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読書と翻訳

2019年8月24日 (土)

「平場の月」(朝倉かすみ 著)感想



久しぶりに小説を読んだ。 著者の名前は全然知らなかったのだが、わたしが住む埼玉の地元(埼玉南部の3都市から池袋あたりまで)が舞台という宣伝チラシを地元の旭屋で見かけたので、何カ月か前に衝動的に購入していたものだ。8月は(も、のほうが正確)仕事が暇だったので、退屈しのぎに読んでみた。

地元の中学の同窓生の男女(現在50歳)の「大人の恋愛」物語だが、最初は人称(話者)がころころ変わる語り口に少し閉口した。読みにくいと感じたが、この文体はこの著者の特徴らしく、ネットで読んだ文学賞の講評などでも、この著者の特徴として言及されているものがあった。(もっとも、最初に感じた文体の読みにくさは30頁くらい我慢していたら、慣れた)。ちなみにこの小説は第32回山本周五郎賞受賞を受賞し、直近の直木賞の候補にもなった(直木賞は受賞せず)。

ネタバレになるので話の内容は詳しく書かないが、それぞれ(特に女性が)成人後、複雑な人生を歩んできた二人が地元で再開し、恋愛に至る。地元の地名や店の固有名詞が頻繁に出てくるので、新座、志木、朝霞あたりに住んでいる人には親近感を感じる小説だ。著者が埼玉の人なのかと思ったが、北海道出身だそうで、現在、埼玉県に住んでいるとのこと。

50歳のおじさん、おばさんの恋愛小説にしては、若々しさを感じるのは、2人がお互いを中学時代と同じように、苗字で呼び合っているからだろう(山田、高橋、のように。小説で出てくる名前は山田、高橋ではない)。中年になってから同窓会などに出席したことのある人ならわかると思うが、お互い老けているのに、中学生の同窓生なら中学時代にタイムスリップする感じがある。この小説はそういう錯覚をうまく利用して、50歳同士の恋愛なのに、もっと若い人の恋愛のような印象を与えることに成功している。内容は結構シビアだが、読者の想像でどのようにも(いいように)思い描けるよう、お互いの容貌については特徴は書いているが、細かい描写はない。

エンディングに至るまでの、別れ(会わない)の期間の設定ががちょっと唐突というか、不自然な気もしないでもないが、最後は泣かせてくれる。

しかし、イトーヨーカドーなら全国区なので、説明なしでもスーパーマーケットだとわかるが、ヤオコー、という名前を聞いて、埼玉県以外に住む人がスーパーマーケットだとわかるのだろうか。新座志木中央病院は何度も出てくるし、アサカベーカリーも出てきた。そのほかにも、ああ、あそこの公園か、あの焼き鳥屋のことだな、と、近所でこの2人が動いているようで、かなり楽しめた。




2019年3月29日 (金)

「破天荒フェニックス」読了 ー 次のメガネはオンデーズで作ってみようかな

「破天荒フェニックス」 オンデーズ再生物語 (田中修治 著)という本を読んだ。 オンデーズという眼鏡小売りの会社の再生物語で、小説(フィクション)の体裁をとっているが、ほぼ100%実話だ。著者の田中修治氏はオンデーズの社長で、2008年に破綻寸前だった(旧)オンデーズを30歳で買い取って(第三者割当増資を個人で引き受けて過半数の株をもつ株主となる)から、経営が安定するまでの7~8年間の悪戦苦闘の様子を描いた自叙伝的物語である。

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田中修治氏は1977年生まれ。10代から起業家としていくつかの事業を始め、オンデーズを「買収」する直前は、デザイン会社を経営していた。オンデーズという会社のことは知らなかったのだが、YouTubeの「就活の虎」というチャンネルで田中氏のインタビューがアップされていて初めて知った。この「就活の虎」というチャンネルは16~7年前に流行ったテレビ番組、「マネーの虎」で、出資する社長(虎)の1人として準レギュラーだった岩井社長(株式会社モノリスという、塾を経営している会社)が始めたYouTube番組だ。「就活の虎」 などという番組を見る年齢ではないのだが、マネーの虎は自分も好きだったので、懐かしくなって最近、閲覧するようになった。

