臣の役割であろう。そのような役割を担うべき人間が、出迎えがないとか、自分より知事が遅れて部屋に入ってきたとか、そんなことで腹を立て、あまつさえ、多くの人が回りにいるなかで、自分の感情を抑えられない。そういう人間が、何を立派なこと、正しいことを言っても、説得力はないのではないか。

そのような人間の過去の「発言」や「背景」を取り上げて、ツイートしても、何の意味があるのか。

今回の松本復興相の放言についてのコメントでわたしが一番感心したのは、田原総一郎氏の次のツイートだ。

「 松本復興相、、、この人の言動はどう思われますか?」というRTに対し、田原氏は「一言で言えば幼い。きっとこれまでに出迎えを受けなかったという体験がないのでしょう。恵まれ過ぎて人生を歩んできたのだなぁ、と、あらためて感じた」

と答えている。「幼い」、まさに適切なコメントだと思う。昨日の映像を見て、大人の態度だと感じる人がいるだろうか?そして、そういう大人でない「幼い」人間が、一国の大臣に相応しいだろうか?

しばらく前、朝生の感想を書いたときにも触れたが、わたしは、田原総一郎は正直、あまり好きではなかったし、いまでもそうなのだが、最近、自分のなかでの評価が少し変わってきた。

いずれにしても、松本復興相の昨日の放言については、「やれ宮城県側にも問題がある」とか、「松本大臣の提案そのものは間違っていない」などと話をそらさず(それらは別の問題だ)、そもそも、あの態度はなんのか、もし、テレビ映像だけでは信用ならん(映像の操作により印象はもちろん変わるから)というのなら、その場にいた人たちを全員取材して(せいぜい数十人とかその程度だろう)、あの映像がそれを見た人に与えたであろう印象と、その場での雰囲気、印象にそれほど齟齬があるのかどうか、検証してはどうだろう。

2011年7月 4日 (月)

松本復興担当大臣の発言に関して―政治家の資質とは?- 「一事が万事」 - 不用意な発言が多すぎる日本の政治家

(目の前の仕事を回避したいときは、ブログを書くのが億劫どころか楽しくなってしまうのは困ったもんだ)

さきほど、松本復興相のヤクザ発言の動画を貼り付けたが、そのあと、いろんなツイッタ―を見ていたら、①あの程度の発言は、一般企業の部長や重役クラスを相手にするときは珍しくもなんともない。②1分足らずのビデオクリップの情報だけで1人の大臣の資質を全否定してしまうのはどうか―といった「冷静な」ツイッタ―発言(ツイート)が目に留まった。

誰のツイッタ―かを明らかにしてもいいのだが、個人攻撃が目的ではないし、上の2つは、予想されるいくつかの意見のある意味、典型的なものであり、表現が異なっても、同様の意見はこれから一週間、ネット上や週刊誌でも出てくるだろう(木曜日発売の新潮や文春でどういう記事が出るか、今から想像できる)。

今回の松本大臣の発言に関する上記のようなコメントは、一見、冷静そうでもっともらしい(自分はこんなビデオだけでギャーギャーわめく大衆ではない!!)が、わたしの判断は違う。たしかに、テレビや新聞、雑誌の断片的な報道のみで、ある人間を悪く評価してしまい(良い評価でも同じことだが)、重大な間違いを犯すことは少なくない。人物や物事を正しく評価するには、十分な調査や慎重な検討が求められる。

しかし、「一事が万事」という言葉もある。もちろん、ことわざというものはどのことわざであっても、一方向からの断定なので、常に、反対のことわざがあるが(と、ここで、一事が万事の反対のことわざを探したが、なかなか見つからない。ようやく、群盲象を評す、という言葉を見つけた)。上記の②のコメントは、わずか1分足らずの映像で、「大臣の資質を全否定してしまう」ことを、群盲象を評している、とでもいいたいのだろうか。

①のコメントについては、一般企業のお偉いさんが、利害関係のある相手(取引先や部下)に言う放言を例にして、「あの程度の発言は一般社会では普通にある」と言っているに過ぎない。

①のコメントも②のコメントもわたしは間違っていると思う。物事の本質をとらえていない。

松本大臣はまず、政治家であること。しかも、いま、ある意味でもっとも緊張感を持続していなければならない、大震災の復興担当大臣であるということだ。そういう大臣であれば、24時間、それこそ、トイレの個室でクソをしているときでも、一瞬たりとも油断せず、自分の言動に注意を払うべきなのだ。それがイヤなら最初から大臣など引き受けなければいい。

これは大臣の発言ではないが、以前、わたしは日本人の幼稚性を感じる、というテーマで、田母神・元航空幕僚長や井戸・兵庫県知事の発言について書いた。また、石原慎太郎東京都知事の放言についても書いている

今回の松本復興担当大臣の発言も含めて、これらすべてに共通していることは、日本の政治家や公職にある人間の「不用意な発言の多さ」だ。もちろん、海外でも同様のことはあるだろうが、日本人の政治家が特に多い気がする(これについては、データをもとに言っているわけではないので、反証データが明確に示されれば考えを改めることはやぶさかではありません)。