新規店舗の失敗や幾度もの資金ショートの危機、ビジネスパートナーの裏切りに直面しながらも、徐々に売上を伸ばし、ついには海外展開(シンガポール、台湾)していくエピソードなど、とにかく面白い。起業して成功する人はこういう人なのかと、自分にはない才能に嫉妬を覚えながらも、500ページ弱あるこの本を一気に読んでしまった。

2016年12月17日 (土)

<赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件(桑島巖)>を読む

赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件>(桑島 巖 著、日本医事新報社)を読んだ。2000年11月に発売されたノバルティスの降圧薬、ディオバン(一般名 = バルサルタン)を使った一連の臨床試験(医師主導臨床試験)が実際は“製薬メーカー主導試験”であり、ノバルティス社の1人の社員が大きな役割を果たした“壮大なマーケティング実験”であったことが詳しく描かれている。

Photoディオバン事件とも呼ばれるこの論文不正事件では、5つの臨床試験(慈恵ハート研究、京都ハート研究、VART研究、SMART研究、名古屋ハート研究)のすべてにおいて統計解析者として中心的役割を果たしたノバルティス社の元社員が起訴され、懲役2年6カ月が求刑されている(薬事法[現医薬品医療機器法]違反(虚偽記述・広告)の罪)。昨年12月から始まったこの裁判は年内に結審し、判決は来年(2017年)の3月くらいに下されるらしい。

最初に発表された試験は慈恵ハート研究(JHS)で、その結果は、2006年の欧州心臓病学会(ESC)にて東京慈恵会医科大学循環器内科の教授(当時)が発表。論文は一流のジャーナルとされている『Lancet』に掲載された。

この本の著者である桑島氏(東京都健康長寿医療センター顧問。高血圧の専門家)は、すでに2008年8月頃からJHSや、ディオバンと同じARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)に属するブロプレス(一般名 = カンデサルタン、武田薬品)のCASE-J 試験の問題点を指摘していた。当初は試験に関わった研究者やその擁護者から批判を浴びたが、京都大学の由井芳樹氏による「Concern」(一連の試験結果に共通する不自然かつありえないデータの特徴を指摘したLetter to the editor)が『Lancet』に掲載されると流れは急変し、さまざまな調査が関係施設でなされた結果、最終的にはすべての論文が撤回されるに至った。

わたしは1994年から2006年4月まで、広告や記事体広告を主たる収入源とする週刊医学新聞で編集や記者として働き、2006年5月~2007年12月までは同じ業界の広告代理店(医療用医薬品の専門代理店)に勤務していたので、ディオバンの赤い広告全盛期をまさに<謳歌>した世代であり、当時の自分の給料やボーナスの何万分の1かはノバルティス社からの広告収入が源であったことになる。

もちろん、業者の一社員(一応は出版社[新聞社]であり、メディアではあるが、実態は広告媒体であり、製薬メーカーから見れば“業者さん”であった)であったわたしが今さら<反省>したり<なんらかの責任を感じる>などと書けば噴飯ものだし、実際問題として、2006年前後に次々と発表されたARB関連の臨床試験の問題点を冷静に分析できたのは、この本の著者をはじめ、ごくわずかの専門家だけであったと考えられる。

この本に記されている事実関係は、すでにネットなどでも十分得られる情報だが、当初から一連の試験の不自然さに気づき、それを質してきた桑島氏によるこの本は、2000年頃から流行り始めた科学的根拠に基づく医療(Evidence-based Medicine;EBM)を“宣伝に基づく医療(AD-based Medicine)(本の179頁)として利用してきた製薬業界の姿勢を浮き彫りにするものとなっている。

この本はディオバン事件だけを取り上げたものだが、EBMをAD-based Medicineに利用する流れは、日本に限った話ではなく、米国や欧州の医学会議に出席すれば、その状況は一目瞭然だ。もちろん、循環器領域に限った話ではない。

さて、ここまで書いてきて、『どうしたもんじゃろのう』(9月に終わった朝ドラ、<ととねえちゃん>の口ぐせ)とキーボードを打つ手が止まってしまった。この業界のライターとして少なくともあと10年は仕事をしていかなければいけない自分にとっては、第2、第3の<ARBバブル>が発生してくれたほうが(仕事がたくさん発生するので)収入面では助かるのだが、幸か不幸か、そのような時代はもうやってこない。

それでも、さまざまな領域で新薬はやはり出るし、科学的な意味(意義)のある試験や研究がゼロになるはずもない。ただ、むかしのような似非エビデンス(後付けのサブ解析や試験開始後のプロトコール変更から生まれたデータ)を科学的データとして販促材料に使うことはもうできないだろう。