政治にとって言葉が重要である(政治は言葉)、ということはよく言われることだ。人が発する言葉は、その人の本音を隠すこともあるが、往々にして本性をさらけ出すことのほうが多い。政治家の発する一言一句に過剰に反応するのは、ワンフレーズポリティックスに影響を受けやすい「知性の足りない大衆」だと言う人もいるかもしれないが、わたしはむしろ、「一事が万事」、で判断して間違いないと思う。特に、今回のような、それこそ、一言一句、に心配りをすべき状況にあるときの復興大臣のあの発言は、オフレコだぞ、などですましていられるものではないはずだ(しかも彼は、ごていねいにも、このオフレコを発言を流したメディアは新聞であれテレビであれ叩き潰すぞ、という意味の恫喝までしている)。

本当に情けない。日本人であることが悲しくなってくる。

松本龍復興担当相はクビにすべきだ-管首相もろとも消えてほしい

締切がせまっている原稿がなかなか進まず、ブログなど書いている場合じゃないのだが、あるツイッッターのTLを見ていたら、松本復興担当大臣のこの動画が紹介されていて唖然とした。

こんなヤツが復興担当大臣とは、情けない。早く消えてほしい〔この動画も、こいつらの“圧力”で早晩、YouTubeから削除されるかもしれないが、これを見て憤りを感じた方、いろんなところに拡散してください(動画をダウンロードするやり方をご存じの方、削除される前にダウンロードして、いろんなところに貼りなおして下さい)〕。まったくこの動画、ヘドが出るな。〔特に35秒(0:35)からの映像〕。これは公人の発言じゃない。こじゃあまったくヤクザの恫喝だ。被災地の方々が見たらどう感じるだろう。これが日本の復興担当大臣なのか。これが震災後、世界中から称賛された日本人なのか。

2011年6月28日 (火)

管直人を一刻も早く辞めさせるべきだと確信した-久しぶりに見た「朝生」

先週の金曜日(6/24)(←実はわたしの誕生日。嗚呼!),久しぶりに朝まで生テレビ(朝生)を見た。見始めたときはすでに午前2時くらいになっていたと思う。経済産業省の古賀茂明氏(次官が「あなたのポストはない」と言ってクビ宣告したらしい)の話は聞き逃したが,疲れた頭で見るには「朝生」はいい番組だ。まるで動物園の動物を眺めるようにボーと見られるという意味では,通販の“ジャパネットたかた”と良い勝負だろう。

民主(松原氏),国民新党(名前忘れた),自民(茂木氏,山本氏)の議員さんらの話を聞いていても,「禿同」というか,強く共感できる発言はなかった。わたしは,政治への期待は低くしようと言い聞かせているので,特に失望感はなかったが。。。。。

それでも,民主の松原氏の発言は,まるで評論家のようで,聞くに堪えなかった。彼が言ったことでただ一つ,心に残ったのは,管直人が昔,ある酒の席かなにかで「政治というのは野良犬の喧嘩だ」と言ったという発言だ。わたしはこれは重要な発言だと思った。松原氏は,この管直人の言葉について,ようするに,政治というのはルールもなにもない,食うか食われるかの戦いだと考えているようだ,のような解説をしていた。

この発言と前後して,ジャーナリストの上杉隆氏が,「悪いがここにいる先生方はみなさん,管直人に負けている。向こうのほうが1枚も2枚も上手だ。政治というのは騙されたほうが負けだ。管直人は辞める気なんてない」というようなことを言っていた(正確な引用ではありません)。

野良犬の喧嘩,ということは,人間の喧嘩でいうとストリートファイト,ということだろう。ヤクザや暴走族を相手にした,ルールなしのストリートファイトでは,武道の相当な達人でも,なかなか勝てないと聞く。

松原氏が言った管直人の政治に対する考えた方(政治は野良犬の喧嘩)が本当だとしたら,やはり管直人は一刻も早く辞めさせるべきだろう。何故なら,彼は国民をいわば人質にとって「野良犬の喧嘩」をしているのだから。しかし,相手が野良犬(やくざ)であれば,きわめて手ごわいことも事実で,それは,ここ数日のニュースを見ても明らかだ。

自民党の安倍,福田,麻生が次々と政権を投げ出したとき,何故もっとギリギリまで頑張らないのか,とその粘りのなさ,無責任さに腹が立ち,情けなく思ったが,今の管直人の粘りを許しておくことは,特別に危険だと思う(ちなみに,鳩山由紀夫の退陣は当然。彼は,別の意味で理解不能な人間だ)。

今のような国難の時期に,首相を辞めさせることに疑問を呈する意見もある(しかも,誰が代わりになってもイマイチだろう)が,野良犬の喧嘩をやっているつもりの人間を首相のままに据えておくのは絶対にまずい。このままだと8月末に辞めるどころか,再生エネルギー法案の是非を問う,といって,解散総選挙を本当にやってしまうかもしれない。

先週の朝生でもう1つ印象に残っているのは,やはり上杉氏が管直人は絶対辞めないと言ったときの田原総一郎の「辞めさせるには殺すしかないんですか」という発言だ。しばらくして「不適切発言がありました」と謝ったが,あれは絶対に確信犯だと思う。興奮して感情にまかせて出た言葉ではないし,田原氏が不注意で不適切発言などするわけはない。正直のところ,田原総一郎もあまり好きではないのだが,あの「殺すしかない」発言は計算ずくでうまいなあとちょっと感心した。

より以前の記事一覧