2015年10月28日 (水)

新潮45 11月号 「医学の勝利が国家を滅ぼす」(里見清一)を読む

10月の仕事が一段落したので今週は楽しみのための読書をしようと買ったままの本や雑誌、電子本(Kindle)を整理し始めたが、読みもしないのに買っている本や雑誌の多さに自分でも呆れている。

新潮45 11月号はおもしろそうなタイトルが並んでいたので衝動買いしたが(kindle版はないので紙の雑誌)、昨日、一番読みたかった表題の文章を読んてみた。里見氏が「本物」の免疫療法と呼ぶチェックポイント阻害剤、オプジーボ(一般名はニボルマブ)は、従来の化学療法や分子標的薬と比べ効果持続期間が長く、1年半~2年生存する約30%の患者についてはさらに長期の延命が期待できるという(使用経験が短いため、“奏効”例で実際に何年の延命効果が得られるかは現時点では確認できていない)。日本ではすでに悪性黒色腫に対して認可されており、今年中にも肺癌(扁平上皮癌)についても承認が見こまれている(正確には、「切除不能な進行・再発の非小細胞肺がん」に対する効能追加承認申請、がすでになされている)。

これだけであれば朗報に聞こえるが、里見氏はこのあと、新薬のとんでもない値段の高さとコストパフォーマンスの問題を、ほかの分子標的薬なども例にあげながらさまざまな角度から論じ、米国臨床腫瘍学会(ASCO2015)で発表されたニューヨークのレオナルド・ザルツ氏の講演内容も紹介しながら、治療のコストパフォーマンスの悪さを指摘している。

詳しくは雑誌を手に取って読んでいただきたいが、免疫治療では偽増悪(pseudo-progression)という 現象(画像での陰影が大きくなるが、それが一過性で、その後効いて腫瘍が小さくなる現象)があり、しかも、それが偽増悪かどうかは患者が亡くなる直前までわからないので、治療を打ち切ることができなくなる(打ち切る理由が見つからない)という。(一般的には、固形癌の増大が画像診断で確認された場合は、その時点で癌の進行と判断され、次の治療[二次治療]やその次の治療[三次治療]に進むが、どこかの時点で、延命のための治療はもう残っていない、となる)。

イレッサ(一般名:ゲフィチニブ)におけるEGFR変異型や、アービタックス(一般名:セツキシマブ)におけるRAS野生型のようによく効く患者を見分ける手段があればよいが、それはチェックポイン阻害剤に関しては見つかっておらず、すぐに見つかる見込みも今のところはないらしい。

なお、チェックポイント阻害剤とは、癌に備わる免疫逃避機構をオンにするポイント(そこがオンされると、生体に備わっている抗腫瘍免疫が働かなくなり、その結果、癌の増殖を抑えられなくなる)を阻害する薬のこと。

このように画期的な薬であるにもかかわらず、その莫大な薬剤費のため(薬価そのものの高さに加え、偽増悪と本当の増悪との区別がつかないため、多くの無駄うちが発生する)、この薬が保険で使えるようになると国家の保険財政は破綻する、というのがこの寄稿の主旨である。

また、最後まで「もしかしたら効くかもしれない」ということで治療がひっぱり続けられる結果、緩和医療が崩壊・消滅し、ホスピスは減少。医者は患者とまともに向き合わなくなるだろうとも里見氏は指摘している。

短期的対策は至適投与法の確立、ようするに増悪が認められた場合、それが偽増悪か本当の増悪かを区別する研究を進めるということしかなく、これについては里見氏も、いずれある程度の成果は得られることを期待している。

しかし、一方で里見氏は、そのような方法で医療費を少しは節約できてもそれは「焼石に水」に近く、長期的な対策としては高齢者の医療を苦痛の軽減やQOLの改善を中心としたのものに転換し、いたずらに延命(生き長らえること)をめざす現在の医療からの脱却が必要と主張している。

<どうすればよいか―長期的対策>の見出しで始まる最後の3分の1(約6頁)が実は本寄稿の最も重要なメッセ―ジの部分であり、わたしはその内容に賛成するが、正直言って、それは実現されないだろうとも思う。情けないことだが、日本人は、死に対する覚悟がなさすぎるからだ。

(あと数分で出かけなければらないので尻切れトンボで終わってしまうが) わたしの予測は、目の飛び出るような高価な新薬は今後もどんどん開発され、保険承認もされるが、どこかで保険財政はもたなくなるので、高額医療費制度の自己負担額がもっと多くなるか、年齢によって保険で使える薬が制限されたりして(年齢 + 薬剤の種類で、保険でカバーできる割合が変わる)、保険制度そのものが現在のものとは全く違ったものになることを余儀なくされるだろうということだ。それは、ほとんど財政破綻と同じような状態かもしれないし、医療は現在のものとは大きく変わるだろう。

寄稿の最後の言葉「だから、我々に逃げ道はない。覚悟を決める時である。」は正しいとは思うが、そのような覚悟を日本人が総意として持つことは残念ながらないだろうと思う。

2015年7月12日 (日)

Kindle Paperwhite 購入

Kindle Paperwhiteの新しいモデルが出るというので買ってみた。プライム会員はお得というアマゾンの広告にひっかかったわけだが,読むものをできるだけ電子書籍に移行していきたいという気持ちは以前からあったのでとりあえず試すことにした。もっとも,電子書籍リーダーは楽天のkobotuchが出たときにすぐに買ったがまったく使っていない。大体,箱から出すのに1年もかかってしまった。当時(3年くらい前か?)は仕事が忙しかったので,ゆっくり電子書籍に慣れようという余裕がなかった。今は金銭的余裕はないが時間の余裕はある。

老眼で小さい文字が年々見づらくなっているので,フォントや画像サイズを拡大できる電子書籍は慣れれば重宝するだろうという考えもある。買ったのは広告なしのwifiモデル。3~4000円ほど高い無料3Gつきモデルにしようかとも迷ったが,事務所と自宅はwifi使えるし,機会は少ないと思うがもしwifiが使えないところでkindle本を買いたい状況に遭遇しても,iPhoneのテザリングを使えるからだ。

まだ少ししか使っていないが,やはりiPhoneやiPad(自分では持っていないが)で読むのに比べると動きがにぶい。電力消費の少ない電子インクとやらが関係しているのか,白黒であるからなのか,紙の書籍に近い画面と言えなくもないが,多少のフラストレーションはたまる。もっとも,使い慣れていないことも関係していると思うので,もっと使いこめば今感じている“違和感”は減ってくると思う。

iPhoneのKindleアプリ上で読む電子書籍は鮮明で読みやすいし,動きもサクサクして非常によい。これなら,Kindle paperwhiteではなく,iPadあるいはiPad miniを買って電子書籍リーダーにしたほうがいいかもしれない。まあ,Kindle Fireというのもあるし,どうせ今後もまた何か端末を買うだろうからしばらくKindle paperwhiteを使ってみようと思う。

2012年7月13日 (金)

書店の立ち読みで十分-「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか」

6月14日に米国糖尿病学会(ADA)から戻ってはや1カ月。この間,取材仕事ではない原稿書きの仕事がそれなりにあったので暇ではなかったものの,忙しいというよりはダラダラと能率の悪い毎日が続いている。

ツイッタ―をやるとブログの更新頻度が減るのではないかと予想していたがその通りになってしまった。

2~3日前,ツイッタ―でつぶやいたが,「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか(ピアーズ・スティール著,池村千秋訳」(阪急コミュニケーションズ)を読んだ。上記のとおり,この1カ月は5~6月の出張疲れからか,もともとエンジンのかかりが遅い仕事ぶりに拍車がかかり(この拍車の使い方はなんかヘンだな),まさに先延ばし(procrastinate)の毎日だった。いや,今もそれは続いているので,先延ばしの毎日である,と言うほうが正確か。ブログなんぞを書いている場合ではないのだ。

約300ページのこの本は<先延ばし研究10年超の世界的権威が人類永遠の課題をユーモアたっぷりに解き明かす!>という宣伝文句が裏表紙にあり,本の帯には<「ぐうたら癖」はDNAに書き込まれていた!? 原因がわかれば克服法も見えてくる>というコピーが載っているが,これを見ただけで胡散臭いと感じなかった自分が情けない。

原文のタイトルは“The Procrastination Equation”(先延ばしの方程式)で,

モチベーション = 期待 X 価値 /衝動性 X 遅れ

というのがその方程式らしい。第6章までこの方程式と先延ばしによる損失(個人にとっても,集団,国にとっても)の説明。第7章から第10章が先延ばしの克服方法の解説,という構成になっている。第6章までは先延ばしをする人間の実像や脳のメカニズム,症状などが記述され,それなりに興味を持って読んだ。第4章のファイスブックをはじめととするソーシャルメディアが現代人の時間を奪っているというあたりもおもしろかったが,後半(第7章からの先延ばしを克服する方法)に入ると急に陳腐になる。

言葉多くして中身なし,の典型で,<明確なゴール設定>,<行動プラン>,<必要なのは信じること>など空疎な言葉が並ぶ。

この本を読んで先延ばしを克服できる人はそもそもこの本を読む必要がないし,先延ばしを克服できない人はこの本を読んでも克服はできない。

まあ,このことはこの本に限ったことではないのだが。。。。

2011年3月 7日 (月)

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に-第5回-「より良い翻訳」のためには「より良い」を「より少なく」

自分の英語力などたいしたことはなく,翻訳技術もまったく未熟であることは承知しているが,それでも,収入の一定部分を翻訳で得ているので,日本語と英語の違いにはかなり意識的になっているつもりだ。翻訳に限らないが,言葉を扱う仕事をしている人間は“語感”の重要性を忘れるべきではないと思う。

ああ,それなのに,それなのに。。。前回も書いたが,「日本語として不自然でないか?」という見直し(というか反省)が全然なされていない訳文(和訳)が結構多いのに驚かされる。

比較級があると,必ず,「より~」としてくる訳者が少なくない。しかし,欧州言語の形容詞についてウィキペディアの説明をみると<比較変化: 一般的には原級 (en:Positive)、比較級 (en:Comparative)、最上級 (en:Superlative) の3つの段階を持つ。これらの表現を訳すために「より~」「もっとも~」という日本語が作られた。>とある。

形容詞だけでなく副詞もそうだろう。More recently,と書いてあると「より最近になって」,biggerは「より大きい」,most~は「もっとも~」だ。

たしかに,比較級(や最上級)になっている原文(英語)をすべて“比較級”表現(~より,~のほうがより~)抜きで訳すのは難しいしが,ナシでも原文の意味を損なわない箇所,ナイほうがむしろ正確な訳になる文章,そんなところまで,より~,と訳していては,まるで中学生の英文解釈の答案になってしまう。

以上,自戒を込めて。

2011年3月 1日 (火)

たしかにハマる,西村賢太-「苦役列車」を読みました

最近芥川賞受賞で話題になっている“平成の私小説作家”,西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。小説好きの人の間では,西村賢太はクセになる,などと言われているそうだが,確かに面白い。何度も声に出して笑ってしまった。

最初の1~2ページは妙に古めかしい漢字とか言葉使いが多い印象を受け(冒頭の<曩時北町貫多は...>などは,曩時の意味がわからず,曩時北町貫多というのが主人公の名前かと思ってしまった)多少抵抗を感じたが,読み進むうちにそれもなくなり,だんだんと講談を聞いているような気になってきた。

三人称で書かれているので,主人公と作者に距離はあるのだが,西村氏自身が「90%以上は実際にあったこと」とインタビューで言っていたとおり,三人称でありながら,一人称的な印象を与えるところもあり,それがまた面白い。

“社会の底辺”で希望のないその日暮らしをする青年(19歳)の話だが,実体験に基づいているリアリティーと的確な描写,そして人物に対する秀逸なコメントが笑ってしまう。

思わず声を出してしまった箇所はいくつもあるが,例えば,平和島の冷蔵団地へ行くバスのなかで隣に座った中年男がコールスローを食べるシーンで<ちょうどその男はサラダの容器に分厚い唇をつけ,底に溜まっていた白い汁みたいなのをチュッと啜りこんでいるところだったので,これには彼はゲッと吐きたいような不快を感じ,.........>というところ。思わずうなってしまった。

また,恋人も友人もいない自分の現状を<別段,それがつらいという云うわけではないが>と書いたあと,友人がいれば<何もあんなシケたところで若年寄りよろしく,ポツンと安酒飲むようなこともないのである。もっと明るく,活気に充ちた店でラビオリなぞつまみながら,サワーのグラス片手に女と女体の話で大いに盛り上がる楽しみも可能なのである。>の部分。ラビオリなぞつまみながら,には爆笑した。ここは確かにラビオリがピッタリだと思う。ポテトでもフライドチキンでもスパゲッティでもなく,ラビオリでなければならない。

そのほか,終わりのほうで,日下部とその彼女の美奈子との3人で野球を観に行ったあとの,居酒屋での日下部と美奈子との会話など,他愛ないがいかにも普通の学生同士っぽい(=バカッぽい)感じが出ていて,なんでもない内容だがうまいなあと感心した。

なお,同時受賞のお嬢様作家,朝吹真理子氏の「きことわ」はまだ読んでいない。同じ号の文芸春秋に掲載されているので,いずれ読むかもしれないが,シロガネーゼの朝吹氏の小説に対しては,読む前からなぜか“ひがみ”や“気おくれ”を感じてしまう。わたしは,苦役列車の貫多ほど,たいへんな人生を送ってきたわけではないが。。。。。

最後に余談だが,東京都知事に立候補したワタミ会長, 渡邉美樹氏の幼少期から独立するまでの「苦役列車」の話が週刊新潮だったか週刊文春だったか,どちらか忘れたが,出ていた(「苦役列車」を見出しに使っていた)。渡邉美樹氏の都知事選立候補については「なんだかなあ」と,これについても,わたしなりの感想を持っているが,埼玉県民のわたしには直接関係ないことであるし,まずはほかの人のブログを検索してみよう。

2011年2月25日 (金)

「どうして会社辞めたんですか?」―「どうして会社辞めないんですか?」

独立4年目の今年はどうも苦戦する気が昨年末からしていたが,その予感が当たり始めた印象だ。“受注状況”がどうも思わしくない。もっとも,客観的に見れば,1~2月の「売上」は昨年をわずかだが上回っており,悪くないのだが......。ま,このあたりは,先行きの見込とか仕事の性質とか,説明しにくいところがある。

今の政治の混乱も,自分の生活の先行きに対する自信のなさとか不安感に拍車をかけている気がする。フリーランス稼業なぞ,政治がどうであれ,不安定生活の極致だから関係ないといえば関係ないのだが......。

子ども手当はこのままの状況で行くと予想通り支給が止まりそうだ。ま,私は一円も使わずに”別口座”に入れてあるので予算関連法案が可決されず子ども手当が止まっても,勝手にしやがれ!っていう気持ちだ。

ところで,いわゆるハウツーものの本(人生論関連,投資関連,ダイエット関連などなど)を読むときというのは,物事がうまく行っていないときと決まっている。そして,最近わたしは,10年くらい前に流行ったロバート・キヨサキの「金持ち父さん~」シリーズを読んでいる(キャー,恥ずかしい。。。。。)。もっとも著者はこの本はハウツー本ではないと書いているが....。

シリーズ最初の「金持ち父さん貧乏父さん」,2番目の「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」を読み終え,いま,「金持ち父さんの 起業する前に読む本」を半分読み終わった。これで最後にしよう。そろそろ飽きてきた。

感想:書いていることは意外に(?)まともだと思った。少し前の本であるし,アメリカの本なので,それをそのまま日本の状況にあてはめてhow to grow richというわけにはいかないかもしれないが,資産 とは キャッシュフローを生み出すもの,と定義し,したがって,自宅は負債である,という考えは,言われてみればそのとおりなのだが,持ち家信仰のためになかなかピンとこない人がいるかもしれない(自宅が負債というのは,たとえ住宅ローンを払い終わって完全に自分のものになった後でもそうである。ましてや,住宅ローンを抱えている家など,負債そのものでしかない。わたしも,自宅の住宅ローンは当然,まだ残っている)。

金持ち父さんシリーズは,読み物としてはやはりすぐれていると思う。すぐれているというか,うまく書かれているというか。ようするに,うまく売れるように書かれているという感想を持った。内容はたいしたことはないのだが......。読んでいる自分がなさけない(^。^↓↓)

またまた,エントリーのタイトルと関係ないことばかり書いているが,2007年末にサラリーマンを辞めてフリーになってから,「どうして(会社を/サラリーマンを)辞めたんですか?」という質問を相当数の人から聞かれた。

何度も聞かれると,答えるのにウンザリしてくるので,いまでは決まった返事を用意しているが,「どうして会社辞めたんですか?」という質問をする人に対しては今度から,「どうして会社を辞めないんですか?」と訊き返そうかと思っている。

2011年2月 7日 (月)

「その訳はありえんだろう!」シリーズ-医学英語(和訳)を中心に-第4回-安易な定訳に抵抗したい

シリーズ第4回目。一人で勝手に書いているブログなのでシリーズ名と内容がズレていても誰も文句を言わないので気楽である。

昨日から医学ニュースの和訳仕事をやっているが一向に進まない。この能率の悪さはなんなんだ。集中力が続かないことが原因だが,ちょっとした訳語にこだわって(ひっかっかて)前へ進めていないことも能率を下げている原因の1つだ。

困ったもんだが,翻訳をやる人間としては必要なこだわりと思う気持ちもある。以前,or を「又は」とか「あるいは」としか訳さない翻訳者がけっこういて辟易するときがある,というようなことを書いたことがあるが,英和辞典にばかり頼って翻訳をしていると,こういったいわば「定訳」の羅列のような翻訳文を作ってしまうことになりやすい。

しかも,その「定訳」にもいろんなレベルがあって,「その訳はありえんだろう!」レベルから,特に抵抗なく受け入れられるレベルまである。

具体的に言うと,commonというそれこそ,非常にcommonな形容詞があり,一般的な,という訳語があてられれることが多い。しかも,それが,それほど不自然でないというか,定訳のようになっているところがある。

昨日訳していた記事では,非常にめずらしい種類のがんに対して,乳がん,大腸がん,前立腺がんなどのcommon cancersは,という文脈で使用されていた。このcommon cancerを一般的ながん,と訳そうかどうかでひっかかってしまった。一般的ながん,という言い方にどうもひっかっかったのだが,Googleで検索したところ,一般的ながん,を含む文章は無数にあり,それこそ,きわめて「一般的」だった。

一般的,の意味を国語辞典で調べてみると「広く全体を取り上げるさま。広く行き渡っているさま」(excite.辞書,大辞林第二版)とあり,この意味なら,めずらしいがん(希少ながん)に対して,乳がん,大腸がん,前立腺がんなどのcommon cancersを,一般的ながんと訳してもいいのかなあという気もした。

しかし,commonn coldとかcommon disease,になると,一般的な風邪,一般的な疾患(病気)では,ちょっと???とクエスチョンマークが湧いてこないだろうか(湧いてきませんか。ハイ)。前者は,普通の風邪(インフルエンザや肺炎などではなく,原因ウイルスや細菌は特定されないが,ほおっておいても治るような,よくある風邪,という程度の意味だろう)のこと,後者は,生活習慣病などをcommon disease(s)として使われていることが多いように思う。

前記の英語記事で,私はcommon cancerを安易に一般的ながん,とするのにどうも抵抗を感じたので,発症頻度の高い,とか,患者数の多い,とか,そういう言葉にしようとかなと考えている(考えている,というのは,その翻訳をまだ完成していないからだ)。

common = 一般的(普通の),はそれでも機械的に訳しても違和感が少ないほうだが,include,including~という英語を,含む,とか,~を含めて,と英和辞典通りの訳語を使って訳されると,かなり抵抗を感じることが多い。翻訳チェックなどをしていると,その訳者に対して(自分のことは棚にあげて)「へたくそだなあ」とか,「手抜きしやがって」と憤りを感じることが少なくない。

morbidity,という言葉にいたっては,医学論文や医学ニュースではしょっちゅう出てくる言葉だが,正直に言って,いまだにどう訳していいかわからない。辞書的な訳語は,罹患率,罹病率,だが,これをそのまま使ってスッキリする文章にであったことがない。そういいながら,morbidityは訳しにくく,わたしも,へんだなと思いながらも,罹患率とか罹病率を使ってしまうことがよくある(病的状態,という訳語もあり,morbidityのそもそもの意味,moribid state [morbidの意味は,affected by, caused by, causing, or characteristic of disease] から考えると,まさに病的状態,なのだが,これも,文脈によってもうひと工夫もふた工夫もいる気がする)。

つまるところ,日本語でそんな文章書くかあ?,自分で書くときそんな文や言葉を使うかあ?そんな言い方するかあ?そんな日本語不自然じゃないかあ?(あえて,かあ?とバカっぽく自問しています)という疑問を抱くかどうかだが,医学の分野では,翻訳文というか翻訳調があまり抵抗なく受け入れられるので,仕事として医学英語の和訳をやっている人間にとってこういうこだわりは,「労多くして益少なし」に終わる可能性が高い(のかもしれない)。